海に行く話
ただ、ここで重要なのは、僕は本当には憤っていないということだ。大抵のことを当たり前にこなす彼らは時に嫉妬の対象となり得るけども、それを上回るいいところもあるので、毎度毎度苛立ってなんていられないのだ。それに、負の感情はいつもまき散らしているのは面倒くさいし疲れる。まあ時たま漏れてしまうのは仕方がない、と思う。
「怖い顔をしているのだよ、黒子」
「暑いんですよ、ここ。陽は当たらないけど、風が吹かないせいで熱気がこもっているんです」
「なるほど、確かに。じゃあ、海で一泳ぎしてくればいい。頭もすっきりするだろう」
「あそこにたどりつく前に干からびます・・・って、緑間クンいたんですか」
「散々話しておいてオマエは何を言ってるのだよ」
不覚にもまったく気づいていなかった。なんとなく話しかけられたのでなんとなく答えただけで、緑間真太郎という個人と話しているつもりは僕にはまったくなかったのだ。彼はとぼけて首を捻る僕に呆れたように肩を竦め、僕の隣に座った。小さなビーチパラソルの下に男二人とは明らかに狭すぎる。どいてと目線だけで合図を送ってみるが、気づいているのかいないのか綺麗にスルーされておしまい。彼のことだから前者だろうけど。
「どうしたんですか」
「……いい加減暑くてな」
「ここ、さっきも言ったとおりめちゃくちゃ暑いんですけど。ていうか、緑間クンもさっき同意してたじゃないですか」
「やけに棘があるな、黒子」
「だから暑いんですって。ひとりでも暑いって言うのに、なんでわざわざ二人でパラソルの下にいなきゃいけないんですか」
先ほどのむかつきと暑さと聞き分けのない緑間君への苛立ちが見事に合わさって、僕は饒舌に言葉を発する。どちらかというと無口な方に分類される僕の言葉のラッシュに驚いたのか、緑間君は律儀にかけた眼鏡をくいっと上げ僕をまじまじと見た。
「なんですか」
「こんなところに一人でいるから苛立つんじゃないのか」
「余計なお世話です」
ああ、本当に僕と彼は相性が悪い。突っ込んで欲しくないことをずばずばと切り込んでくる彼がひどく鬱陶しかった。それを確信してやっているならば、こちらとて対処の仕方はいくらでもあるが、天然でやってこられるから尚更困るのだ。
「水は冷たいのだよ」
「はあ」
「確かにパラソルから一歩出れば容赦なく太陽が照りつけるが、一度海に潜ってしまえば気にならなくなる。むしろ水で体を冷やした方が体感温度的には涼しいはずだ」
「何が言いたいんですか」
「にぶいな、黒子」
いぶかしげに彼を見ていると、手が、バスケットボールを悠々と片手で掴んでしまう緑間君の手が、不意に僕の手を何も言わず掴んだ。何をするんですか、と抗議の声をあげる間もなくぐいぐいと僕を引っ張り上げたかと思うと、照りつける太陽の下に問答無用に引きずり出す。焼けた砂浜の感触が裸足ではひどく熱く、僕は馬鹿みたいにぴょんぴょんと飛び跳ねるが彼が手を離すことはなかった。というか、どうしてちゃっかり自分だけビーチサンダルを履いてるんだ、この男は。
「ちょ、戻って、」
「いいから」
緑間君が向かう場所は一つだ。どんな馬鹿にだって分かる。近づいてくる僕らに気がついた黄瀬君が大きく手を振り、そんな彼に青峰君が放ったビーチボールが当たる。やいのやいのやかましく騒ぎだした彼らを見て、なんとなく足を止めてしまった僕に、緑間君は言った。
「行かないのか、黒子」
「……行きますよ」
こちらに転がってきたボールを拾い上げ、とくに何にも考えず青峰君に向かってレシーブしてみる。ぼんとあまり力強さの感じられない音がして、見事命中。
「何してんだよ! テツ!」
「おお! ナイスっすよ〜黒子っち!」
わあわあ声を上げながら近づいて来るキセキのメンバーを、肩をすくめながら迎えていると、不意に掴まれていた熱が消えたことに気が付く。緑間君は相変わらず僕の隣に立っているが、その手には何も掴まれていなかった。当然のことだと言うのに、僕は意味の分からないさみしさに襲われた。もやもやと形容しがたい感情が胸中に渦巻く。そうして、ただ訳も分からず緑間君に苛立ちを覚える。多分、本日一番大きな感情の渦だ。
「緑間クン」
「なんだ?」
「ビーサン貸してください。足、熱いです」
「……断るのだよ」
いつの間にか裸の足の熱さは気にならなくなっていたが、掴まれた手首の熱さがなくなることは、いつまでもなかった。