こねこねこねこ
いつもと変わらない明日が待っているはずだった。
いつものように起きて、食べて、勉強して、寝て、また明日を迎える。とてもありふれているが、とても幸せな一日。だが、今日は違った。
千歌音は起きてすぐ違和感を感じた。
足になにか当たっている。「それ」を視界に収めるためにまだ眠気を引きずっている目をこすり、「それ」を見る。
「それ」は長くて細い千歌音の髪と同じ色の動物の尾であった。勿論千歌音には動物を飼った覚えなどない。その尾を手にとるとふわり、とちゃんとした温もりが感じられる。それを辿って行くと、信じられない箇所に行き着いた。
「……え?」
千歌音の、腰より少し低い位置。
嫌な予感がして千歌音は恐る恐る両手を頭に乗せた。―――ふわり。
「う、嘘…」
紺色の、おそらく猫の耳が付いていた。いや、付いていたというよりは生えていたの方が近い。
千歌音が自分の身体の異変に呆然としていた、その時だった。
「千歌音ちゃん、起きてる?」
「…!」
突然部屋の扉が開き、姫子がやって来た。千歌音は慌てて耳と尾が見えないようにシーツを羽織る。
「あれ?どうしたの、シーツなんか羽織って…」
「あ、あの、これは……それより何か用?」
「朝ご飯の時間なのに千歌音ちゃん来ないから呼びに来たんだけど…」
「…ごめんなさい、今日はちょっと食べられそうにないわ」
「そう?じゃあ乙羽さんに言っておくね」
千歌音を心配そうに見つめながら、姫子は扉の向こうへ去った。
千歌音はほっと息を吐き、シーツを取って鏡に映る自分の姿を見た。今のが夢か幻である事を願ったが、その願いは虚しく散る。
やはりそこには紛れもない猫の耳と尾が生えていた。
何故、どうして、姫子に嫌われてしまう。
色々な事を考えていた千歌音だったが窓から差す暖かい太陽の光に当たっている内に、まるで誘われるようにゆっくりと眠りに就いた。
千歌音の不自然な様子が心配で、朝食もあまり喉を通らなかった。
先程の千歌音は明らかに不自然だった。どこか具合が悪いのだろうか、それとも何か精神的に傷付く事があったのだろうか。そのどちらか、あるいは別の理由であっても放っておけない。
千歌音の部屋の扉をノックするが返事がない。嫌な予感に駆られ、彼女の名を呼びながら扉を開いた。
ところが姫子の予想とは違い、千歌音はベッドに頬を当てぐっすりと眠っていた。姫子は安堵の息と笑顔を漏らし、千歌音の側へ移動する。
いつも気高く美しい千歌音も、寝ているときだけはそれを捨てとても可愛らしくなるのだ。―――いや、寝ているときだけというのは違う。「している」時もそうだ。
そういえば、千歌音の身体を包んでいるのはたったのシーツ一枚。しかも何故か頭と腰の辺りだけにしか掛かっておらず、足はそのまま投げ出されている。
これでは千歌音が風邪を引いてしまう。乱れているのを正そうと、姫子はシーツを引っ張った。
「…?」
ふと、千歌音の頭に違和感を感じる。何か、猫のような耳が付いているのだ。
「付け耳?」
そう思ってそっと触れてみる。
「ん……」
すると千歌音の体が少し身じろぎするのと同時に猫の耳がぴこぴこと動いた。
その動作はまるで本物の猫の様。そんな千歌音を見て、姫子が穏やかでいられるはずがない。
ちょっ、なにこれ本物なの?というか千歌音ちゃん可愛すぎる…!!
