【ポケモン】ひらたい海
イッシュを回っているんだよ、と幼馴染みは言う。楽しいことがいっぱいあるんだ。会ったことのないひとやポケモンに会える。今まで見たことないくらいきれいな景色だって見つけられる。楽なことばっかりじゃないけれど、それでも楽しい。ポケモンたちが一緒だからもっともっと楽しいと、最初の相棒の頭を撫でてやりながら笑っていた。幼馴染みのポケモンはおとなしくてかわいい。それでもその身体には、リーグを勝ち抜いてみせたちからが秘められている。幼馴染みもそのポケモンもちっともそんな素振りを見せなかったけれど。
あちら側からはなかなか掛かってこないライブキャスターを眺める。今はチェレンと話すことが多いだろうか。画面越しの顔は見るたびにどんどん大人っぽくなっているように感じた。……それはたぶん自分もなんだろう。黒い画面に、少し髪が伸びたという自分が映っているのを見る。チェレンは髪のことを気付いているのかそうでないのかさっぱり分からないけれど、もう一人の幼馴染みは真っ先に気付くのだろうと思う。三人の中ではあの幼馴染みがいちばん変化に敏感だった。ついでに言えばそれなりに褒め言葉も心得ていた。
掛けようかどうしようか散々にらめっこした挙句、結局ベッドの上に放り出してしまった。自分もベッドにダイブする。ぼふん、と大きく沈み、心地良く弾む。
思い出すのは、最後に直接会ったときのこと。博士の研究を手伝うの、とライブキャスターで話してからすぐのことだったように思う。幼馴染みは珍しいポケモンのデータがたっぷりと詰まった図鑑を手に、お祝いにやってきた。あらゆる進化の可能性を持つポケモン。化石から復元された大昔のポケモン。なにより珍しかったのは、持たせるプレートによって姿を変えるポケモンだった。持たせているプレート自体も珍しく、どこで見つけたのと尋ねると、幼馴染みはひとこと、
海のなか。
とだけ答えた。
幼馴染みはあまり旅の話をしてくれなくなった。楽しいことを見つけるのが大の得意で、それを面白おかしく語るのはもっともっと得意だったはずなのに。
語れないのも無理はなかったのかもしれない。言葉少なになった話の中の旅だけでも、ひとつところでの滞在は短かった。
(……どこかに落ち着いたりはしないの?)
確かそんなことを尋ねた。
(いちいちカノコに戻るのは大変かもしれないけど、ライモンシティとか、ヒウンシティとか、便利なところっていっぱいあるんじゃないかと思うんだけど)
幼馴染みは肩を竦めてみせた。抑えない笑顔のせいか元々の顔のつくりのせいか、チェレンと比べるとあまり変わらない印象のあった幼馴染みは、その仕草だけが奇妙に大人びていた。
(あのひと、探してるの?)
例のひとのことはチェレンから聞いていた。プラズマ団の王様。伝説を従えたというひと。あんな忙しない旅を続けているのだって大方あいつを探し回ってるんだろう。そうも聞いていたからの言葉だったのだが、幼馴染みはとても意外なことを言われたみたいに目をぱちぱちさせた。
少し間を置いて、幼馴染みは、そうかも、と答えた。
そうかもしれない。そのとき浮かべた笑顔はいつも通りじゃ、たぶんなかった。
テーブル側の壁を見る。吊り下げられているコルクボードに、自分と家族、そして幼馴染みの写真がピンで何枚も止められている。その中にカノコの研究所を背景に撮られた写真がある。三人で写っている中ではいちばん新しい写真。旅立ちの日のものだった。
屈託のない笑顔がそこにあった。
苦しいことなんてなにひとつ知らないような顔で笑っている。これから得体のしれない事件に巻き込まれて、つらい思いをすることになる自分達。今同じように幼馴染みと写真を撮ったらこんなふうにはならない気がした。自分は二人の幼馴染みが大好きだったし、自惚れでなければ二人も好きでいてくれているだろうから、きっと楽しそうには笑っているのだろうけれど。
新しい帽子をかぶっている幼馴染みが、チェレンと自分の肩に手を回している。写っている手の甲に目立つ傷はない。
旅を始めてから、幼馴染みの手は傷をいっぱいつくるようになっていた。会うたびに真新しい傷があったような気がする。ほっぺたにもつくっていただろうか。痣や貼りつけたガーゼに血が赤黒く滲んでいるのを見つけるたびに自分は心配していたのだけれど、幼馴染みから返ってくる言葉はいつだってのんびりとしたものだった。チョロネコに引っかかれたとか、バチュルに噛まれただとか。
