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そらいひる
そらいひる
novelistID. 22276
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蝶の舌

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蝶の舌


彼の少年は震えていた。日頃の明朗な声音は出せずにいた。彼は必死に堪えていたのだ。
噛み締めた奥歯はそうせずにはおれぬ。そうしておかねば屹度溢れ出る。
それは腹の底に留め置いた、消し切ろうと足掻いたが消し切れずにいた。忘れようと努めて忘れまいと刻んだそれは、時折嘔吐のように襲い来る。
胃腑を焼き舌根を焼き、ぐるぐると逆巻きながら迫上がるそれを無理やり飲み下す。そうして何度も腑を焼く。吹き抜ける道は焼け爛れて最早言葉になること能わず、咳込むように呼吸すれば火の玉のようだった。
けれども慶次は笑って生きて来た。腹の裏を自ら焼きながら、火の玉を鎮めながら。大切な人々を自らの焔で焼かぬようにと。平気な顔で冗談を飛ばし、女を愛で、男らと未来を語り合った。そうしている内は清らかであれた。人を愛することに躊躇など要らず、愛するように愛されることも苦でなかった。

けれどももう留め置くことはできない。
もう何もかもが遅い。矢は放たれてしまった。

慶次は男を組み敷いた侭、凝っと面を見詰めている。呼気が触れる近さにあるそれは蝋の様に艶めいていて冷やかだ。既に老境に至る男は頬を微かに窪ませて静かに笑んでいる。くっと持ち上がった唇は容良い嘲りを含んで慶次を見上げている。
押さえつける手首は細い。そして女の様に冷たかった。万力を込める慶次の膂力に只管耐えながらも抵抗の兆しは無い。盲いた梟、年老いた麒麟。若い慶次が締め上げる場所を手から首に変えたなら、ぽきんと折れてしまうだろう。押さえ付けるにも両手は要らぬ、片手間で殺してしまえる筈だった。だけれども慶次は全身に震えが起きる程の力を込めて男を組み敷いていた。

「どうした少年」

びくり、と慶次は巨躯を大きく震わせた。吾子を慈しむ様な男の囁きは強烈な甘さを以て脳髄を痺れさせる。けれども、ひらりと閃いた眼には嘲りと蔑みが冷え冷えと煌いていた。一層笑みを深くしながら男は自ら頭を擡げ、慶次の耳元に唇を寄せた。

「私を殺さないのかね」

息と共に耳へ吹き込まれた囁きは欲情を焙り、鞴の役割で憎悪を熾した。瞬間に晒された白い咽喉笛に歯を突き立てて、野性の侭に食い破ってしまいたい衝動が全身を巡った。命じられるが侭、慶次は大きく口を開いて勢い咽喉仏へ喰い付いた。
急所に喰い付かれた男は一瞬身じろいで―――あぁ、と深い溜息を吐いた。恍惚の吐息に赤く染まる視界は益々狭まって、何も見えなくなっていく。ただ只管に歯に当たる肉を破って終いたくて仕方がない。慶次は顎にぐ、と力を込めた。


突き飛ばされた巨躯は思いがけず転がった。反射的に身を起こしたが慶次は呆然と宙を見据えた。口元を赤く汚しながら子供の様に怯えている。拳で何度となく口元を拭う慶次を低く嘲笑う声がした。
男は身を起こし肌蹴た襟元を緩慢な仕草で直している。袖から覗く手首には赤黒い手の痕が、そして乱れた咽喉元からは血が垂れていた。白い指先で滴る血を受け止めると、それを口元へと運ぶ。紅を差す様に血を含み、男は笑った。

「今少し・・・、あと少しで私の血肉は卿の物になったものを。残念だよ、少年」

赤く彩られた唇を見ながら慶次は錆の味が広がっていくのを感じていた。そして己のした事を顧みる。
食い殺そうとした、この男を。人間を。この口で、この歯で。人間を食おうとした。口いっぱいに満たされていた温かなものを思い出す。ぬるりと濃い血液の生々しさに驚き、我に返ったのだ。咄嗟に口を放すと白い皮膚が破れて、その切れ目から真っ赤な肉が覗いていた。怖れに目を瞠っていると男は不快そうに顔を顰め、押さえ付けていた手を振り解くと慶次を突き飛ばした。

「怯懦、怯懦・・・。獣に成り果て得なかったか。それこそ卿の真性であるのに」

慶次は口を覆った。震えが止まらなかった。
ふと目の前が翳って眼を上げると男が側に来ていた。方膝を立てて蹲る慶次を覗き込む仕草は、親が子供によくしてやるものだった。男の手が傾きに飾られた慶次の髪を撫でる。男の白い咽喉と胸元が目の前に迫る。白い傷口からは尚も血が垂れていた。鮮やかな彩りに眼を奪われている慶次に眼を細めて、男はそうっと慶次の頭を抱き寄せた。

「なに。獣として人が食えぬなら、人として毒を喰らえばいいのだ」

さぁ好きだけ貪るといい、と囁かれた赦しに慶次は恐る恐る舌を伸ばした。
作品名:蝶の舌 作家名:そらいひる