ブロ、襲来
オレはブロッコリーが食えない。
親にはいつまでも子供みたいな事言ってないの! って言われるけど、嫌いなんだからしょうがない。
鮮やかな緑のブロッコリーは投入するだけで簡単に料理に映えるから、外食すると頻繁に出会ってしまう。そういう時は少しだけ申し訳無いと思いつつ残させていただく事で問題を解決してきたオレに、ついに不可避の時がやってきた。
合宿で、鉢合わせ。
うちの部には、食事を残すとあの田島ですら瞬殺されたまずいプロテインを飲まなくちゃいけないという鬼ルールがある。ブロッコリーにはヨウサンとかいう栄養素がたっぷり含まれている、ってシガポが言ってた気がするけどそんな事今はどうでも良い。とにかく何とかしなくちゃ、と困ったオレはこっそり隣のヤツの皿に引っ越しさせる事にした。
「さかえぐち」
「?」
コソコソと話しかけると、口いっぱいに食べ物を頬張り、とても会話が出来る状態ではなさそうな栄口が視線だけで何? と問いかけてくる。
「ブロッコリー、食ってくんねー?」
一瞬目を丸くしてからすぐに事情を察知したらしい栄口は、コクコクと二回頷いて自分の皿を静かにオレの方に寄せてくれた。
「ありがとー」
今度栄口が嫌いな食べ物が出たら、オレが食うから! と感謝の意を囁くと、目を細めて大きくうんうんうん、と三回頭を上下させる。
栄口が隣で良かった。他のヤツじゃ、こうは円滑にミッションを遂行出来なかっただろう。
それ以来、オレはなるべく栄口に側にいるようにしている。いつ何時、ブロッコリーが現れても大丈夫なように。
そんな訳で会話の増えたオレ達は、休みの日に一緒に出掛けるぐらいに仲良くなった。
服を買いCDをチェックした後、昼飯を食おうと適当に入ったファミレスのメニューにはやっぱりアイツが溢れている。
「ねー、さかえぐちー」
「んー?」
ここ、ちょっと高いねーなんて言いながら天丼と蕎麦のセットの写真を凝視していた栄口が顔を上げた。
「オレ、これ食べたいんだけどブロッコリーが入ってるんだよねー」
「イカとたらこのスパゲティー……」
「食ってもらっても良い?」
「あー、うん、いいよ」
あれ? ちょっと歯切れ悪い? と何か引っ掛かりを感じていると、タイミングが良いんだか悪いんだか店員がオーダーを取りに来て結局有耶無耶になってしまう。
この後どこ行こうか、なんて話をしている内に注文した料理が運ばれて、ここに乗せていいよ、と栄口が差し出してくれた漬け物が入っていた小皿に、オレはたっぷりたらこが絡められたブロッコリーを二つ置いた。
事あるごとに、むしろ無くても栄口の元へと足を運び、もうこのままうちのクラスで授業受けていけば? と巣山に言われるようになったある日の朝練中、ちょっと派手にすっ転んだオレが阿部の怒声を背中に受けながらベンチへ戻ると、篠岡がホワイトボードを眺めていた。
「あ、しのーかおはよー」
「おはよー。転んだの? 大丈夫?」
「うん、一応消毒だけしておく」
傷口を洗い、手伝おうか? という申し出を断って救急箱を漁っていると、メモを片手におにぎりの具を考えているらしい篠岡の独り言が聞こえてくる。
「すじこがあるけど、一位は栄口くんだから二位グループに回そうかな」
よし、と次の作業に向かおうとする篠岡に、栄口、すじこダメなの? と話しかけると返ってきたのは驚愕の事実。
「なんかね、魚卵ダメなんだって」
美味しいのにねー、と笑う篠岡の声が遠く聞こえる。
何で? 何であの時言ってくれなかったの?
嫌いなら無理に食べる事ないじゃん。
オレ、たらこ苦手なんだーって言えば済む話じゃん。
親友だと思えるぐらいに仲良くなったヤツの嗜好を、第三者から聞かされた事が無性に腹立たしくて、悲しかった。
グラウンドに目を向け、沖と顔を寄せ合って何やら確認している栄口を見つめる。元の位置に戻る間際、沖の肩を叩いて笑い合う姿すらオレを苛立たせた。
そんな顔、オレ以外のヤツに見せんなよ!
思わず呟いてから、あれ? と我に返る。
これは嫉妬だ。
オレ、栄口の事が好きなんだ。
一つ回路が繋がると、次々に心の中で明かりが灯った。そうか、そうなんだ、と徐々に赤らむ頬を押さえ、わー! と下を向いて込み上げてくる気恥ずかしい感情を噛みしめていると、ふいに頭部に何かが触れる。
確認する間もなくそのまま握り潰さんばかりの力が加えられ、甘い溜息は悲鳴へと変わった。もはや恐ろしくて顔を上げる事すら出来ない。
モモカン、怒ってる……!
次の休み、オレは再び栄口を誘って遊びに出掛けた。あのスパゲティー気に入ったからこの前と同じ店に行きたいと告げ、栄口が一瞬怯んだ事には気付かないフリをしてさっさと入ってしまう。
「ねー、ブロッコリー」
「いいよ、食うよ」
席に着くなり発したオレの甘ったれた言葉を栄口は途中で切って、引き攣った顔を隠すように笑った。まだ隠し事をされている事が悔しくて、やっぱ今日は別のもん食う、と不貞腐れて告げると、栄口はほっとしたような不思議そうな何とも表現し難い顔をする。
「たらこのスパゲティーが食いたかったんじゃないの?」
「栄口が無理するからいい」
たらこ、食えないんでしょ? と非難するように視線を向けると、栄口は曖昧に笑った。その他人行儀な態度に、もうどうにでもなってしまえ、と投げやりな気分になる。
「何で黙ってたの?」
「……お前に頼られるの、嬉しかったから」
「何それ。オレがお願いすれば何でも聞いてくれるの?」
「……まあ、オレに協力出来る範囲でなら」
「じゃあ付き合ってよ」
オレ、栄口が好きだから。
真っ昼間の騒々しいファミレスで、ムードのかけらも無い告白。
栄口はえ、と声にならない言葉を出しかけた所で全ての機能が停止してしまったようだった。
「ねえ、聞いてる? 本気だからね?」
テーブルの上に置かれた栄口の手にそっと触れると、ビクッと体を震わせ、急速に頬が色づいていく。
「さかえぐち」
「……わかった。いいよ。けど、条件がある」
これ以上無いってぐらい真っ赤に染まった顔を隠すように俯いて、栄口はメニューを指さした。
「いくら、食って」
冬のオススメ、鮭いくらご飯とうどんのセットの写真に目を移すと、さっきの栄口の言葉が頭の中で何度も響く。
そっか、好きな人に頼られるってこんなに幸せなんだ。って事は、栄口もオレに友達以上の好意を持っていてくれたって事?
「栄口が望むなら、オレ鮭が絶滅するまでいくら食うよ!」
「お前……バカじゃないの?」
痛風になるぞ、と照れ臭さそうに睨まれて、こんな顔も見せてくれるなら何て罵られてもいいやとすら思えてくる。
「いいからさっさと決めろよ」
「じゃあシーフードドリアにする」
大して食いたい訳じゃなかったけど、ど真ん中に一つ埋められたブロッコリーを栄口が食ってくれる所を想像したらそれだけでもの凄く旨い食べ物な気がした。