変化
見事なブロンドの長髪を首の後ろで緩く束ねた青年が、窓辺に座り込んでため息をついていた。
彼はジギスムント・ヴァルケ。人ならざる種族の血が流れている。
彼は少年だった頃の記憶に浸っていた。あの頃はバルドゥイン・シュヴァルツェンベックを素直に「お父様」と呼んで無邪気に振る舞っていたものだ、と。
伸びる一方の身長といい、戦う間に鍛えられた体格といい、ジギスムントの体はいつの間にかバルドゥインを追い抜いていた。無論、力の差は逆転せず歴然としているが。
自分はもうバルドゥインを父と呼ぶにはいささか不適切な外見年齢になってしまったのではないか。そう思うようになってしまったが故のため息だった。
二人だけの晩餐が終わり、後片付けも済んだ。伝えるなら今をおいて他にない、とジギスムントは意を決してバルドゥインに話を切り出した。
「お父様」
「どうした、ジギスムント」
何の気なしに己の白金の髪を指で弄んでいる姿さえ、それがバルドゥインならば途方もなく美しい。
思わず見惚れてしまったジギスムントは、いつまでも眺めていたいがそれよりも用が先だと気を取り直して、ぶっきらぼうに告げた。
「もう、この呼び方はやめる」
なかなかの暴れん坊だがこれまでずっと従順だったジギスムントのその宣言に、バルドゥインははてと首を傾げた。
家族として接してきた子供がある日いきなりお父様と呼ぶのをやめると言い出すその理由とは。
自身が子供であった頃を思い出し、すぐ頭に浮かんできた若者特有の現象を口に出した。
「反抗期か?」
「ちげぇよ!」
「ならば、何故だ」
ジギスムントはぐっと言葉に詰まったが、慕っている男から真赭の瞳で見つめられ、黙ったままではいられなくなってしまった。バルドゥインには逆らえない。
微妙な恥ずかしさを覚えながら、ぼそぼそと理由を口にする。
「もうガキじゃねえし……オレの方が体デカくなってきたし……そろそろやめた方がいいかと思ってよ」
「……ふむ」
軽く顎に手をやり考え込むバルドゥインはそれだけで彫刻のごとく麗しい。
またもや見惚れていたジギスムントは、しかし次の言葉で一気に現実に引き戻された。
「ではジギスムント。俺の名を呼んでみよ」
「……っ」
ジギスムントは口を開けなかった。確かに父と呼ぶのをやめるなら、名前で呼ぶしかない。だが、まだ覚悟が足りていなかった。
自分を苦痛の日々から解放してくれたバルドゥインを、初めは純粋に慕っていただけだった。それがいつしか、褥を共にしたいと思うようになっていた。その気持ちを自覚してからも「お父様」という言葉で蓋をしていた。
そんな愛しい相手を名前で呼ぶ。バルドゥインを父と慕う子供ではなく、ただのジギスムントとして。
身の内に渦巻く愛情を、欲望を、命すら差し出せる激しい感情を、もう隠してはいられない。
バルドゥインは既に知っているのかもしれないが、わざわざ向こうから指摘してくるような事はなかったし、それにこれはジギスムントの問題だ。他者に暴かれるのと自ら露にするのとでは違う。
これらは宣言を決意する前からわかっていたのだし、ジギスムントも覚悟していたはずだった。だがいざその段になると、秘めた想いが露になるのを躊躇ってしまう。こうして最後の一歩が踏み出せずにいる。
「何を迷っている」
ジギスムントの苦悩など気にもならないのだろう、バルドゥインはにべもない。冷徹な声が響く。
「もう子供ではないと言ったのは他ならぬお前だぞ」
正しい事しか口にしていない麗人を、ジギスムントは睨むような苛烈な眼差しで正面から見つめ、重い口を開いた。
「……バルドゥイン」
「バルド、だ」
「……バルド」
絞り出すような声音で紡がれた己が名を聞き、バルドゥインは表情を一変させて、白皙の美貌に微笑を刻んだ。
「よくできました、というやつか」
褒めながら、ジギスムントの金髪にぽんと手を置く。そのままぐしゃぐしゃと豪快に頭を撫でる。
撫でられている側は顔を赤くして「もうガキじゃねえって……」と呟いていたが、すぐに我慢できなくなってバルドゥインに抱きついた。
「バルド、バルド、バルド!」
激しく尾を振る犬のような勢いで飛びついてきた大柄な子供を、しろがねの鬼はしっかりと受け止めてやるのだった。