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理由の欲しいひと

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一度だけ、一度だけ。聞いたことがある。それが過ちであったのか、俺には判断できないでいるが。
 軽薄な笑みを浮かべて俺を見る男に向かって“なんでこんなことするんだ”と。
 答えが欲しかったわけじゃない。俺はその答えを自分の中に既に見つけて割り切っていたから。
 今さら、目の前の多弁で戯言を駆使し人間の中身をかき混ぜる男にそんなことを聞いても、俺にとってはクズでしかない言の葉で飾り立てた意味もない、ただ俺を怒らせる言葉が返ってくると知っていた。
 しかし、それが分かっていて何故俺はそれを男に尋ねたのか。
 ポッと内面から浮かび上がった言葉の意味を俺は知らない。自分でもわからない。
 世の中なんて分からないことだらけなんだから仕様がないかもしれないけれど。それでも自分のことが分からないというのは、自分でもどうかと思う。

「シズちゃんは、なんでだと思う?」

 男は、案の定回りくどい道をひき始めた。
 彼が大嫌いな俺に対して直ぐに答えを提示するなんて親切な真似をするわけがなかった。否、言葉遊びの大好きな奴のことだ、相手がだれであろうと同じような対応をしただろう。
 内面にグツグツと沸騰し溢れだした怒りを、咥える煙草を噛みしめることで僅かながら発散させる。

「なんでだと思ってる?シズちゃんはそれを聞いてどうするの?納得したい?この行為に意味が欲しい?」

 捲し立てられる言葉の最後にクエッションマークの乱舞。
 苛立ちのあまり煙草を噛む顎に力が入りすぎた。ぶち、と口の中で二つに分かれてしまった、それを忌々しく俺はそこらへんに吐き捨てた(罪悪感はない。何故ならここは目の前のクソ野郎の部屋だから)
 俺の額に浮かび上がる青筋。自分でもわかるんだから、目の前にいる男は既に気づいているだろう。
 しかし、男は言葉を続ける。俺の逆鱗を舐めあげて、激怒させる。それが愉快であると言わんばかりの笑みで。
 自分が彼に意味を尋ねた行為を思わせるように、そっと顔を近づけて、鼻先が触れるか触れないかの至近距離。互いの呼吸が混ざり合う。視線もついでに絡み合って、俺が不快さを全面に表わすと同時に、彼は目を細め厭らしく微笑んだ。

「愛して欲しいの?」

 たとえば、人は息をするのに息をしようと常々考えているだろうか。常々、瞬きをしようと瞬きを意識しているだろうか。
 ――臨也を殴るのに、殴ろうと思考するだろうか。

「っははは!凄く痛い!そうだよね、これがシズちゃんの愛。俺の愛は何だと思う?」

 反射的に空を裂いた拳は、当然のように男の顔にヒットした。
 此方に接近していた男の身体は次の瞬間には部屋の壁にぶち当たり、ずるずると床の上へと崩れ落ちていった。
 ただし、男の鍛錬の賜で俺の拳の威力は大分削がれてしまっていたが、それでも彼の頬は赤く腫れあがっている(だが、それだけで済んでいるという事実が気に食わない)

「俺は相手のことを知ることが愛情表現だと思ってる。だからある意味俺はシズちゃんのこと誰よりも愛しているかも。うわ、自分で言ってて気持ち悪くなってきた」

 今日の彼は機嫌がいいようで、殴ってもそれに対しての反論がない。否、反撃の狼煙をナイフという形から言葉という形態に変えて、既に此方に殴りかかっていたが。
 

「あ、嫌そうな顔してる。いいね、ゾクゾクする。歪んでるって?それはシズちゃんとどう違うの?相手を殴って傷つけて愛を具現する。はは、歪んでるねぇ」

 笑いながら臨也は立ち上がる。腫れた頬が痛むのか一瞬顔を顰めたが、それもなかったようにまた笑って。仰々しい風に両手を広げ、彼を殴った俺へと歩み寄る。

「シズちゃんが俺を殴るから話が脱線しちゃったけど。そうだね、俺がシズちゃんにこんなことする理由」

 一歩、二歩と進む男を睨みながら見据える。すると、彼は俺から目線を外しするりと自然な動作ですぐ隣の部屋、風呂場へ繋がる洗い場の方へと進んだ。

「できたら俺もそれを知りたいね」
「は?」

 扉は開いたままなので、彼の声は大きく張らずとも俺の元へと響く。彼の言葉に呆けた返事を返す俺に臨也は「うわ、すごく腫れてる」と自身の傷の具合に驚きの声を上げていた。
 
「やだなぁ、俺にだって知らないこともあるんだよ?だから情報屋なんかして、誰よりも何よりも人間を知ろうとしてる」
「知らないって、テメぇ自身のことじゃねぇか」
「そうだよ。俺は俺のことも分からないことだらけ」

 不愉快を隠さない俺の声に軽薄な返事を返した男が洗い場から姿を現す。
 その顔には変わらずの殴りたくなる微笑が張り付いている。

「ねぇ知ってるシズちゃん。そういう自分の分からないことに意味をつけるときってね、一番手っ取り早いのが他人から評価してもらうことだよ」

 再び俺の視界の中にあらわれた男は、仰々しい物言いで優雅な歩調で開いていた互いの距離を埋めていく。

「他人の評価をそのまま自分のものにしちゃうの。楽だよ?わからないことが一瞬で理解出来ちゃう快感!――まぁ本人が納得できるようなものじゃなきゃダメだけどね」

 詭弁を並べる男の言葉を理解することなど等の昔に拒否している自分には、ただの音の連なりを聞き流した。その間にも、俺たちの距離は再び、俺が彼を殴り飛ばす前と同じほど近いものへとなっていた。
 自分がそれ以上近づくな、と文句に口を開きかけた時だ。此方の動作を止めるように、男は二人の間にピンと人差し指を立てる。

「そこで、だよシズちゃん」

 立てられた人差し指が緩やかに動いて、己の唇に触れる。
 そのまま顔を輪郭をなぞり、首筋を伝って落ちて行った男の手がグイッと襟元を掴むと無遠慮に引き寄せた。
 肌を伝う艶めかしい仕草からは考えられないような力強さと乱暴さで引かれた身体はそのまま臨也の方へ傾き――

「君は俺のこの行為にどういう『意味づけ』をしているの?」

 くちづけ、をされると思っていた俺に微かに触れる唇を動かし臨也は問いかける。
 癇癪しか引き起こさない男の言葉がはき出され、その死骸の吐息が否応なく俺へ巻きついて、どうしようもなく目の前の男を殴りたくなった。

「ねぇ参考にしたいから教えてよ」

 細く笑む、その奥に潜む狂気の赤い瞳。「しね」と言おうと口を開く。しかし、言葉は出てこない。
 教えて、と乞うたくせに俺の唇を塞ぐように接吻している男に心の内で悪態を吐き散らかした。


作品名:理由の欲しいひと 作家名:さゆ