知っている中でいちばん酷かったのは進化したての手持ちポケモンにぎゅっとされたときのことだろうか。抱きしめられたときのかたちがくっきりと痣になって残っていた。肋骨に罅が入っていたのだと聞いた。あんまり飛んだり跳ねたりできないやと幼馴染みはやっぱりのんびりと笑っていた気がする。
その後待っていられないからと世話になっていたポケモンセンターを早々に引き払い、次の街を目指したのだと人づてに聞いた。怪我してたなんて知らなかったよと、その次の街にいた幼馴染みを知るひとは揃って目を丸くする。
手伝えたらよかったのに。潤む目をしばたかせる。
幼馴染みは、以前よりほんの少し遠いところにいる。チャンピオンロードの前、背に回された腕のその力強さにそれを感じた。よく知っていたはずの男の子の腕。じゃれあいの延長にあった抱擁は、今ではどこかにお別れの意味を含んでいた。髪から昔のように太陽の光をいっぱい浴びたにおいがしていて、それがいっそう切なかった。
自分の手を見る。ポケモンに噛まれたり引っかかれたりした傷がいくつかうっすら痕を残していた。新しい傷はこの間紙で切ったものくらいだろうか。パソコンの画面とにらめっこすることが多いせいで、今痛いのは傷よりも目の方だった。幼馴染みはたぶんこういう痛みを知ることはない。あの目は旅の話にあったようなきれいな景色を見ているだろう。夕日に照り映える水面。雪の粉をまぶした山々。風にうずまく草原。
きっと今も。
幼馴染みの旅は、ポケモン達とゆっくり仲良くなっていくための旅だった。途方もないちからを秘めた伝説を加えて、その旅は今も続けられている。傷をいっぱいつくりながら、いつしか幼馴染みの手は、強いちからを上手に宥めるのが得意な手になっていた。
―――あのひと、探してるの?
―――そうかもしれない。
今ならあの複雑そうな笑顔の意味が分かる気がした。ひとところに留まらない旅の理由も。
だってあれじゃあ、まるで。
こわがってるみたいだ。
つまるところ、幼馴染みは彼に会いたくないのだろう。
彼の方がどうなのかは分からない。ただ幼馴染みか彼の方か、どちらかだけが会いたがっても、今の状態ではきっと会えないだろうと思う。きっとどっちも会いたいと思ってはじめて会えるのだろうと。おかしな話だけれど、そんな気がする。
ぴぴぴ、とライブキャスターが鳴る。メール着信の短い音だ。裏返しになっていたライブキャスターを取って覗き込む。
幼馴染みからだった。
あちら側からはなかなか掛かってこないライブキャスターを眺める。今はチェレンと話すことが多いだろうか。画面越しの顔は見るたびにどんどん大人っぽくなっているように感じた。……それはたぶん自分もなんだろう。黒い画面に、少し髪が伸びたという自分が映っているのを見る。チェレンは髪のことを気付いているのかそうでないのかさっぱり分からないけれど、もう一人の幼馴染みは真っ先に気付くのだろうと思う。三人の中ではあの幼馴染みがいちばん変化に敏感だった。ついでに言えばそれなりに褒め言葉も心得ていた。
掛けようかどうしようか散々にらめっこした挙句、結局ベッドの上に放り出してしまった。自分もベッドにダイブする。ぼふん、と大きく沈み、心地良く弾む。
思い出すのは、最後に直接会ったときのこと。博士の研究を手伝うの、とライブキャスターで話してからすぐのことだったように思う。幼馴染みは珍しいポケモンのデータがたっぷりと詰まった図鑑を手に、お祝いにやってきた。あらゆる進化の可能性を持つポケモン。化石から復元された大昔のポケモン。なにより珍しかったのは、持たせるプレートによって姿を変えるポケモンだった。持たせているプレート自体も珍しく、どこで見つけたのと尋ねると、幼馴染みはひとこと、
海のなか。
とだけ答えた。
幼馴染みはあまり旅の話をしてくれなくなった。楽しいことを見つけるのが大の得意で、それを面白おかしく語るのはもっともっと得意だったはずなのに。
語れないのも無理はなかったのかもしれない。言葉少なになった話の中の旅だけでも、ひとつところでの滞在は短かった。
(……どこかに落ち着いたりはしないの?)
確かそんなことを尋ねた。
(いちいちカノコに戻るのは大変かもしれないけど、ライモンシティとか、ヒウンシティとか、便利なところっていっぱいあるんじゃないかと思うんだけど)
幼馴染みは肩を竦めてみせた。抑えない笑顔のせいか元々の顔のつくりのせいか、チェレンと比べるとあまり変わらない印象のあった幼馴染みは、その仕草だけが奇妙に大人びていた。
(あのひと、探してるの?)
