求愛の行動
最近ココの様子がおかしい。
学校に慣れてきたのか、生徒の指導とか授業の準備とかで、何やら理由を付けて帰宅時間が遅くなった。ナッツはナッツで軌道に乗り始めた店の経営に忙しく、夜には2人とも疲れきっていることが多い。
だが、騒がしいけど頼もしい少女たちのおかげでピンキーはまあまあ順調に集まっているし、この世界での生活は充実していると言ってよかった。
だから、なのだろうか。ココは変わった。妙に人間っぽくなった。
のぞみたちは不思議に思うかもしれないが、人間の姿に変身すると喋り方から性格まで全て変わるように見えて、中身は全く変わらない。いくら外見が普通の成人男性でも、自分たちは人間ではない、人間を装っているのだ。
ココはその擬態しているはずの人間に限りなく近づいていくように思う。疲れているだろうに、修行だからと言って眠るときも元の姿に戻ろうとしない。ちょっとやそっとの衝撃では変身が解けることはなくなり、1日中人間のままでいるときもあるくらいだ。
そうしていると、まるで本当に人間のようではないか。
ナッツはココが恋しかった。元の姿のココが恋しくて、たまに無性にふわふわしたしっぽに触りたくなり、それができなくて悶々としていた。スキンシップの好きなココのことだから、以前は1日に何度もじゃれ合っては、さりげなくしっぽを重ねて満足していたのに。
けれど、ナッツにはどうしても自分から言い出せなかった。「お前と触れ合えなくて寂しい」などと。元の姿に戻れば少しは素直になれるかもしれない、だが変身を解こうとしないココの前でそれを言うのは、とても馬鹿げているように思えた。
自分がこんなことを考えていると知ったら、ココは間違いなく「素直じゃないなぁ」と苦笑するだろう。それから肩に手を回して、嬉しそうににすり寄ってくるのだ。以前なら。
今のココは……困惑して引き下がりそうだ。ナッツはそれが悲しく、いっそうに寂しかった。
その日も、ココは遅くまで起きて勉強していたようだった。やっと教師としての自覚が出てきたらしく、最近は熱心に色々な本を読んでいる。パルミエ王国にいた頃はココが真面目に勉強するところなど想像もできなかったのに、ナッツはしみじみ驚き、少し動揺していた。
だから、その間はあまり近づかないようにしていた。なぜか深夜になって目覚め、一緒に使っているテレビのある部屋にまだ灯りがついているのを見つけても、覗いて声をかけるのを躊躇った。
ココはやはり人間の姿のままでいて、テレビの画面を食い入るように見つめている。人間のナッツより短めの髪の毛は、ふわふわのしっぽとは比べものにならないけどちょっと柔らかそうで、そのときナッツは初めてその髪に触れてみたいと思った。
それにしても、騒がしい番組だ。テレビは服を脱いだ男女がベットの上で絡み合う様子を映していた。しきりに声を出して、忙しなく小刻みに動き、落ち着きがない。こんな映像が教師の仕事に役立つのだろうか。
何だかココがとてもアホらしいことに精を出しているような気がしてきて、ナッツは腹がたってきた。
「何してるんだ」
「ココーッ!?」
ココは飛び上がって驚き、ソファから転がり落ちた。わざわざ人間の姿になって、肩に手を置き声をかけた甲斐があるというものだ。いつもココにはこうやって背後から驚かされるので、ナッツは久々に清々する思いだった。
ココは元の姿に戻りはしなかったものの、情けないていたらくで床に尻を着いて、口をぱくぱくさせている。その間にもテレビの男女はよく分からない激しい運動をしている。
アン、アン、ア、あーッ、ダメ、イク…、イッちゃう、らめェェェ
「これは何の番組だ?」
「なななな何でもない、何でもないんだ、気にしないでくれ!!」
ココはテレビを動かすリモコンを引っ掴むと、大慌ての操作の末やっと映像を止めた。それでナッツは、ココがテレビではなくビデオを見ていたことに気付いた。
途端に室内はしんと静まりかえる。ココはうつむき、決して顔を合わせようとしない。結局ココが何をしていたのかナッツには分からないが、ものすごく後ろめたいことをしていたのだということは、よく分かった。
「ココ?」
「………ごめん。ちょっと興味があってさ。こっちの世界では、こういうのがすごく流行ってるんだ。本屋にもビデオ屋にもわんさか…いや、教育上よくないものだとは分かってるけど、それはよく分かってるんだけど!つい!ごめんなさいっ!」
平謝りするココは自分がよく知っている幼馴染みのココで、ナッツは安心した。
すとんと隣りに腰を下ろす。ココは居心地悪そうにもぞもぞと身じろぎするが、逃げたり体を離したりしようとはしなかった。
それからしばらく沈黙が続く。
こうして2人きりでいるのは、実はとても久しぶりだった。
穏やかな時間の流れに、ココも落ち着きを取り戻したようで、優しい声で口を開く。
「なあ、ナッツ」
「何だ」
「…キス…していい?」
「キス?」
「前にしただろ。人間の恋人同士がやるってやつ」
「あぁ…」
「いい?」
それは相手の了承を得ないとできない行為なのか、どうなのかナッツにはよく分からなかったが、恋人同士という言葉の響きにはときめいていた。
だから、頷いた。
「いいぞ」
「うん」
ココは嬉しそうに頷き返してから、ゆっくり顔を近づけてくる。
何度か唇が触れて、すぐに離れた。
「ナッツ、こういうときは目を閉じるんだ」
「そうなのか?」
「うん」
確かにココは瞼を伏せている。それでよく鼻がぶつからないものだと、ナッツは感心していたのだが、素直にココに従うことにした。
また触れては離れる、見えないのに感じる、互いの体温と息づかい。
「気持ち悪くない?」
「あぁ、…だが」
「気持ちよくもない?」
「なぜ人間はこんなことをするんだ?」
「これが人間にとって求愛の行動だからだよ。僕たちがしっぽを合わせるのと同じ」
それを聞いてカアッと赤くなるナッツに、ココは笑みをもらす。
いつものココだった。ナッツはとても嬉しくなり、微笑みを返した。
薄ら頬を染めたココが目を伏せる。今度は自分から唇を重ねる。偶然触れあった手を指先まで絡ませる。
自分がココを求めるように、ココもまた自分を求めているのだと、感じることが何よりナッツを満たしていた。
(できればこのまま――)
元の姿に戻り睦み合いたかった。
けれどココは、熱に浮かされぼんやりした瞳をしていたかと思うと、いきなりばっと身を離す。それから上着の裾を掴んでぐいぐい下に伸ばそうとする、意味不明な行動に走る。
「ココ?」
「いや、あの…その…」
「どうしたんだ?」
心配して顔を覗き込むのに、ココはそれを拒んだ。
うつむき肩を竦ませる。
「………ごめん」
悪いけど、出て行ってくれるかな。
紛れもない拒絶の言葉が続いても、ナッツは大して驚かなかった。心のどこかでそんな気がしていた。無言で腰を上げて部屋を出ても、ココは呼び止めない。
つまり、そういうことなのだ。
ココの変化をナッツは責めたくなかった。だが、寂しかった。とても寂しかった。