泡沫ブライダル
「常月さん、私と心中してください」
その要望に常月まといは法悦の表情で、はい、と応えたとさ。
自殺願望キャラを演じてはいるが、本来望は生にしがみつくごく一般的な、少しだけネガティブ思考の入った人間なのである。
そんな望がこんな柄にもない事を言い出したのは、思い返せばほんの些細な出来事が切欠だ。まといが望に纏うようになったあの日、望は言った。心中こそが究極の愛だと、愛しているなら心中してみなさい、と、私でよければいつでも心中してさしあげますよ、と。
実質的にこの言葉で彼女を射止めた訳で、その言葉を実行しないでいては来年彼女の夫となる男として示しが付かない。それに、彼女とならば生の界から離れ神の下に召されるのも悪くはない、そう思えるようになったから。
こうして、十月十日。紅葉漂うこの道で、二人は首に縄を掛けたのでございます。
ところがどうでしょう。
神の下に召されたのはまとい一人でした。
厳密に説くならば彼は彼女が息絶えた後直ぐ糸色の手の者によって縄から身体を下ろされ命を取り留めましたが彼女だけを死なせてしまった事を嘆き悲しみ死んでも生きてもいないただただ彼女の遺影を眺めるだけの抜け殻になってしまいました嗚呼正に死に損ない。なんと惨めなこと、なんと情けのないこと。
彼にとって彼女は空気の様な存在でした。気の置けない、それでいて生きる為になくてはならないもの。それが彼女でした。
しかし背中にはもう彼女の気配がない。いや元々彼女の気配は察知が困難ではあったが、それでも、確かにそこにいるという安心感があった。それを、今はもう感じない。脳が彼女がもうこの世にいないという事を自然と認識しているのだろうか。
兎にも角にも、彼は彼女がいないという事実が悲しくて寂しくてどうしようもないほどに込み上げる絶望感に浸っていたのです。
「常月さん、つねつきさん、ツネツキサン」
何度名を呼ぼうと彼女は現れない。当たり前だ、彼女はもう死んでいるのだから。
何度語りかけようと彼女は笑わない。当たり前だ、彼女はもう写真でしかこの世に存在できないのだから。
何故何故心中しようなどと馬鹿な事を言ってしまったのでしょう糸色の家が自ら命を絶つなどという愚考を見逃す事はずがなかったのに、何故何故。
後悔後悔また後悔。前にも後ろにも後悔後悔また後悔。後悔先に立たずと言いますが、もう望にはこの先の人生も後悔しか残っておりません故後悔後悔また後悔。
「まとい」
嗚呼下の名前を初めて呼ぶ場が貴女の遺影の前だなんて、とまた一つ後悔。こんな事になるならば聞き飽きると言うくらい名前を囁いて、愛を囁いてやりたかった。何せ彼女は愛がなければ死んでしまう、寂しがり屋の兎のような人だから。
彼女の事を思い出しまたはらりと涙が頬を伝う。寂しがり屋なのは彼女だけではなかったらしい。
貴女が側に居てくれなくては駄目なのです。そうしなければ自分は寝る事も食べる事もできないのです。
嗚呼、まとい。
「貴女は、どこにいるのですか」
「ここですよ」
不意に、あの懐かしい声が聞こえた。
びく、と肩を跳ねさせるも直ぐに状況を把握する。あぁなんだそうかそういうことだったのか。
どうして今まで気付かなかったのだろう、今までずっとそうだったではないか、当たり前の事だったではないか。
瞳を閉じれば心を通わす事ができる。彼女の姿も見える。彼女の存在も感じる事ができる。
「あぁ、いたんですか」
「えぇ、ずっと…」