夢・出会い・魔性
アムロは珍しく(も、はないのだが)不機嫌の色を露にして、午後の日差しが差し込むリビングから、書斎の扉を明けっ放しにして仕事をする金髪の男の背中を睨みつけていた。面白くない、というより気に入らない。
大体、つい先日までは気が散るからと言って仕事中は書斎の扉を天岩戸よろしくぴっちり閉めていたくせに。
ニュータイプではないのだろうが、アムロのそんな不機嫌なオーラを感じ取ったのか、ぴょこり、とシャアの膝の上から小柄な物体が飛び降りた。
かしゅかしゅかしゅ、とフローリングが擦れる軽い音を立てて、アムロの不機嫌の原因がこちらにやってくる。仏頂面は崩さないまま、アムロはゆっくりとそちらに片手を差し出した。僅かに黄金の色が混じった真っ白な毛並みの生き物が途中で足を止め、そろそろと警戒するように近づいてくる。
ああ、こいつ名前のくせに何時まで経っても俺に慣れないな、と思うと不機嫌のレベルが更に一段階上がった。
「こっち来いよ、ν。シャアの邪魔しちゃ駄目だろ」
「そんなことはないぞ、アムロ。それに、そんなに険のある声で呼ばないでやってくれたまえ。νが怖がってしまう」
途端、書斎のデスクからかかった声にアムロは軽い舌打ちを禁じ得ない。ええぃ、とかちぃ、とか呟きたい気分だ。どうしてこんな時ばかりは地獄耳なのか、あの人は。
ちぎれんばかりに尻尾を振る愛くるしい白い犬の首根っこを掴んで半ば無理矢理に抱え上げながら、アムロはじろりと椅子ごとこちらを向いた男を睨みつけた。
「いいから仕事しろよ。νばっか構ってないでさ」
「何を言う、νはいい子だぞ。邪魔でなどあるものか」
言い返され、この宇宙の名だたる美女達にもよろめきすらしなかったくせに、なんだってこんなちっこい魔性の獣に誑かされて骨抜きになるかな、とアムロは盛大にため息をつきたくなった。
「そんなこと言って、朝飯前に終わるなんて言ってた仕事が昼飯前になっても終わってないじゃないか」
どうなんだよ、と犬を盾に問いかけると、金髪の男が珍しく僅かに視線を逸らした。どうやら、些かならず疾しいものはあるらしい。
大体において、アムロの腕の中から逃れようとじたばたもがくこの甘ったれな動物は、一目惚れしたとかでやたらと甘いシャアにすっかり懐いてしまっていて、眠る時等ちゃっかりベッドにまでついてくる。最も、アムロが居る時は絶対に許さないのだが。
それでも仕事が忙しくてアムロが家に帰れない日が3、4日続こうものなら、一体どの位この犬をつけ上がらせていることか。しかも、この犬ときたら今や立派にシャアの「本妻」の地位をアムロと争っているつもりすら伺える。
大体、エレカの前に飛び出して来たのを慌てて避けて(アムロの神業級のドライビングテクニックだからできたことだ!)拾って来たのも、その毛並みの色から「ν」という名前を付けたのもアムロだった筈なのに、すっかり恩を仇で返されている気がしなくもない。
「……ところでアムロ、昼食と言えば、君は食事を取ったのかね?」
「……むしろ、やっと俺の事思い出したのか、と言いたいね」
あなたが食べてないものを俺が食べている訳がないだろう? そんな拗ねた思考をぶつけてやると、やっとばつが悪そうな微笑が浮かぶ。
「何か作ろうか。まだ少し肌寒いし、暖かいポトフでもどうかね?」
僅かにおもねる口調に、アムロが騙されるものかと唇を尖らせる。
「こないだみたいに、νの分も一緒に、とか言って塩気のない肉とか魚とか出したら、家出してやるからな」
あれは酷すぎるだろう、幾ら何でも!
もっと大事にしてくれないと逃げて行くぞと言いたげな鳶色の髪の青年の、珍しく嫉妬を全面に押し出した口調に金髪の男はしばし青い瞳を大きく見開いた後、にっこりと秀麗に微笑んで言った。
「分かった、じゃあν用に塩の入っていないのを作ってから、鍋を分けて味付けをして、二人で食べようじゃないか」
いいだろう、と言った瞬間に琥珀色の瞳を灼熱に燃え上がらせた相手から戦場で相対した時のような物凄い敵意に満ちたプレッシャーをぶつけられ、もういいとしっかり犬だけは抱えて足音荒く部屋を出て行くアムロの後ろ姿を呆然と見送り、シャアは低い声で呟いた。
「ドライフードだけでは栄養が偏るから、手の込んだものを食べさせろと言ったのは君の方だったと思うのだがな……」
本当にあの一人と一匹はよく似ている、と目を細めるシャアの様子は、どう考えても魔性の白い悪魔達に骨抜きにされている哀れな獲物といったところで。
寵を競い合う羽目になったアムロの平穏な日々が戻って来るのは、どうやらもう少し先の話になりそうであった。
終。