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津軽と俺たちと、雪

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その日は、白いふわふわしたものが空からたくさん降りてきて、すごくきれいだった。

ベランダに通じるガラス戸のくもったガラスの向こうに小さくて白い影がちらちらと見えた。ガラス戸にたまったしずくを手のひらでぬぐうと、つめたかったけれど、外がよく見えた。うしろを振り返ると、静雄はソファに座って、帝人に入れてもらった甘いホットミルクにふうふうと息を吹きかけていた。
「静雄。これが雪か?」と、俺はガラス戸を指さして静雄にたずねた。
「あ? ああ、降りだしたのか」
「初めて見た。きれいだな」
「なんだ、お前見たことなかったのか。ベランダ出てみろよ。触るくらいはできんだろ」
「いいのか!?」
「ああ」

静雄はマグカップに口をつけて、あち、とつぶやいた。俺は鍵を開けてガラス戸に手をかけた。戸を引いた瞬間、つめたい空気がほほに当たって、びっくりして一度閉めてしまった。
それをうしろで見ていた静雄がくすくすと笑った。静雄が笑うとうれしくて俺も笑った。
笑いをおさめた静雄が、その格好じゃさみぃだろ、と言って実家から送られてきたという紺色の半纏を出してくれた。静雄用のそれは、俺にもぴったりのサイズだった。
袖を中からつかんでくるりと回ってみた。すごくあたたかいのに軽くて、しかも動きやすい。

「ありがとう、静雄」
「おう」

後ろで見ていた帝人が、あれ、静雄さんそういうの着るんですか、と聞く。あ、津軽さんの分の牛乳ここに置いておきますね、と手に持っていた帝人用と俺用のマグカップをローテーブルにことんと置く。静雄は、いやあんま着ねぇな、エアコンつけりゃそんな寒くねぇし、と答えてぜいたくだと帝人に叱られていた。
今日も二人はすごく仲よしだ。

俺は気を取りなおしてもう一度ドアを引く。やっぱり外の空気はすごく冷たい。冬ですからねぇ、と帝人がこのあいだ教えてくれたのを思い出す。意を決して、外へ一歩踏み出す。足を入れたベランダ用のスリッパも氷みたいに冷えている。着物のすそから冷気がしみこんでくる。はぁ、と息をはくと白い湯気が広がり、冷たい風にさらわれていった。

「ああ、これは積もるかもしれねぇな」

めんどくせぇなぁ、足元悪くなるしよー、とドアのすき間から顔だけ外に出した静雄が空を見上げて言うと、後ろで帝人がふふっと笑い出した。
なんだよ、と静雄が振り返って軽くにらみつければ、帝人はいたずらっぽい眼をして静雄を見る。

「バーテン服に長靴って、かわいいなと思って」
「・・・馬鹿にしてんだろ」
「ちがいますよ。じゃあ、長靴じゃなくても静雄さんはかわいいです。これでいいですか」
「なっ・・・何言ってんだお前」

静雄は帝人から眼をそらした。でも、俺のほうからは静雄の耳がちょっと赤くなってるのが見えたから、照れているんだとわかった。静雄に続いて帝人もベランダに出てきた。

「津軽さんも、その半纏似合っててかわいいです」
「そうか?うれしい」

帝人が軽く背伸びをして俺の頭をなでてくれる。俺はもっとなでてほしくて少しだけ背をまるめる。

「お前も喜ぶな」
「だめか?」

静雄をじっと見つめると、静雄はそれには答えずにひとつ咳払いをして空を見上げた。俺もつられて空を見上げる。見えるのは無数に降りてくる灰色の小さな影。
白い空から舞い降りてくる、白くて小さくてふわふわのかたまりたち。つかまえてみたくて手を伸ばした。でも手のひらに落ちたそれは、すぐに溶けて水になってしまった。
静雄さんはあんまり頭をなでさせてくれないんですよね、ふわふわしてやわらかくて気持ちいいのに。だから僕は津軽さんをなでます。帝人が俺の髪を梳くようになでる。俺は帝人のこの優しい手がすごく好きだと思う。
勝手にやってろ、と静雄は手すりに両ひじをついて、ひとつあくびをした。

「にしても、よく降るな」
「ええ、朝までずっと雪みたいですから、朝には銀世界が広がってるかもしれませんね」
「お前・・・ワクワクしてるだろ」
「だって雪が積もると、歩きなれた道や見慣れた公園が、全然違う場所に見えるじゃないですか。一面真っ白に積もった雪ってすごくきれいだし。僕、そういうの好きなんです」
「知ってる」

静雄が苦笑いをしながら帝人の頭をわしわしとなでる。静雄は帝人にすごく優しい顔で笑いかける。僕だって静雄さんをなでたいのに静雄さんばっかりずるいですよ、と文句を言いながら帝人も嬉しそうに笑い返す。二人が仲よしなのが嬉しくて、俺までふふと笑ってしまう。
口元に笑みを残しながら、帝人がこちらをじっと見つめた。

「なんだ?」
「津軽さんって、雪がとても似合いますね」
「そうか?」
「瞳の色のせいでしょうか? 雪の中に立っていたら、きっと雪の精みたいに見えるでしょうね。静雄さんは、なんか燃えてるほうが似合いま・・・ひたいれす、ひじゅおさん、ほっぺつねるのやめれくらひゃい」

静雄が、それまで帝人の頭の上にあった手で、今度はほほをつねっている。帝人も負けじと静雄のほほに手を伸ばそうとしたが、残念なことに腕の長さが足りなくて、届いていなかった。
二人がじゃれあっているあいだも、空からは休みなく雪が降り続いていた。いつの間にか静雄が、帝人を後ろからはがいじめにしていた。
「ああ、寒ぃな」
そういえば俺に半纏を貸してくれた静雄は、部屋着のままだ。その腕の中にいる帝人も、そうですねと言って両手に白い息を吹きかける。静雄が帝人の両手を包むように握った。

「つめてっ・・・、なんでこんな指先だけ冷てぇんだ」
「僕、末端冷え性なんです」
「肉つけろ肉。飯ももっと食え」
「それ親にもよく言われるんですけど、ご飯をたくさん食べたところで変わるんでしょうか、体質って」
「ごちゃごちゃうるせぇ。明日は焼肉な」
「お肉食べても、すぐ肉つかないですよ。というか僕、牛肉を買う勇気ありません。あれは高級品です」
「じゃあ明日は俺もいっしょに買いに行く」
「え、ほんとですか」

帝人が嬉しそうに静雄を振り返る。帝人と間近で目が合った静雄の肩がギクッと揺れて、かたまった。
「あ、ああ」
静雄が顔を背けながら返事をしたのと同時に、部屋の中から携帯の着信音が聞こえてきた。あ、僕のだ、と帝人は静雄の腕をするりと抜けて部屋に入ってしまった。静雄は顔を押さえてうめいている。
俺は帝人がしてくれたように、そっと静雄の頭に手を乗せた。静雄は驚いて顔を上げた。風で舞いこんできた雪が、静雄の髪の上に散っている。それを払うようにその髪を梳きながら笑いかけると、静雄も少し困ったような顔で笑った。

「津軽、俺たちも入るぞ」
「うん」

せっかく帝人が入れたホットミルク冷めちまうからな、と言って静雄がガラス戸に手をかけ、先に部屋へ入っていく。俺も静雄のあとに続いてガラス戸をくぐる。ふともう一度白い空を見上げて、明日の朝、積もっているといいな、と思った。
作品名:津軽と俺たちと、雪 作家名:猫沢こま