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言葉にならない本当は

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暗い部屋の中で聞こえてくるのは、テレビの音だけだ。そこに映る画面の中では、歓声と怒声が入り混じっている。そしてその中を、良く見憶えのあるユニフォームを着た男達が、見覚えのあるフィールドで駆け巡っている。
(もうすっげー弱ェのっ!)
(ここ最近、勝った試合なんて見た事ないもんなぁ)
 今テレビの中で駆け巡っている選手達を応援している者達は、皆が口を揃えてそう言った。このチームは万年負け組の情けないチームだと、皆がそう言って、呆れた様に首を振るのだ。
(まー、確かに、これじゃ勝てる訳がない)
 もう彼是三時間はテレビに食いついて試合を見ている。こうして試合を見ていると、時間を忘れてしまうのは悪い癖だと、一体何度誰かに怒られた事だろう。それが今まで何度あったかなんて、多過ぎて彼は覚えては居ない。
「お前、まだ起きてたのか?」
 ガチャリと彼の後ろのドアが開いた音にも気が付かず、突如聞こえてきた声で、漸く彼は後ろに居た人間の存在に気が付いた。声で振り向けば、そこには男の姿。
「よー、後藤。お前もまだ残業してたのかよ?」


 万年最下位で、残留争いばかりをしているチームのGMを務めている後藤が、イングランドまで一人の男を迎えに行ったのは、まだ記憶に新しい出来事だ。
 一度はこのETUから離れ、海外へと旅立ってしまった男。後藤は広報である有里を連れ、彼を追いかけて海まで渡った。それも何もかも、その男ならば窮地に立たされたETUを救ってくれると信じたからだ。
 現役時代から突飛な戦術ばかりではあったが、それでもずば抜けて素晴らしい選手だった。その彼が今は、イングランドで監督をしている。彼のチームがどれだけ凄いのか、海を渡った時の後藤には分からなかったが、実際それを目の辺りにした時は、やはり己の感は当たっていたのだと、心の底から喜んだ。達海のチームは下も下の、イングランド五部のチーム。それが何と、後藤や有里の前で、プレミアチームまでを倒して見せたのだ。
 それがどうにか後藤の念願叶って、その後達海はETUの監督して迎える事となる。久々にこの場へ戻ってきた男は、感慨に浸る間も無く、チームの資料を寄こせと要求してきた。
 弱いチームを育て、いかにトップクラスのチームに勝つか。今の達海はそんな事ばかりを考えている。いや、今に始まった事ではない。昔からずっと、この男はそうだった。フットボールばかりを追いかけて、今でも夢中のまま。それ以外他に、彼の頭には入る余裕がないという程だ。


 日本に帰ってきたばかりで、どこに住むんだ、住む場所を世話してやろうかと後藤がそう言えば、達海は首を横に振った。じゃあどうするんだと尋ねれば、『ここでいい』と、ただそれだけの短い返事。最初は何の事だか分からなかったが、それはどうやら『クラブハウス』の事だったらしい。冗談かと思っていたが、彼の言葉は嘘でも冗談でも無く、本当にそこに住み着いてしまった。後藤が家に帰ろうと、部屋の横を通る度、いつもその部屋には明かりが点いている。電灯のではなく、テレビのだ。
 部屋の扉を開ければ、いつもテレビには試合の映像が映っている。どこの試合かだなんて知れている。勿論それはETUのものだ。そうでない場合は、次の試合の相手チーム。達海は研究する事には余念が無い。
「達海、まだ起きてたのか?」
 後藤の手首に巻かれた時計の針は、既に日付を越えた頃だ。そう言いながら部屋に入ると、達海が驚いた様な表情を浮かべた。だがそれも一瞬で、直ぐに彼はへらりと笑う。
「後藤、お前こそ、まだこんな時間まで残業か?ご苦労な事で」
GMともなると、お仕事沢山なんですねーと、達海が茶化して見せれば、後藤がそれにぴくりと顔を引きつらせた。
「俺にもやる事は色々あるんだよ。俺は忙しいの」
「俺だって忙しいんだぜ?ETUを勝たせなきゃ、俺の飯の種が無くなっちまうからなぁ」
話しているのに、未だテレビの画面にかじり付いたままの達海の姿。後藤の言葉に返事は返すが、目線はずっと画面の選手を追っている。きっと、この試合が終わるまで彼はそのままだろう。後藤はこのまま帰ってしまうのも何だと思い、部屋の扉を閉めると、達海の横に座った。


 達海がETUを辞め、海外へ旅立った日。そしてこうして彼がETUの監督として帰って来るまでに、十年かかった。その十年の間、後藤は達海の事を、一日足りとて忘れた事は無い。
 後藤はずっと、彼の事が好きだったのだ。勿論それを達海も知っているし、達海も後藤に対して同じ感情を持ってくれているのだと信じていた。そうでなければ、達海が同じ男である後藤に対して体を開く事など無かったと、そう思っていたからだ。だが、二人の別れの日は、余りに突然にやってきた。
「…うし、」
テレビの画面が、ETUの試合から何も映さないそれへと変わった時、達海からそんな声が上がった。彼がその場から立ち上がろうとすると、そこで漸く隣の後藤に気がつく。
「あれ、お前、まだ居たの?」
「…居ちゃ悪いのか」
「うそうそ。分かってたってば」
漸くテレビから離れたと思えば、今度は後藤に擦り寄ってきた。何だと尋ねれば、『別に』と答える。全くもって、この達海という男は後藤には理解しかねる。
「後藤、お前この後、まだ時間ある?」
「時間?…まあ、別に急いじゃいないが」
「じゃあちょっと、俺と楽しい事でもしねえ?」


 突然離れて見せれば、また別の日はこうして擦り寄って来る。まるでそれは猫の様だ。そう言えばきっと彼は怒るに違いないだろうが。
 狭いベッドの上で、自分よりも小さい体を抱き締める。十年前とまるで変わっていないそれに、思わず涙が出そうになる。それは自分が年を取った所為かと、今度はそんな逆の事を考えてみる。
「う、…うあ、」
「…達海」
上がる声すらも愛しい。やはり自分はこの男がどうしようもなく好きなのだと、改めて思い知らされる。そうでなければ、イングランドまで迎えに行ったりはしなかっただろう。いや勿論、あれはETUの為でもあったが、葉書一枚を手にあの場まで走っていく程、後藤は達海に対して、十年前と変わらぬどうしようもない想いを抱えているのだ。
「ご、…とー、…そこ、いい…」
「…んっ」
耳の側の熱っぽい声に、頭がどうにかなりそうだ。自分にしがみ付くその腕に、どうしようもなく愛しさを感じてしまう。
「達海…っ」


 もし今度、十年前と同じ、急に彼がここから出て行ってしまう事があれば、その時はあの時と違って、間違いなくその後を追いかけるだろう。今度は絶対に、あの時と同じ後悔しないように。
(お前、もし俺がその時に、)
走り出そうとしているその腕を捕まえて、彼が振り向いた時、あの時伝えられなかった言葉を、今度こそ伝えるだろう。
(俺がお前に愛してるって言ったら、…お前、どうする?)
きっと自分がそう言った時、彼は酷く驚いた表情をして、言葉を詰まらせる事だろう。いつも飄々としているくせ、押される事に酷く弱い。その時こそ、自分は彼に今度こそ告げなくてはならない。
(今度こそ、俺はお前を放さない)
作品名:言葉にならない本当は 作家名:とうじ