これではまるで
これは全て、伊波まひるのせいだと。
小鳥遊宗太は思い詰めていた。
それは全て、伊波まひるのせいだと。
バイト上がりの休憩室。
変な事を口走った山田桐生を倒した宗太は着替えた後、一人で頭を抱え込んでいた。
「いったい今日は何なんだ……」
本来ならばこのまま速攻で帰り家事をしなければいけないところだが、今の宗太にはそれすらも後回しにさせる程の懸念事項があった。
「俺は、俺が、伊波さんの事を……その……」
その先が。肝心のその先が言えない。
不本意とはいえ一度は思ってしまったモノをもう一度そう易々とぶり返せる程、宗太のミニコンに対する熱い思いと年増に対する冷めた考えは安いものではないらしい。
しかし、如何にそうとて。
根が真面目な宗太だからこそ認めざるを得ない、気がするのも事実。
「俺の中での可愛いものの定義について考え直す必要があるな」
根が真面目な宗太だからこそおかしな方向に考えが行ってしまうのも、また事実だった。
「あれ、かたなし君? まだ帰ってなかったの?」
私的可愛いもの定義について絶賛更新中だった宗太に、たまたま通りかかった種島ぽぷらは疑問をもって話しかける。
ぶつぶつと呟きながら顎に手をやり焦点の合わない瞳で虚空を見つめていた宗太はぽぷらの声で我に返り、すぐさまいつものミニコン全開に戻った。
「やっぱり先輩は可愛いなぁ!」
「かたなし君!? さっきといい何だか今日はおかしいよ!?」
「……はっ! すみません先輩! くっ、こんな小さい子に心配を掛けさせるなんて俺は……」
「小っちゃくないよ!!」
ある種、いつものやりとりを終えた後。
ややあって静かになると宗太は、独り言かと錯覚してしまうくらいの音量でぽつりと言った。
「伊波さんの事で悩んでいるんです」
「伊波ちゃんの事で?」
ぽぷらはそれを聞き漏らさずにしっかりと受け止めると確認するように反芻した。
頼れる先輩としてこの心優しき悩める後輩の力になりたい、その一心で。
その話題が宗太に想いを寄せる伊波まひるに関してだったから何か後押しをしたいという、考えも多分に含まれていて。
「今日、伊波さんを可愛いって思っちゃったんです。こんな事、普段の俺なら絶対に有り得ないのに……」
「それでかたなし君、様子がおかしかったんだ?」
「そうなんです。だからどこかイラッとする所があると思ってずっと伊波さんを見ていたのですが……探せば探す程……」
「探す程?」
「なんかこう、モヤモヤしてきたんです……どうすればいいですか先輩?」
「そっかー……うーん」
今の会話を聞いてぽぷらは宗太に何をさせるべきか、考えあぐねていた。
宗太の意識はどうやらまひるにいっているようで、しかもその内容がこれとなると良い兆候だとも思う。
けれど今のぽぷらには。
いくらこの悩める後輩の力になりたくとも。
いくらこの悩める後輩に片想いをする友人の力になりたくとも。
二つを上手く丸めて解決するだけの知恵が浮かんでこない。
こんな時、轟八千代ならどうアドバイスするだろうか?
折りしもつい最近、八千代の立場になって行動をする機会があった。
その時を思い出して、八千代のように――――
「そうだよかたなし君。ダメだよ」
「え、は、何がですか?」
塞ぎ込むように頭を垂れていた宗太をぽぷらの言葉がすくい上げた。
「イラッとする所なんて探しちゃダメだよ」
「でも先輩、」
「かたなし君は確かに、その、年上の人が苦手というか嫌いなのかもしれないけど……他人の嫌な所ばかり探すようなのはダメだよ!」
「先輩……」
「だからね。伊波ちゃんの良い所、探してみようよ」
きっと、きっと八千代なら笑顔でこう言って優しく諭すに違いない。
普段からの心配りでその人に合った最善の解決方法を導いてくれるに違いない。
「良い所、ですか?」
「うん。伊波ちゃんの良い所、かたなし君ならもう知っているよね? だから……」
そこまで出掛かって、不意にフロアからぽぷらを呼ぶ声がした。
「ぽぷらちゃーん。ちょっとこっち手伝ってもらえるかしらー?」
「はーい八千代さーん。今行きまーす」
「……ありがとうございます先輩。俺、考えてみます」
「うん! じゃあねかたなし君」
ぽぷらが本気で自分を心配してくれて、本気で答えを出してくれたのを汲み取った宗太は、憑き物が落ちたかのような表情で礼を述べる。
その顔を見て真意と誠意が伝わった事を確認するとぽぷらは晴れた表情でフロアの方へと戻っていった。
「さて、伊波さんの良い所か……」
再び一人になった宗太は声に出す。
先程ぽぷらに言われた時は、すぐにでも何個でもまひるの良い所が上げられそうな気がしたものだが。
いざ一人で冷静になってしまうと、その気概も何処へやら霧散してしまったようだ。
「ダメだダメだ。こんなんじゃ先輩にも伊波さんにも失礼じゃないか」
それならばとその冷静を逆手にとって、我侭ばかりのミニコンと年増への嫌悪を今ばかりは押さえ込んで。
替わりに奥底に隠していた今日のまひるの行動と、ストーカーもとい観察での所感を並べてみる事にする。
「殴らない伊波さんはか、わ……ぃいと思ってしまって」
まだまひるを可愛いと声を大にして言えない辺りはアイデンティティが許さないのだろうか。
こもりながらも続けて口に出していく。
「年増は一枝姉さんのように横暴だと思ったら、割とおっとりとした伊波さんが浮かんできて」
「泉姉さんのようにだらしないと思ったら、掃除もきちんとやっていて」
「梢姉さんのように乱暴かと思ったら、最近は殴らない」
一つ一つを身近な年増である姉と比較していっても、どうしてなのだろうか。
何も悪い点が浮かんでこない。それ所か良い点ばかり。
「圧迫感がない……背が低いから? ……何故だろう凄く失礼な事を考えているような気がする」
やはり考えれば考える程、良い所ばかりで。
殴られない現状を垣間見ると何一つとして不満はない。
「俺はもしかして伊波さんをきちんと見ていなかったのか」
パイプ椅子の背もたれに体重を預けながら天井を仰ぐと溜息を吐き。
眼鏡を外し目頭を押さえ、そのままぼんやりと目を開くと更に白を曝け出す。
「あいつが……山田さんが変な事を言うから……」
瞬間、何かに気付いたかのように顔色を僅かに変えると。
眼鏡を掛けて立ち上がり椅子を正し、鞄を掴み従業員用出入口の方へと歩き出す。
その顔は赤く茹だっているかのようで。
足早に去ろうとする所を見るに何か結論に達したのかもしれない。
それはもしかすると、宗太にとっては気付きたくなかった事なのかもしれないし、むしろ良い薬となり得るような発見なのかもしれない。
しかし幸か不幸か、それはまだまだとても不安定なように思える。
だってそれは。
「伊波さんの顔を思い浮かべる度に笑顔しか浮かんでこないなんて……」
だってそれは、その感情は。まだ生まれたばかりなのだから。
「これではまるで俺が伊波さんを好きみたいじゃないか!」