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しあわせな食卓

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「……ジャガイモがかわいそうだ」
「カレールーの情熱に溶けたのならジャガイモも本望でしょう」
「タマネギが浮かばれない」
「ジャガイモでさえとろとろなのにタマネギが残ると思いますか。目に見えなくても、カレールーの中に居ますよ」
「そんな永久の別れみたいな感情でタマネギを見たくなんかないよ。辛うじてニンジンが生存しているからいいものの」
「お肉だって残ってるでしょ、差別良くない」
「野菜が焦点なの。肉は残ってて当然でしょ」
「肉だって残る為に相当の努力をしたかもしれないのに。それに、トマトペーストも入ってます」
「……OK、心意気は評価しよう。でもこれはカレーとして落第点であると言わざるを得ない」
寒い寒い冬の夜、臨也の自宅ダイニングで向かい合って、帝人と臨也は真顔でそんな言い合いをしている。
二人の手にはスプーンが、そして目の前には煮込みすぎてほとんどの具材が蕩けたカレーが鎮座し、ホカホカと湯気を立てていた。
臨也はそのカレーを一口食べては租借し、もう一度口を開く。
「味はまあ、普通だけど」
「市販のカレールー使ってとんでもない味になったら、そのほうがおかしいでしょう」
帝人のほうは、ある程度文句を言われることを予期していたのか、特に気にしたそぶりも見せずに、自分の夕食を淡々と食している。
臨也はそんな帝人の様子に不満そうに頬を膨らませて、それでももう一口。
「ちょっとトマトの味強くない?」
「僕はこれが好きなんです、トマトの精一杯のアピールを無碍にしないでください」
にべも無く言い返される。それでもめげずにもう一口。
「何でこうなったのさ」
「だから、煮込んでる途中にあなたが呼んで、料理してるって言ってるのにあれこれ用事を言いつけたからでしょう」
「火を止めればよかったじゃない」
「すぐ済むから、ほんの数十秒って言ったの、臨也さんじゃないですか」
一瞬の沈黙が降りて、臨也は口を閉ざす。
そういえば言った。確かに、そのときはただ、手の離せない自分の代わりに資料を取ってもらうだけのつもりだったのだ。いざ資料を取ってもらったら、あれもこれもと帝人に頼みたいことが出てきて、つい次々と口にしてしまった。
臨也は少しだけ自分にも責任があることを自覚して、無言でもう一口カレーを頬張る。眉間にぐぐっとよった皺が、ほんの少しだけマシになった。
「……作り直すとかさあ」
「食材が勿体無いです。もったいないおばけに怒られますよ」
いまどきそんなものを信じちゃいないが、帝人が食物を粗末に扱うな、と睨みつけるので、ぐぐっと言葉につまる臨也だ。だいたい、もったいないおばけってなんだ、もったいないおばけって。子供を叱る母親じゃあるまいし。
君は俺のオカンか。言いかけた言葉は、辛うじて飲み込んだ。だってオカンじゃ恋人になれない、それは困る。
沈黙をごまかすように、臨也はもう一口、ぱくりとカレーを口にする。
「……不満なら食べなきゃいいでしょ」
いかにも不本意そうな臨也の態度に、流石の帝人も若干むっとしたらしく、そんなことを言って最後の一口を飲み込んだ。
さて、自分はお代わりでも、と立ち上がった帝人に向けて、急いで残りを口の中に押し込んで、臨也も空の皿を突き出す。
俺にもおかわりよこせ、という意味らしい。
不満なら食べなきゃいいのに、と思う帝人だったが、急いで残りを平らげたせいで口いっぱいのカレーをもごもご租借している臨也が、ハムスターみたいで可愛かったので許すことにして、苦笑しながら皿を受け取った。
そうまでして急いで食べなくたって、自分でお代わりくらいよそえばいいのに、と思わないでもない。でも多分、臨也のことだから、帝人によそってもらうことに意義を見出しているのだろうけれども。
炊飯器のふたを開けて、多めに炊いたご飯を皿に盛り、鍋一杯に作ってしまったカレーをすくう。明日はカレーうどんにしよう、と思ったのは、せめてもの帝人の良心だ。カレーうどんなら、余り大きな具が無いほうが食べやすい。
「はい、お代わりです」
「肉ばっかりごろごろ入れないでよ」
「具がないって文句言われるかと思ったので」
「なけなしのニンジンはどこへいったのさ」
「ニンジンなら僕のお皿で寝てますよ」
むーっと顔をしかめる臨也は、俺のニンジン、と子供っぽくふてくされた。なんというか、憎めない。
「散々文句言って、結局食べるくせに」
くすくすと笑いながら言う帝人に、臨也はほんの少し気まずそうに視線を逸らして、肉ばっかり入ったカレーを一口、大口を開けて飲み込む。じっくりじっくり租借して、飲み込んで、次の一口をスプーンですくいあげて、臨也は大きく息を吐いた。
「不味いとは一言も言ってないじゃないか」
「そうですね、市販のカレールーで作ったカレーが不味かったら、僕はどれだけ飯マズ嫁なのかと」
「別に、飯マズだって残しはしないけどさ」
「それも、そうですね。臨也さんにとって大事なのは味でも見た目でも中身でもなくて、僕が作ったものって言う事実だけですもんね」
「……帝人君」
「はい」
にっこり微笑んで見せた帝人に、臨也はなんと言っていいのかと言葉を捜して、三秒間黙り込む。
「……じゃがいもまでとけたカレーなんか普通はヒンシュクものなんだからね」
「はいはい」
「年上相手にもったいないおばけとか言っちゃうのだってすごく微妙だし」
「そうですね」
「大体冬にトマトカレーなんて普通作るなよ、夏だろトマトカレーは」
「そうですか?」
「そうなの。こんなの許してあげるの俺くらいだから」
だからね、と、臨也は真顔で帝人を見据えて、何かとても大切なことを言うように厳かに口を開く。



「今後俺以外にカレー作っちゃ、だめ」



わかりましたか。
問いかけておいて、ごまかすようにカレーを口に運ぶ臨也の、その一見平然とした顔をまじまじと見詰めて、帝人は思う。
多分じゃがいもまで溶けたカレーでも文句も言わずに食べてくれる人はほかにもたくさんいると思う。冬にトマトカレーだってきっと臨也が言うほど非常識じゃない。もったいないおばけは、うん、反省するけど。
それでも。
僕のカレーを独り占めしたいなんて思ってくれるのは、この人くらいしかいないんだろうなあ、と帝人は、くすぐったい気持で笑うのだった。
「わかりました、次は、ジャガイモもタマネギも健在のカレーを作りますね」
それでよし、と臨也が満足そうに頷くから。
ひとまず本日、カレー記念日。
作品名:しあわせな食卓 作家名:夏野