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マフィアのボスだなんて、あからさまな貧乏くじだ。
何代もの業を受け継ぎ人から恨まれ、敬われ、踈まれ、他人を信用することなんて出来なくなる。一般的な少年期を送ってきたボンゴレ十代目にとって、人を信用できないことは何より辛かった。
昨日労い合った仲間に裏切られたことも、恋人が敵対マフィアのスパイだったことさえ、ある。
その中で背負うボンゴレの看板は重く冷たく、まだ若い青年の肩に食い込んでゆく。
ボンゴレの名と伝統はそのまま、大きな信頼と罪を指した。
ボンゴレの名の元の同盟、抗争。綱吉にはどれも耐えがたく、しかし彼は逃げることができなかった。
彼は友人達を裏社会に引き込んだ時、同時に自分の逃げ道も断ってしまったのだ。幸福に育った優しい青年は、仲間に裏切られても決して彼らを裏切ることが出来ない。
代償として自分ばかりが傷ついた。
「ひどい顔」
「ヒバリさん、お久しぶりです」
雲雀恭弥は気が向いた時にだけボンゴレ邸に顔を出す、神出鬼没の爆弾だ。
誰よりも強く、戦いに飢えた戦闘狂。ジャッポネーゼの優しいボスが連れて来た守護者たちの中で異質な男。
雲雀は集団を好まない性質からあまりボンゴレに顔を出すことはなかったし、雲雀が現れればボンゴレの人間は多くが散じりになった。
群れ嫌いの彼が綱吉に顔を見せるのは、本当に久しぶりだった。
「騙されたんだって?」
「ええ、やられてしまいました」
ベッドの上で綱吉は包帯だらけの顔を歪ませる。
先日、同盟マフィアとの会食中に爆撃を受けた。幸い死者は出なかったものの、同盟先の人間をかばって綱吉が最も爆風を食らった。
綱吉にある超直感はその日、体調不良の為に不調だった。彼の恋人が作った食事から毒物が検出されたと、同日リボーンから報告を受けている。
恋人の行方は知れない。
「何となくわかってたから、あんまりショックじゃないんです」
「馬鹿だね、危険だとわかってて食べるだなんて。捨ててしまえばよかったのに」
「だって料理の苦手な恋人が、失敗しちゃったって気にしながら出してくれた初めての手料理だったんですよ」
綱吉は苦笑しようとして失敗した。火傷のヒリつきに涙が出る。
ショックだった。鈍化した心にさえ、恋した人間に裏切られたことや、楽しかった恋人との日々が恐らくは仕組まれた恋愛だったことに傷がついて痛む。
けれど不思議なほど、心は穏やかだった。諦めに似て。
「恋も出来やしない」
「元から得意じゃないでしょ」
「ははは、まぁそうなんですけどね」
深い感傷に浸ることのない心。
それは日常が色を失い、綱吉の琴線に何も触れなくなってから彼自身が感じていたことだ。心が鈍ってゆく。
「痛い」
軽く咳き込んだ途端胸が軋み、焼けた皮膚が痛んだ。
ボンゴレ医療班の技術は大層なものだが、軽度の痛みはどうしようもないし、どうもしない。痛みは身を守る信号だ。
「薬は」
「もう飲みました。俺、カプセルってどうしても苦手なんですよね、なんだか喉に違和感が残るじゃないですか」
「僕は粉薬の方が嫌だけど」
「わかります。何にしても薬は嫌です」
雲雀の返しに綱吉は少し笑って、今度この人が風邪をひいたら顆粒状のよく効く薬と、子供用のオブラートゼリーを送ってやろうと決めた。
雲雀が体を押して無茶をする人間なのも、案外と子供舌なことも知っている。きっと喜ぶか不服に思うかして、何かしらのアクションを起こすだろう。
綱吉は小さな企みに満足して目を閉じた。
「寝るの」
「いえ。出来たらまだ話をしていたいです」
そう言うと雲雀は浮かせかけた腰を大人しく椅子に落ちつけて、静かに他愛もない話をした。綱吉も近頃の瑣末なことをゆっくり話す。
雲雀の声は穏やかで、目を閉じていると妙に安心できた。目を開けてしまえば、目の前にある鋭い瞳に細切れにされてしまう。
「もう行くよ」
「お見舞いありがとうございました」
気がつくと結構長い時間を過ごしていた。
雲雀と話をしている間に、綱吉の心からはすっかりささくれが取れたようだ。疼く痛みや悲しみの軽減されたことで、綱吉は初めて自分の傷のほどを知る。
このささくれはボスという日常の中で拾ったものが大部分だろう。綱吉は自分の痛みに鈍い。
「ヒバリさんが、」
意識しない言葉が、綱吉の口から零れ落ちる。止めようのない、沢田綱吉の言葉。
「ずっと居てくれたら楽なのに」
目を開けた綱吉の視界の端で、雲雀の瞳がきゅっと開く。
綱吉自身も自分の言葉に驚いた。こんなことは思ったことがないし、言う気もなかった。
「仲間なのに、いつも、遠いから」
苦しい。
最後の言葉を綱吉は何とか飲み込んだ。大きなカプセル剤のように、存在感だけが喉に残る。
雲雀は一瞬驚いて見せたものの、すぐに普段の顔つきに戻った。
「僕は群れるのが嫌いだ。誰かが傍にいることに、耐えられない」
「知ってます。でもあなたは優しいから。優しいのに、どうして俺を突き放してくれないんですか」
「知らないよ、そんなこと。僕は好きなようにやってるだけ、優しくなんてない」
「嘘つき」
綱吉は興奮して声を荒げた。
嘘つき、優しいばかりで、人の気持ちを揺さぶって、宙ぶらりんにして、掻き乱して。でも本当に傷を負った時には傍にいてくれる。酷い人のくせに。
熱が出始めたのかもしれなかった。体が発熱している。
興奮に綱吉の頬は赤く染まり、肺が膨らんで骨を押す。
「俺は、あなただけは愛したくなかった」
熱のせいで涙が出る。涙腺が緩んだせいで、感情の箍が外れてしまった。
押し隠し、疑い、捨てきれず大切な傷の一つとなった感情が、言葉となって流れ出す。
「あなたが優しいから、俺は」
愛することは信頼を預けることに似ている。
愛情が深いほど、期待が大きいほど、裏切られた傷は深くなるし、些細なことで傷を負う羽目になる。
雲雀恭弥は誰よりも信頼できる人間だった。
彼は自分に忠実で、他のものに傾かない。嘘を嫌い、弱い人間や彼の本能の許さぬ人間を嫌った。誰よりも強く、孤高に。
だから綱吉は彼を信じた。
中学生の頃、雲雀は恐ろしい、けれど憧れのダークヒーローだった。雲雀は綱吉を裏切ることなく、もう十年も自分勝手に、己の正義の為にと綱吉に手を差し伸べた。
絶対の信頼を持つ人は、いつしか綱吉にとって掛け替えのない人になってしまった。
「もう嫌だ」
信頼したものに裏切られるのは悲しい。好きなものに嫌われるのは胸が裂ける。
綱吉の感情は彼を裏切って、過去に殺したはずの感情を放った。
雲雀は黙ったまま、包帯に包まれた手を掴む。
焼けついた傷は痛い、しかしその傷は癒えるのだ。