子供
目の前で、ふくれっ面をそのいかにもやわらかそうな頬に浮かべて俺を睨む小さな餓鬼を見下ろす。
餓鬼はやわらかに波打つ癖のある髪を無造作に垂らして、あくまでこの国の装束を着ることもせず、人間で言うならたかだか13歳、14歳ばかりの体を持て余しているかのように俺を睨む。何も知らない餓鬼を哀れだと思う。何も知らない餓鬼を羨ましいとも思う。だがそんな生ぬるい感情よりも先にこの体を支配しようとするのは、殺意。餓鬼の鼻っ柱に向かって一発、重い拳を叩きつけてやれば、餓鬼の鼻をへし折ってしまうだろう。まぁ、ちっとは見た目の良い顔も不細工になるかもしれない。それでも俺は拳を止めず、餓鬼の体をボールのようにぽーんと蹴り上げ、踏み潰し、首を絞め、骨を砕き、血と涎と鼻水を撒き散らして吼えるだろう餓鬼の体をミンチにして、こねて、こねて、こねて、こねて、こねて、こねて、つぶして、丸めて、焼いて、その灰すらも踏み潰して、あの黒く流れる偉大なボスポラスの海へと捨てるだろう。そうしてしまえば、いよいよ俺は身が軽くなる。軽くなって、そのまま俺のこの太古から生きる重い身体は宙に浮かび、そのまま灰の如く消え去るだろう。そしてそれはきっと官能的ですらあるような心地であるに違いない、と切望している。俺たちの道理というやつは、見た目ではない。見た目がいくら甘く、やわらかな体を持った子供だとしても、それは違う。中身はどろどろと黒い血の流れる、太古から続く人間の恨みや怒り、憎悪、欲望、そういった俗世の醜いモノの塊が何百年と蓄積された、血の塊。自分が生きる事だけを赦す事ができる、唯一の国。だから相手がどんなに幼い顔をした子供だといっても、腹の底にくすぶる憎悪は血を熱くする。沸騰する血の怒りと優越に感情を高ぶらせ、しかしそれを読み取られまいと俺は仮面の下で笑みをうっすらと浮かべる。餓鬼の目には、お前を殺してやる、というはっきりとした、新鮮ですらあるような感情しか見えない。嗚呼、おまえみてぇなひよっこの糞餓鬼に殺される筈がねぇだろうが。お前なんてこの俺がちょぃとスルタンの耳に、甘い言葉を囁けばすぐに百万の大群が押し寄せ、全てを更地にして、消し去ってしまう事ができる。この大国のひしめき合う地図の中からおめぇみてぇな餓鬼ひとつ消えた所で何も変わりゃしねぇ。あと五百年もすれば全て伝説、神話の中のもの。ベドウィンが風の噂に囁く遠い異国の話となるだけ。たったそれだけの事。おまえが生きている、という事はそういう事だ。神の慈悲でも、おまえ自身の強さの賜物でもなんでもない、ただの戯れ。ただ一瞬の気まぐれ。そろそろ収穫の時期だから、血生臭い事はなしだ、というただそれだけの気まぐれ。嗚呼、俺としちゃ早くお前を取り込んでしまいたい。お前を取り込み、お前の領土を手にしよう。そうだな、手始めに水運の主導権を握り、商業都市でも建国しようか。そこから搾取できる財産はまたこの国を潤すだろう。それから、それから、
「お前は哀れだ」
餓鬼がぽつりと呟いた言葉が耳に飛び込んだ時、俺は着込んだ装束の重さも感じず餓鬼を蹴り飛ばしていた。女たちが声を上げ、宦官が餓鬼に走りよったが、餓鬼は全てを無視して俺を見上げていた。