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月下の誓約

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 それは月の明るい夜。
 奥まった廊下を歩いている時に、唐突にぶつかってきた者がいた。
「あいたっ!」
「うわっ!ごめんなさ……なんだ、秀か」
「閃ちゃん」
 影宮閃――秀より一つ年下の、夜行の仲間だった。普段からつるんで歩く程度には仲がいい相手だ。
「なんだはないだろー」
「何でこんな時間にこんなとこ居るんだよ。先には頭領の部屋くらいしかねーぞ」
「それはお互い様だと思うけど……」
 夜中に目が覚めたら閃の寝床が空になっていて、それがすっかり冷え切っていることに気付いて探しに来たのだ。
 そう告げると閃は不機嫌と照れ隠し半々の態度で頭に手を当てる。
「そんなの今更じゃん」
 近頃の閃には秀以上に隠密の行動が求められていて、よく訓練だと言ってはあちこちへと抜け出しているのも、いや、もともと気が向かないとすぐにどこかに行ってしまう性質であることをも秀は知っていたが、それでも一度くらい探さないといけない気がして探しに来たら、当の閃には若干うざったそうにされてしまった。
「そりゃあ、そうだけど」
 その時、閃の小さな異変に気付く。いつも通り強気な目で秀を見上げてきてはいるものの、顔は伏せがちで頬が赤く、呼吸も熱っぽい気がする。
 ――やっぱり、おかしい。第一、常の閃ならば、廊下の向こうからやってくる秀の気配に気付かずにぶつかってくる、なんてことはありえない。人一倍感覚の鋭い『妖混じり』なのに。
「閃ちゃん、無理してない?」
「なんだそれ」
「なんとなくなんだけど……熱があるんじゃない?」
 そう告げると閃の顔が更に赤くなって、怪訝になってよく見ようとすると月明かりの下で閃は自分の両頬を覆い隠した。
「なんでもない!いや……そうかもな。戻って寝るよ。ありがと。じゃな」
 そそくさと背を向けてしまった閃を、秀は反射的に呼び止めていた。
「閃ちゃん」
「ん?」
「こういうこと言うのは卑怯だってわかってるけど」
「――っ!?」
 閃が振り向く。その動作には余裕がない。――やっぱり。
「近頃、様子がおかしいのは頭領に呼び出されてるからじゃないの?」
「――!!」
 閃が棒立ちになる。赤い顔に冷や汗を浮かべて閃は振り返ると秀の腕を取った。
「閃ちゃん?」
「……その事、頭領のことだけは、秘密に……」
 秀の腕につかみかかるようにして閃はまくし立てる。その時。
「俺が、どうしたって?」
 聞き慣れた声が響いた。と、スル、と音を立ててふすまが開く。そこには夜着姿の正守が立っていた。
「頭領!」
「頭領!!」
 先に閃が反応して、次いで秀もその間の悪さに声を上げる。
「こんな時間にそんなボリュームで話されたら聞こえてくるじゃないか。内容まではわからなかったけど、どうしたんだ。俺の悪口か?」
「いやあの、別に、頭領の悪口とかじゃないですよ。ただ閃ちゃんが最近疲れてるみたいだから気になって――」
 胸の前で両手を左右に振りながら説明すると、閃が舌打ちした。
「この、バカ秀!」
「ちょ、バカとはなんだよー、僕はこれでも心配して……」
「その心配がバカなんだよ!大体俺は妖混じりで、普通より体力あるし、ちょっとくらいの無理なんて少し寝れば治るんだから、そんな言い方したら、と、頭領が気にするだろ!」
「俺が気にしちゃ悪いのか?」
「ああ、ええと、そういうんじゃなくて――」
 閃の焦る姿を見て、秀には理由がわかった気がした。
 きっと閃は、任務で疲れているところを正守に見せたくないのだ。いや、正守だけでない、他の誰にも見せたくないからこそ、秀に異議を申し立てて来たのだろう。その心理が理解できると、今度はそのけなげさと、せっかくの気遣いを無駄にした今の自分が間の悪さに涙したくなった。
 なら今できることはひとつしかない。
「そうだね、閃ちゃんはタフだから、ちょっと寝れば治るよね!」
 つとめて明るい声でそう告げると、閃が今日はじめて見る、緊張のとけた顔をする。
「そうなのか、閃」
 正守の顔は相変わらず心配そうにしているが、秀の言葉と閃の態度にどこかほっとした雰囲気もあった。
「そうそう、そうなんですよ頭領!だから今日もすぐ布団に戻って寝ますから、気にせずに!」
 秀も閃をフォローするために大きくうんうんと頷く。 
「こんな夜中に起こしてしまってすみませんでした」
「まぁ、起きてたからいいけど……閃」
「はいっ」
 閃がぴしりと背筋を伸ばす。
「なんだったらこのまま、俺の部屋で休んでいってもいいぞ?」
「!!」
 固まった。閃が背筋を伸ばしたまま、氷の彫像のように固まった。
 反して正守は冗談なのか本気なのか分からない笑みを浮かべて閃を見ていたが、秀に目線を移すと、静かな声で告げる。
「まあこんな感じなんで、どうする?俺の部屋で休ませるか、いつも通り雑魚寝するか?どっちが閃のためだと思う?」
「俺はっ、もっ、戻りますっ!」
 質問に答えたのは秀ではなく閃だった。顔をますます赤く染めて絞り出すように叫ぶ。
「そうか、なら」
 正守が閃の頭に手を置く。
 その時秀は気付いた。
 閃の頭を撫でる時の正守の目や、その愛おしそうな手つき、そしてそれを受け入れている閃の幸福そうな顔とまっすぐと正守を見つめる瞳に。
 ――ああ、そうか。
 この二人には何か、他人ではもう入り込めない関係性が築かれているのだ。
 任務によるものか、それ以外の要因によるものか、そこまでは分からないけれど。
 そしてどうやらその関係は秀が心配するようなものではなさそうだということも。目の前の二人が互いを労り合うその仕草は間違いのないものに見えたから。
「秀」
「はい」
「閃のこと、頼むな」
 俺が見ていられない間も――そんな心の声が聞こえた気がした。
「わかりました」
 秀がどこか厳かに承諾すると、正守は秀に向かって微笑んでみせた。

「ったく、俺のことまで気にしすぎなんだよ、秀はさ」
「うん、それは悪かったよ。僕が気にするようなことじゃなかったってことだよね」
「……飲み込み早いじゃねーの」
 月明かりの下、とぼとぼと二人、若い衆が雑魚寝している部屋へと向かう。
 ふと、秀は閃に、大事にしてしまった今日のことを何かで購おうという気になって、閃に言う。
「ねぇ閃ちゃん、もしこれからも頭領と会うけど人には知られたくないって時は言ってよね。僕、協力するからさ」
 なのに――
 スパーン!とすごい勢いで頭をはたかれた。
「なっ……閃ちゃん!?」
「そっ、そんなこと、言えるか!!この……バカ!」
 叩かれた理由のわからない秀は、頭から湯気を出して足早に歩いていく閃に追いつくようにと月光の下を慌てて駈けだした。

                             <終>
作品名:月下の誓約 作家名:y_kamei