恋人
本来ならば彼女は武将達の居並ぶこのような宴席になど侍らなくても良い身分であったが、彼女の舞の評判を聞きつけた領主が是非にと望み、半ば脅しめいたお召しをとうとう断り切れず、館の宴席で舞を披露する運びになったのだ。
朱を刷いた瑞々しい口唇が謡を紡ぎ、少女は艶やかに無骨な男達の前で舞う。
白鷺のような立ち姿に惚れ惚れとする男達の中で、一人だけむっつりと下を向いたまま杯を傾けている男の姿があるのが気になって、少女は舞を終えた後、賞賛の声を掻き分け、男の側に座り込む。
「ねぇ、私の舞は、そんなに拙かったかしら」
「とんでもない」
男は顔を上げた。緋色の髪の毛と、頬に走る大きな十字の傷が印象的な、整った顔立ちの若武者であった。
「拙者のような、日の当たらぬ場所ばかりを歩いてきた男には、どうも綺麗過ぎていかぬと思っただけでござる」
「あら」
満更でもない表情で、少女は微笑んだ。
「ねぇ、あなた。気に入ったわ、うちにこない?」
「……へ?」
「ねぇ、お願い。私、無事に屋敷まで帰りたいの。本当は、こんな所に来るつもりはなかったのに……」
ねぇ、と男の纏う赤い着物の袖を引く少女の白い指先が微かに震えているのを感じ取って、男は僅かに眉を顰めた。
「どうしたのでござるか? 舞は無事に終わったのでござろう」
不思議そうに言いかけて、男ははたと気付いた。そういえば、宴の前に朋輩達がお館様が新しい側女にしようと所望しているおなごが居るらしいと噂していたが、もしやこの少女のことであったのか。
「何故に拙者に?」
「それは、あなただけが私に興味を示さなかったからよ」
「……仕方もない」
男は傍らに携えた大刀を手元に引き寄せ、少女の方を向いて笑った。
「見過ごせぬ辺り、拙者にはやはり流れ稼業が似合いということなのであろう。……名は」
「薫」
「拙者は緋村剣心と申す。ただの流浪人でござる、たった、今から」
宜しく、と慌ただしい自己紹介を交わした青年は、次の瞬間には少女の手を引いて立ち上がって走り出す。
闇に翻る赤い髪の毛に必死で着いて行きながら、もしかして自分はとんでもない男を選んでしまったのではないかと、今更のように薫は不安に思ったのだった。
***後日談
「剣心、けーんしんっ!」
名前を呼ばれ、薪を割っていた男が顔を上げる。
「どうした、薫殿」
「あ、いたいた剣心。ねぇ、ちょっと見て貰えないかしら」
そう言った彼女は見たことのない瑠璃色の着物を着ていた。よく少女に似合う衣に、剣心が目元を緩める。
「よくお似合いでござるよ」
「そう? 衣の片づけをしていて、母さんの着物を見つけたから、ちょっと袖を通してみたの」
少しはにかんだように言うと、少女は剣心の側に降りてきた。
「剣心用にも、少し父さんの着物を出してみたから、合わせてみてくれないかしら。丈が合わないようなら縫い直すから」
「あ、いや、拙者は……」
「この位はお礼させて、ね?」
結局、領主の追っ手や嫌がらせなどが続いたためにすっかり出立の機会を逸してしまっている剣心に、薫が手を合わせた。
「仕方ない……。それでは、お借りさせていただくことにしよう」
苦笑した剣心は、ふと庭先に咲いた花が薫の着物に似合うのではないかと思って折り取って髪に挿してやろうかと考えたが、これ以上この少女に深入りする自分が怖くもあり、すんでの所で思い止まったのだった。