まどろみマーブル
都市の冬、殊に夜というのは誰にも優しくない。優しくしてくれと乞う者がいる訳なんかじゃあないから、それも当然と言えば当然、なのだけれども。
「眠れぬ」
元就はダイニングへ入って来るなり、溜め息。席に着けば額とテーブルがごつんと衝突。
「どうしたよ」
「……眠れぬのだ」
眠れぬのだじゃねえよあんたいっぺん寝ただろう、どーして目ェ覚ましたんだホラホラ布団に潜りな! ……なんていつもの夜の調子でベッドへ追い遣ろうとするけれど、どうにも様子がおかしいから元親はそうできずにいる。
「子守唄でも歌うか」
テーブルに伏した元就の顔を脇から覗きこむようにして、至極真面目に言う。
「要らぬわ」
すっぱり断られたかと思えば、起き上がりに元就の右拳が元親の下顎へクリーンヒット。狙ったように鮮やかな決まりっぷり。
「要らぬが――」
その台詞をおうむ返しにしながら顎をさする元親の表情の渋いこと渋いこと。真夜中、不意打ちのアッパーカットは相当堪えるものであるらしい。
要らぬがなんだ、なにが欲しい。視線をくれてやれば、何事も無かったと言わんばかりに澄ました顔で一言。
「温めた牛乳ならば話は別だ」
「ほらよ、つくってきてやったぜ」
それから数分後、どうよと得意気に元親が持ってきたマグカップの中に満たされていたのは湯気立ちのぼるくすんだ赤茶の液体であり、どこをどう見てもにおいを嗅いでも、おそらく口に含んでも――。
「ココアではないか」
「そうだけどよ。いっつもホットミルクばかりだからたまには違うモンをと思ってな」
さあさ飲めよと勧める元親から顔を逸らした元就はまたも大きな溜め息を吐いて、席を立つ。
「貴様はこの程度の頼みも碌に聞けぬのか。無能もここまで来ればいっそ清々しく思えるな」
これだけ散々に言われれば青筋を立てて怒りたくもなるのだろうけれど、元親だけはその限りでない。彼らのように共に暮らしもすれば慣れてしまうし、なにしろ元親は時折遭遇するこんな場面を楽しんですらいたからだ。
「人に物頼むにしちゃでかい口聞いてくれんだなァ、あんたって奴は」
だから今も寝室へ戻ろうとした元就を引き止めて、キスなんかしてみた訳だ。口に含んだマグカップの中味ごと。
「おやすみ」
都市は優しくなかったが、都市に住むものは優しいのかもしれない。
それは甘くやわらかなにおいを伴って瞼を蕩けさせ、大理石に似た模様がつくる世界へ彼を落としこむ。
彼がまどろみの向こうへゆくまで、瞼の上、その大きな手はのせられたままだった。