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潮風に呑まれるように

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 この、やらたと目立つ容姿をしている王の友人が、ヴォルフラムは苦手だった。潮風に色褪せたような薄い金髪、細かな光の粒子を乱射する青い瞳、それに比べて顔立ちは不思議なくらい涼やかに整っている。小柄な肩や手足は綺麗な形をしているし、肌も滑らかで美しい。
 普段の双黒では近寄り難いくらいの美貌のユーリが、髪と目の色を変えて人間に変装した時、愛嬌3割増しライバル5割増しになるのに似ている。ただ、色合いが人工的でどうも胡散臭く、それがまた彼の奇妙な愛想の良さに拍車をかけていた。黙っていれば、嫌味なくらい美形なのに。
 つい不躾にじろじろと眺めてしまう。不意にその青い瞳が近づいてきて、ヴォルフラムは思わず後ずさった。間近で見るには心臓に悪い容貌だ。赤くなった頬を見逃さず、彼はくすっと吐息を漏らし、とびきり魅力的な笑みを浮かべた。
「こっちの世界では、僕や渋谷みたいなのが美形なんだっけ?笑っちゃうよ、僕がそんなに綺麗な顔してるように見える?僕と渋谷とどっちが好み?」
「ふ、ふざけたことを、そんなのユーリに決まっている!」
「おー、即答か。双黒の力は偉大だね。じゃあ、君にだけ特別に教えてあげるけど、実は僕も黒目黒髪なんだ。これは染めてるだけ。元に戻したら、渋谷といい勝負ができるかな」
「何を馬鹿な…」
「ねぇ」
 人の話を聞いていない。なのに、逆らえないような迫力がある。
 さらに近づいてくる端整な顔から目を逸らせずにいると、優しげな甘い声で彼は囁いた。
「キスしていい?」
「…は?」
「キスさせて」
 急に唇を寄せられて、ヴォルフラムは驚き、思いきり突っぱねた。けれどいつのまにか腰に回された手で、さらに引き寄せられる。かつんと重なった唇は強引なくせに柔らかく、ヴォルフラムの頬は火がついたように熱くなった。
 今度こそ本気の力で、自分を捉える体を突き飛ばす。
「やめろ、無礼者!僕に触るなッ!」
 顔から火が出そうとはこのことだ。不貞な行為に甘い官能を感じた自分が、恥ずかしくて死にそうだった。
「ふざけるのも大概ににしろ!それでも名高き大賢者か!?建国の英雄の名を貶めるような真似をするな!恥を知れ!!」

 勢いに任せて怒鳴り散らしてから、自分の乱れた呼吸と、彼の濃い沈黙が後に残る。今度ユーリに会う時はどんな顔をすればいいんだと、情けなくて涙が出そうな思いで胸を詰まらせていたから
 気づかなかった。気づいた時にはもう、彼の微笑みは冷たいものになっていた。
「やれやれ。渋谷に対しても、随分とくだけた物言いだなぁと思っていたけど…。それが君の流儀か?」
 温度の下がった空気にヴォルフラムが顔を上げると、そこには人工的な青の虹彩が奇妙なくらい煌めいていた。美しいだけに恐ろしい真顔で、彼は遥か高みからヴォルフラムを見下ろす。
 背筋に震えが走ったヴォルフラムは、自分を支えるために靴底を踏み直す。しかし彼は、その足を払いのけるという思わぬ行動に出た。変に力が入っていたヴォルフラムは、情けない体たらくで倒れ、尻を着く。
「分を弁えろ」
 得体の知れぬ恐怖に呑まれたヴォルフラムにできるのは、その言葉に従うことだけだった。母親の前でしかした覚えのない膝を着く儀礼は、慣れていないので格好も決まらない。
 けれどその行為は、心の底からの畏れの表れだった。彼にもそれが分かるのか、今はただ恐ろしいとばかり思える優しげな声を辛辣に響かせる。
「君は臣下としての自分の立場を、あまり理解していないようだね。いくら外見が上等だからって、甘く見るにも限界があるよ。聞くところによると渋谷の婚約者らしいが、王と対等の地位になったつもりでいるのか?たかが十貴族の一員が…不相応にも程がある」
 どこの国の誰であろうと、たとえ王たるユーリにでも、こんなことを言われたら腸が煮えるだろう。けれど彼の言葉は、ただただヴォルフラムを脅かし、萎縮させる。
「分かったら、少しは賢い口をきくといい。フォンビーレフェルト卿」

 知らずの内に冷たい汗が、ヴォルフラムの頬を伝った。血の気を失っているその腕を掴み、彼は力強く引き上げる。
「なーんて、本気に取っちゃった?さぁ、立って立って」
 そこにはもう、嫌味なくらい美形のくせに、やたらと愛嬌のある笑顔しかなかった。ごめんね、つい雰囲気に流されて盛り上がっちゃったよ、でも美少年に畏まれるってのも悪くないねぇと、軽口を叩く。
 鈍い光を放つ青い瞳。不意にそれが細めらた時、ヴォルフラムは反射的に身を竦ませていた。
「君は本当に綺麗な顔をしてる……。僕は好きだよ」
 蟲惑的な笑みで伸ばされた手のひらにも、再び近づいてくる形のいい唇にも、ヴォルフラムは逆らえなかった。肌の感触を確かめるように、唇を這わせられても、瞼を降ろすことすらできない。力なく垂れた指先は震え、畏れが身体を支配していたが、鼻先に香る匂いだけは甘く、耐え難かった。
 耳元に小さく音をたてて口付けると、彼はかすれた声で囁く。

「渋谷には、内緒ね」
作品名:潮風に呑まれるように 作家名:あおい