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儀式の前夜

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ゆらゆらと漂う小さな火。その仄かな光だけがただ狭いだけの空間を照らしていた。
その小さな室に、顔の似た少年が二人向き合って座っていた。片方の少年は歓喜に満ちた顔を、もう片方の少年は悲痛に満ちた顔を浮かべている。
やがて歓喜に満ちている少年が口元を緩め、囁くように笑った。それを見て片方の少年は更に表情を暗くする。

「そんな顔をするなよ、樹月」

「仕方ないじゃないか、睦月」

確かめるように互いの名を呼ぶ二人。
樹月は指摘された切なげな顔を見せたくないのか、自らの膝小僧を眺めるように下を向いた。
やがて吐き出すように言葉を紡ぎ始める。

「だって、明日は儀式の日だよ」

「そうだ、明日は儀式の日だ。こんなに嬉しい事はないだろう?」

そう言う睦月は艶やかだという感情を抱いてしまうほどに、穏やかに微笑んだ。
しかし、樹月はそんな睦月の態度に苛立ちを覚えたのか、ハの字になっていた眉を吊り上げる。
顔立ちも体付きも趣味も好みの女性も一緒な二人だが、どうにもこの一点だけは想いは一致しない。それが、樹月にとっても睦月にとっても身が裂けてしまうと思えるほど辛かった。

「なに馬鹿な事を言っているんだ。儀式をしたら、僕達は離れ離れになってしまうんだよ?」

「離れ離れになんてならないさ。だって、」

――樹月が僕を蝶にしてくれるんだろう?

どん、と何か肩が重くなる感覚に、樹月は襲われた。嫌な汗が吹き出し、着物と肌の間で蒸れる感覚が気持ち悪く樹月は少しだけ前かがみになる。
それでも睦月は話し続ける。

「僕は樹月に感謝しているよ。体の弱い僕の手を引いてくれた。いつもいつも側にいてくれた。ずっと側にいてくれたらと願った。だけど、駄目なんだ。僕は体が弱いから、足手まといだから、きっと睦月は僕から離れてしまう。それなら、儀式をして心だけでも樹月の側にいたいんだ。そしたら、ずっと一緒にいられる。ずっと、ずっと、だ」

「そんなの間違ってる。絶対に間違ってる。僕は心だけじゃ足りない、体も側にいてほしい。足手まといなんかじゃない、離れたりなんかしない。睦月がいなくなったら僕はきっとおかしくなってしまう。だから側にいてほしい、心も体も。それが我が儘だって事はわかってる。それでも側にいてほしいんだ。そう思うのは、罪な事なのかな?」

堰を切ったように話し始める二人。全て話し終えると二人共押し黙り、重い沈黙が流れる。
しばらくして、睦月の笑い声で沈黙は破られた。

「馬鹿だな、僕達が儀式をしなかったら、八重と紗重が儀式をしなければならないじゃないか」

「……っ」

「好きなんだろう?紗重のこと」

馬鹿野郎、と樹月は心底思った。同時に、なんだかやるせない気持ちも込み上げてくる。
いつもそうだ。自分は体が弱く樹月の足手まといにないっているからと、自分の事は後回しで何よりも樹月に優先させる。僕はいいから、と白い肌で儚げな声で微笑むのだ。
睦月だって、紗重の事が好きなくせに。

「約束しただろ?」

睦月と樹月が交わした約束。
成功でも失敗でも、儀式を終えたら八重と紗重を村から逃がす。けれどその約束は同時に、儀式をするという約束でもある。睦月のその意図に気付いたのは、丁度今より一週前。何もかもが手遅れだった。

「ずるいよ、睦月」

「ごめんな、樹月」

やがて手首に付けた鈴を鳴らしながら駆けてきた彼等の妹により、その会話は締め切られた。


*


睦月は言う。
もしかしたら、自分は生まれてくる前からこの運命を悟っていたのではないかと。片割れの少し大きい手が自分の首に伸び、震えながらも力を込める――兄に殺される、この運命を。
それを聞いた樹月がとても悲しげな顔をしたから、睦月は先の言葉を少しだけ訂正した。
殺されるんじゃない、蝶にしてくれるんだ、と。
それを言っても樹月は少しも明るくならなかったから、睦月は諦めて目を閉じた。




「う、あぁ……っ」

首を絞めた。一番親しい存在の首を、絞めた。彼は動かなくなった。もうあの微笑みも、優しい声も、何一つこの世にはないのだ。
は、と気付いた時には忌人が睦月の四肢を掴み、持ち上げて×の中へとその体を投げ入れてしまっていた。
衝動的に樹月は睦月の体を追い掛けるように×へと駆け出し、そこにしゃがみ込んで首を伸ばす。

「見てはならん!」

すぐ後ろにいた祭主が声を荒げた。ピタリ、との樹月の動きが止まり、やがて涙を流しながら片割れの名を呼び続ける。
ところが、どういう事なのだろう。いつまでも×の中から紅い蝶――睦月が羽ばたいてこない。儀式をしたならば睦月は蝶となり黄泉からこの村を見守ってくれるはずではないのか。ずっと側にいると約束したではないか。

「…儀式は失敗だ」




何時か睦月が樹月に対して言ったあの言葉。
――なにがあっても、樹月を許すから。

それは本当なのだろうか。彼の命を奪ったあげく、蝶にしてやる事のできなかった自分を、彼とひとつになれなかった自分を、本当に許してくれるのだろうか。

そうして、樹月は決意した。
八重と紗重をこの村から逃がしてやらなければならない。八重と紗重にはこんな思いをさせてはならない。八重と紗重が無事に逃げられたのなら、役目は終わり。
僕も、睦月のところへ行こう。


(そうしたら、睦月は許してくれるのかな)






作品名:儀式の前夜 作家名:nago