例のひとのことはチェレンから聞いていた。プラズマ団の王様。伝説を従えたというひと。あんな忙しない旅を続けているのだって大方あいつを探し回ってるんだろう。そうも聞いていたからの言葉だったのだが、幼馴染みはとても意外なことを言われたみたいに目をぱちぱちさせた。
少し間を置いて、幼馴染みは、そうかも、と答えた。
そうかもしれない。そのとき浮かべた笑顔はいつも通りじゃ、たぶんなかった。
テーブル側の壁を見る。吊り下げられているコルクボードに、自分と家族、そして幼馴染みの写真がピンで何枚も止められている。その中にカノコの研究所を背景に撮られた写真がある。三人で写っている中ではいちばん新しい写真。旅立ちの日のものだった。
屈託のない笑顔がそこにあった。
苦しいことなんてなにひとつ知らないような顔で笑っている。これから得体のしれない事件に巻き込まれて、つらい思いをすることになる自分達。今同じように幼馴染みと写真を撮ったらこんなふうにはならない気がした。自分は二人の幼馴染みが大好きだったし、自惚れでなければ二人も好きでいてくれているだろうから、きっと楽しそうには笑っているのだろうけれど。
新しい帽子をかぶっている幼馴染みが、チェレンと自分の肩に手を回している。写っている手の甲に目立つ傷はない。
旅を始めてから、幼馴染みの手は傷をいっぱいつくるようになっていた。会うたびに真新しい傷があったような気がする。ほっぺたにもつくっていただろうか。痣や貼りつけたガーゼに血が赤黒く滲んでいるのを見つけるたびに自分は心配していたのだけれど、幼馴染みから返ってくる言葉はいつだってのんびりとしたものだった。チョロネコに引っかかれたとか、バチュルに噛まれただとか。
知っている中でいちばん酷かったのは進化したての手持ちポケモンにぎゅっとされたときのことだろうか。抱きしめられたときのかたちがくっきりと痣になって残っていた。肋骨に罅が入っていたのだと聞いた。あんまり飛んだり跳ねたりできないやと幼馴染みはやっぱりのんびりと笑っていた気がする。
その後待っていられないからと世話になっていたポケモンセンターを早々に引き払い、次の街を目指したのだと人づてに聞いた。怪我してたなんて知らなかったよと、その次の街にいた幼馴染みを知るひとは揃って目を丸くする。
手伝えたらよかったのに。潤む目をしばたかせる。
幼馴染みは、以前よりほんの少し遠いところにいる。チャンピオンロードの前、背に回された腕のその力強さにそれを感じた。よく知っていたはずの男の子の腕。じゃれあいの延長にあった抱擁は、今ではどこかにお別れの意味を含んでいた。髪から昔のように太陽の光をいっぱい浴びたにおいがしていて、それがいっそう切なかった。
自分の手を見る。ポケモンに噛まれたり引っかかれたりした傷がいくつかうっすら痕を残していた。新しい傷はこの間紙で切ったものくらいだろうか。パソコンの画面とにらめっこすることが多いせいで、今痛いのは傷よりも目の方だった。幼馴染みはたぶんこういう痛みを知ることはない。あの目は旅の話にあったようなきれいな景色を見ているだろう。夕日に照り映える水面。雪の粉をまぶした山々。風にうずまく草原。
きっと今も。
幼馴染みの旅は、ポケモン達とゆっくり仲良くなっていくための旅だった。途方もないちからを秘めた伝説を加えて、その旅は今も続けられている。傷をいっぱいつくりながら、いつしか幼馴染みの手は、強いちからを上手に宥めるのが得意な手になっていた。
―――あのひと、探してるの?
―――そうかもしれない。
今ならあの複雑そうな笑顔の意味が分かる気がした。ひとところに留まらない旅の理由も。
だってあれじゃあ、まるで。
こわがってるみたいだ。
つまるところ、幼馴染みは彼に会いたくないのだろう。
彼の方がどうなのかは分からない。ただ幼馴染みか彼の方か、どちらかだけが会いたがっても、今の状態ではきっと会えないだろうと思う。きっとどっちも会いたいと思ってはじめて会えるのだろうと。おかしな話だけれど、そんな気がする。
ぴぴぴ、とライブキャスターが鳴る。メール着信の短い音だ。裏返しになっていたライブキャスターを取って覗き込む。
幼馴染みからだった。
作品名:【ポケモン】ひらたい海 作家名:ケマリ