輝きに満ちた日々の残滓は苦い蜜
恋に気付いた時はすべて失っていた。
愛は知っていた。常に心にあった。
恋は道具で手段であり他人事でしかなく自分に適応されるものではなかった。
同性を、年下を、駒の一つと見ていた彼に対する情を恋だと思えなかった。可能性すら考えなかった。
その結末がこれ。
「切ったの?」
寄りかかっていたドラム缶から半身を起こした帝人の瞳は大きく真っ直ぐで平凡な少年のもの。
どこにでもいるようなただの少年の顔で足下で気絶する後輩の背中をつま先でなでている。
理解が追いつかないはずがない。臨也は可能性として考慮に入れていた。
それでも望んだことではない。願ってなどいない。受け入れがたい事実に臨也の中に悔恨が芽生える。
廃墟の空気はザラついて心に棘が刺さる。
「切ったというか、刺しました」
笑みが深まる。帝人の中で『声』が大きくなったのだろう。
彼は身の内に巣くう化け物を愛している。
人に寄生する、愛を謳い人を斬り続ける妖刀。
園原杏里の中に内包され共依存のいびつな関係を築いていた、忌むべき妖刀、罪歌。
杏里を失って帝人の中にいる異物。
許せないとの臨也の思いは予想外の事態への苛立ちではない。明確に嫉妬だ。
帝人の意識の大部分は目の前にいる臨也でも床に転がる青葉でもない。己の内にいる罪歌に向けられている。
対話などできるはずもない妖刀へ帝人が愛しさを滲ませた瞳で、声で、囁く愛に臨也は耐えがたい不快感を覚える。
(羨ましい。ずるい。俺は、俺の方が)
いつか感じた人を愛し続け支配する妖刀への嫌悪を上回る激情。
(俺の愛の方が強い。深い。絶対に)
帝人の瞳が焦点を結ばない。
何も、誰も、見ることはない。
すべては自分の中に向かっている。
常人では耐えられないという愛の言葉。呪いのようだと嬉しそうに笑った帝人を臨也は覚えている。
帝人は狂っているわけではない。
冷静に正常に狂気を飲み込んでいる。それはありえない奇跡かもしれない。
帝人の非日常への渇望は深く、臨也の予想を超えて貪欲だった。
妖刀を飲み込んで平然としていられるほどに。
「青葉君って、悪い子なんですね」
「かわいい後輩を支配していい気分?」
「まさかっ! 彼が傷つけて欲しいと望んできたんですよ」
「だからって、する? 昔の君はそうじゃなかった。操られているんじゃないの?」
「臨也さんってば、言葉の魔術師になりたいならもっと上手い言い方があるじゃないですか」
心底おかしいと表情をあどけなく崩す帝人。瞳は臨也にだけ向けられている。
それに安心して臨也はたずねるように首を傾げてみせた。
「『黒沼青葉の持っている情報ぐらい俺が用意してあげるから他人を愛さないで』って」
無邪気に笑う帝人の表情はいつになく冷たい。
心が凍える。臨也は苦しくてそれでも帝人から視線を外すという選択肢が浮かばない。
「別に俺は君が誰を愛の元に傷つけようと構わないよ」
「自分がしていることを相手に規制する臨也さんではないですよね」
「・・・・・・いつから」
「いまさっき、青葉君が『折原臨也は帝人先輩が好きなんですよ』って。本当だなんて信じたくなかったなぁ」
無感情に吐き捨てられる言葉に臨也は帝人が青葉を刺した経緯を理解した。
挑発と分かっていながら乗ったのは臨也の行動の真意を帝人が知りたいと思ったからに他ならない。
罪歌、子は母に嘘をつけないという。
園原杏里が過去に『子供に聞いた』と臨也を断罪しにきたように罪歌の子の言葉は何より信頼できる情報。
「愛や恋なんて、あなたからは遠いものだと思っていました。少しでもそんな心があるならこんな酷いことできない。彼女も怒ってる、いや、嫌っている? 嫌悪? 同族嫌悪ですかね?」
帝人の視線が一瞬、臨也から外れる。腹立たしい。
妖刀を滅ぼす方法を早く見つけないと臨也の精神が保たない。
「僕は自分勝手な理論で他人の人生を犠牲にする人を許せない。たとえ、僕自身でも」
「罪歌を抱いて自殺する気?」
「さよなら、臨也さん」
倒れている青葉を足で小突くのをやめた帝人は冷たい眼差しで臨也を見る。
出口へ向かい歩く帝人を引き留める言葉を探す。
このまま別れるわけにはいかない。
「俺に何をして欲しいの」
「・・・・・・何も、ただそこで苦しんでいてくれれば彼女の苛立ちも嘆きも少しは薄れるかもしれませんね」
「手を出すな、なんて、そんなの無理だよ。分かっているだろ。俺は」
「僕はあなたを嫌いだったわけじゃない。憎んでいるわけでもない。でも、許しません。絶対に」
怒気すら含まない凍えた声。悲しいほどに逸脱した少年。
臨也が選んでしまった結末。
好きだ。恋した。
愛しい人間という観察対象ではなく一個人に恋という不確かな苦く甘く曖昧な感情を持ってしまった。
気付くのが早ければまだ制御も可能だろう感情を臨也はあまりにも蔑ろにし過ぎた。
結果が、この、こんな。
(帝人君が欲しかった。それだけの単純なことに気付くのが遅すぎた。簡単すぎて見失ってた)
罪歌がなくなっても関係ない。
臨也のしてきた全ての事柄が帝人に嫌われるに足る理由がある。
当然の結果。
罪歌がなくても臨也が帝人や帝人の周囲にしていたことは覆せない。
「臨也さんのことは、きっと、嫌いじゃなかった、ではなくて・・・・・・好き、だったのかもしれません」
苦しくて視界がかすむ。帝人が光の中で、出口を背に臨也を見ている。
口にするべき言葉を探す思考力も持てそうにないと臨也は目を細める。
「そんな顔、らしくなくて笑えませんよ」
「愛しているよ、帝人君」
「ありがとうございます。でも、僕は」
帝人を抱きしめて続きの言葉を閉じこめる。
刺されてもよかった。
もうこの瞬間の驚いたような少年の顔を間近で見れただけで臨也は満足だった。
「僕が愛しているのは彼女だけです」
そう口にする帝人に臨也は己の唇を重ねる。
悲しいことも辛いことも全てはただの自業自得。
作品名:輝きに満ちた日々の残滓は苦い蜜 作家名:浬@