嵐の訪れ
どうして自分はここにいるのだろう。
どうして自分は生きているのだろう。
どうして、どうしてと頭の中で疑問を繰り返していた。
別にアイデンティティークライシスになったわけではない。
謂わばこれは、ただの興味だ。
数分前、とある掲示板にて新宿の情報屋・折原臨也は見るも珍しい、あるものを見た。
サクラや売春といった勧誘文がズラリと続く中、たった一つだけ目に留まったスレッド。
『たすけてください』
そのたった一言だけの文章が、男の目に留まり、興味を引かせた。
その一文を暫く見つめているうちにふと、頭の中に出てきたもの。
「…諺かな」
遠くて近きは男女の仲、そんな諺があったことを思い出した。
清少納言の枕草子の中の言葉だったような気がする。
意味は確か…「男女の仲は、少しも縁がなさそうなほどかけ離れていても、意外に結ばれやすいということ」だったか。
なんでそんなことを思い出したかというと、それは今見ている文と自分の現状が重なったから。
自分の現状、それは今こうして頭に包帯を巻いて病人のような格好をしていること。
恋人のため、自分を囮にかけた代償だ。
男の恋人は情報屋の恋人という名目からか、何かと標的にされやすかった。
しかも恋人はまだ学生で未成年あり、男とは八歳差だった。
ロリコンと称しても相違いない年齢差だったが、男は気にした様子もなく、恋人も特に気にしてはいなかった。
二人の感覚はどこか同じように似ていて、でも違っていて、狂っていた。
だからかもしれない。雰囲気と感覚が似ているというのは厄介なことだった。
そして情報屋という職業柄、多方面の人間から怨みを買ってしまうこともそう少なくはないのだ。
だから狙われやすいのだが最近では多少頭を使う奴も増えているようで、自分の周りの人間に危害を加えるような、男が言えるものではないが…下衆な輩もいる。
「ヒーローは遅く登場するって相場が決まってるけど、俺と帝人君は別だからなぁ」
ヒロインであるはずの恋人ではなく、自分自らを差し出して、守った。
意外に慌てるかと思えば、自分でも吃驚するくらい冷静で、可笑しくて笑った。
そんな自分に狂っていると言葉を放ったのは紛れもない恋人で、自分を敵地から救ったのも少女だった。
『臨也さん…!』
呼ばれたことに嬉しさを覚えたのは初めての体験だ。
少女が瞳に大粒の涙を浮かべながらぼろぼろになった自分の体を支えてくれた、それだけで。
充たされた気がした。
『たすけてください』
それは、言葉だけでは誰も気づかない隠されたメッセージ。
誰かが気づかなければ分かるはずのないもの。
(パタパタッ…)
聞き慣れた足音が近づいてくる。
その音に口元を緩めて、来るだろう扉を見つめた。
そしてバンッ!という音と共に勢いよく扉が開いて入って来たのは勿論、恋人の他ない。
「臨也さんっ!絶対安静なんですから、寝てなきゃだめってあれほど…!」
「ごめんごめん。今からちゃんとベッドに戻るよ」
こんな普通の会話を自分がしているのかと思うとまた笑えてくる。
しかし、これも恋人と育んだものだと思うとまた違うように感じることができた。
【嵐の訪れ】
それは山に風が吹くという生易しいものの喩えではなくて。
何か得体の知れないものが唐突に来るというものだった。
『臨也さん、勝手に死んだりしたら、許しません』
それは何なのかと聞かれたら、こういうしかない。
これは全て、愛情だと。
fin.