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謙也さんに犬耳と尻尾が生えてきた話

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 机の上に置きっぱなしだった携帯が震えている。こんな朝早くからバイブの音で起きるなんて憂鬱だ。短い舌打ちをしてベッドから起き上がると、ディスプレイでは謙也さんの電話番号が流れている。鬱陶しかったが、出ないわけにもいかない。寝起きでかすれた声でもしもし、と取ると、向こう側でいつもより早口で何かをしゃべっている。ただでさえ普段から早口で何を言っているかわからないのに、相当慌てているようで殆ど聞き取ることが出来なかった。ちょっと謙也さん、落ち着いてしゃべってくださいよ。そう言うと、とにかく家に行くから!と一方的に叫び、耳には虚しく通話終了を知らせる音が響いた。俺はまた短く舌打ちをして、とりあえずジャージを着替えることにした。
 しばらくすると、玄関のチャイムが鳴った。2階の自分の部屋から覗くと、案の定謙也さんが玄関にいる。のろのろと階段を降りているうちに、もう一度チャイムが鳴った。あの人は待つということを知らないのだろうか。いらいらしながらドアを開けると、俯いてしょんぼりした謙也さんが立っていた。いつもの金髪は見えず、何故かフードが深く被られている。

「こんな朝早くからどないしたんですか」

 謙也さんは答えない。口がむにゃむにゃ動いているから言いたいことはあるようだ。顔を覗き込むと、びっくりした顔で目をそらされる。早朝から押しかけといてその態度?俺の中の居所の悪い虫たちもさすがに抑えきれない。用件はよ言ってくださいよ。ふざけたフードを引っ張ると、いつもの金髪からひょっこり茶色い犬のような耳が見えた。謙也さんは泣きそうな声でどうしたらええ?と聞いてくる。

「…家入ります?」

 精一杯考えて、その一言が限界だった。



 フードを深く被りなおした謙也さんを部屋に連れて行くと、確認のためもう一回その犬のような耳を見てみた。手の込んだイタズラかと思いきや、その根元はしっかり地肌にくっついている。触ってみるとほんのり温かい。これはしっかり生えていると言えるんじゃないだろうか。怪訝な顔でそれとにらめっこのように向かい合っていると、涙目だった謙也さんがついに泣き出した。

「ざ、ざいぜん…おれどうしたらいいとおもうう…」
「ちょ、泣かんでください」

 謙也さんは嗚咽を漏らしだすし、その謙也さんに犬耳は生えてるし、どんな厄日やねん。心の中で毒づくもどうしようもない。今ただわかるのは信じられないけど、謙也さん犬耳が生えているということだけだ。わあわあ泣いている謙也さんにティッシュを投げつける。謙也さんは鼻を真っ赤にしてかんでいる。

「それ、いつからですのん」
「きょうおきて…かがみ見たらこうなってて…」

 ずびずびと鼻を鳴らしながら説明されてわかったことは、謙也さんにもわからないということだけだった。起きて鏡を見たら生えていて、とにかくパニックになって俺に電話をし、急いで来ただけらしい。俺より部長の方が頼りになるような気もするが、真っ先に頼ってくれたのが俺というのが、実は嬉しかったりする。嬉しがっている場合ではないけれど。

「あとな…もういっこあんねん」

 謙也さんはすっくと立ち上がると、ベルトに手をかけた。はあ?と言うことも出来ず、謙也さんはズボンを下ろす。この人この非常事態(?)に何考えてるん?!耳のせいで頭おかしくなったんちゃうん?!制止させようにも早々とズボンは下りきっていて、思わずぎゅっと目を瞑り身構える。動きが止まったようで、俺は薄く目を開けた。




「しっぽも…はえてきた」

 顔だけこちらへやり、後ろ向きになっている謙也さんのパンツからは、耳と同じ色の毛のふさふさした尻尾が飛び出している。

「まあ、耳生えてたら尻尾も生えるんちゃいますか」
「そ、そんな…」

 ここまでくると驚くことを通り越して呆れてしまう。もう耳が生えてようと尻尾が生えてようとひげが生えてこようと知らん。とは言ったものの、このままでは普通に生活することは出来ないだろう。しかし解決策があるわけでもない。視界でしょんぼり揺れる謙也さんの尻尾を見つめながら浅くため息を吐く。

「どないします?」
「わからへんから来たんやん…」

 ぺったりと犬耳が髪に埋もれる。犬を飼ったことがないからよくわからないけれど、飼い主に従順な犬を叱るとこうなるのだろうか。俺はそっと手を伸ばして、頭を優しく撫でた。未だに潤んだ瞳のまま謙也さんは頼りなく笑って、少しだけ尻尾に力が入る。

「財前に頭撫でられると、なんか落ち着くわ」

 そういって謙也さんは俺の頭を撫でる。耳が生えても尻尾が生えても、謙也さんの手のひらはいつものように温かかった。

「謙也さん」
「ん?」
「俺謙也さんのこと飼うわ」
「は、はあ?」

 どうしようもないなら、この情けなくて格好悪い捨て犬を躾けてみるのもいいかもしれない。らしくない思いつきだったが、なぜか俺は無性にそうしたくなったのだった。

「謙也さん、大事にしますからね」