もっと色んな反応が見たい。そう思った姫子は千歌音の猫耳の側に唇を持っていき、ふぅ、と息を吹きかけた。
「むぁ…」
そんな声を出しながら、耳は先程より大きく反応し、身体は更に丸く、小さくなる。口は薄く開かれ、そしてそのまま千歌音は再び眠りの世界へと落ちていった。
………………。
どうしよう。どうしようどうしようどうしようどうしよう。
そんなの反則だよ千歌音ちゃん。もう本当にどうしよう。このまま襲っちゃおうかな。それとも寝ている今の内になにか悪戯しちゃおうかな。いやそれよりもなんなんだろこの千歌音ちゃんの可愛さを増大させる耳と尻尾。もしかして神様からのプレゼント?だとしたら神様ありがとうございます!本当にありがとうございます!これからも神様を信じ続けます!というか千歌音ちゃん可愛すぎるよハァハァハァハァ
「ん…ひめ、こ……?」
「あ……起きちゃった?」
内心少し残念に思いつつも、眠気を引きずった目を擦る千歌音を見て姫子は微笑む。――今すぐ組み敷いてやりたい。
「ひめ…姫子!?」
一瞬今の状態を忘れていた自分が情けない、と千歌音は思う。
今の自分はとても人間とは呼べない状態でそれを姫子に知られたくなくてシーツを羽織っていたのに、あろうことか寝てしまうだなんて。
だが幸いにもシーツは千歌音の膝元にあった。千歌音は慌ててそれを羽織る。
「耳出てるよ」
「!!」
頭に生えた耳に支えて、シーツは耳を覆い隠してはいなかった。
「どうして隠すの?可愛いのに」
「…だ、だって、こんなの…人間なんて呼べないじゃない。姫子に嫌われると思って…」
「こんな可愛い千歌音ちゃん、嫌いになんてなるはずないよ」
――本当に、可愛い。
嫌われたくないという一心で、こんなにも必死になる千歌音に愛おしさが募る。
「千歌音ちゃん、こっちおいで」
「……」
姫子が両手を広げて“こっち”を示すと、千歌音は遠慮がちに姫子の懐へ体を寄せる。
姫子がその震える肩を抱くと、それに応えるようにおずおずと姫子の背に手を回す。
「可愛いよ、千歌音ちゃん…」
「…っ」
気高く高貴で皆から宮様と慕われている千歌音は可愛いという言葉を言われ慣れておらず、顔を赤くする。
姫子は緩んでいる頬を更に緩ませた。
こんなに潮らしくて可愛い千歌音はきっと自分しか知らない。そうであってほしい。
こんなに可愛い千歌音は誰にも見せてあげない。姫子だけのもの。
「耳、触ってもいいかな?」
千歌音が小さく頷く気配がする。了承を貰った姫子は僅かに揺れる耳を軽く歯を立てて啄んだ。
「ひゃぁ!?」
まさか噛まれるとは思っていなかった千歌音は反射的に姫子を引き剥がすが、姫子はその反動を利用し千歌音の体をベッドへと沈める。
マウントポジションというやつだ。
「あっ、ごめんね…嫌だった?」
「違…っ、少しびっくりしただけ」
千歌音は体を小さくすると赤く染まる顔を背ける。
(そういえば、猫って顎の下撫でられるの好きだよね…)
右手を千歌音の顎の下に移動させ、四本の指先で撫でる。初めは抵抗していた千歌音も次第に気持ちよさそうに目を細めていく。本当の猫だったら喉を鳴らしているに違いない。
しばらくそうしていると細まった瞳にぼんやりと眠気が宿る。
「千歌音ちゃん、眠いの?」
「ん……」
「うん、いいよ」
姫子は千歌音の隣に横になり、千歌音を抱きしめる。すると千歌音も体を横にし、姫子の腕の中で瞼を閉じる。
横になったことで今まで隠れていた尻尾が姿を見せた。尻尾はゆらゆらと揺れている。
「おやすみ、千歌音ちゃん」
「………やす…」
ろくにおやすみも言えずに、千歌音は寝息をたてる。そして。
「起きたら、たっぷり楽しませてね」
姫子は目の下に影を作り、ほくそ笑むのだった。