レッドアラート<プロローグ>
溜息を吐こうにも、乾いた笑いを零そうにも空気が上手く取り込めなくて断念する。あー、しくった。マジ失敗した。燃えるように熱い腹を押さえながら、俺は自分の最期を思った。死ぬ程格好悪い死に様だ。
まあ、格好付けようと思ったわけじゃないし、かと言って正義感に衝き動かされたわけでもないんだけど。思わず走り出していた、それだけだ。反射的に――…そう、身体が昔のことを覚えていて咄嗟に動いただけだった。
かつて斬り込み隊長を務めていた俺は、見ず知らずの敵にも先制攻撃を仕掛けるのが役目だったから、何も考えずに突っ込んで、結果この様。いい加減現実とテレビの中との区別を付けろと言いたい。俺に。いや、テレビだったら良いってわけでもないけど。
『役どころは分かるが無茶が過ぎる』って、アイツには良く窘められたもんだ。その、アイツの声が聞こえる。
「陽介」
瞼は重いし、痛みで全身麻痺してるのか力が入らないのか、兎に角ダルかったけれど、我らがセンセイに呼ばれて応えないわけにもいかず、ゆっくりと目を開ける。
真っ先に飛び込んできたのはシルバーとブルーのネクタイ。柄は千鳥格子で、ブルーは海の底を思わすインディゴから快晴の空のコバルトへと向かうグラデーションになっている。忘れもしない三年前、就活が始まった頃一緒にスーツを買いに行って、俺が見立ててやったヤツだ。今朝、コイツがこれを選んだのを見てたから、俺もその時コイツに選んでもらったネクタイ――チョコレートブラウンを基調とした、ホワイトの中に一本だけオレンジのラインが入ってるタータンチェック――にしたんだが、きっと血で汚れちまってるんだろうな。あーあ。
ごめんな。折角選んでくれたのに。そんな気持ちで奴の顔を見上げて、俺は凍り付いた。眼鏡越しに向けられる視線の鋭さ、眉間の皺の深さや白くなる程噛み締められた唇にひゅ、と息を呑む。肩が強張る。
「……あい、ぼ、」
「……喋るな。今、救急車を呼んでる。それまでの辛抱だ。だから……」
その先は続かなかった。声を詰まらせた相棒は、ぐっと俺の腹に体重を掛けてくる。重いし痛え。気分も悪い。押されたトコから血が逆流して口から噴き出しそうな気がする。顰め面でそこへと目を遣れば、更に申し訳なくなった。……俺の腹を押さえる手の平の下、そこにはたった今まで着ていたであろう背広が宛がわれていて。
「なあ……服、よご、れ」
「黙ってろ!」
怒声が飛ぶ。目が据わっている。それなのに、コイツのこんな声、久し振りに聞くなって思ったら、不思議と笑ってしまった。ホント、昔に戻ったみたいだ。
ダイス系の敵には攻撃するなって言ったろ、だとか、どうして周りばかりで自分は回復しないんだ、だとか、色々説教食らったっけな。目の前の顔が中々変わらないモンだから――…いや、変化が分からない位近くにいたからか、変化と言えば普段から眼鏡を掛けるようになったけど、それがあの時と殆ど同じ眼鏡だからか余計に懐かしく思えてしまう。戦ったり、語ったり、殴り合ったりで青春を謳歌した日々。俺の、初めてで多分最後の親友と出会って七年。途中、離れたこともあったけど肩を並べてここまで来られたことが嬉しいし、誇らしい。
口元が緩むのを押さえ切れない。……なあ、相棒。俺、死ぬんだろうけど全然怖くねえや。
ゆらゆら揺れるネクタイの上。俺を見詰める鬼の形相にふっと笑い掛けた。閻魔大王でも裸足で逃げ出しそうな面構えだ。本当に、一緒に行けたら頼もしいけれど、こうして見送られるだけでも、先に進める。俺はコイツの相棒なんだって思うだけで、どんな闇でも進む勇気が湧いてくる。……やっぱ、お前ってすげえよ。
「……俺が、いなく、ても」
だから、俺は一人で逝くよ。
離れ離れになったって、姿形が見えなくたって、俺はお前の相棒だから。辿った道の先が天国でも、地獄でも、相棒のお前に恥じないように『花村陽介』の魂が潰えるその瞬間まで俺は、毅然と立ち向かうから。
「しあわ……せ、に……なって、くれ、よ」
「な……に、馬鹿、言ってるんだ。ふざけるな」
「祈ってる……から。ずっと……はな、れても。見え、なくな……って、も……」
まあ、寂しいっちゃ寂しいけど、な。悔いがないわけじゃないし。正直、もっと生きたかったし。
でも、最期にお前が立ち会ってくれたってだけでも充分なんだ。遠のく意識を必死に繋ぎ止めてくれている手の温もりに、呼ぶ声に、泣きそうなスモーキーグレイの双眸に俺はあと何を伝えられるだろう。何を遺そう。
俺がそうであるように、お前が、俺が相棒だったことを胸に生きていけるような気の利いた一言……は、残念ながら浮かばなくて、結局、最初に浮かんだ言葉を口にする。遺言としてはありがちな、でも、譲れない一言。
「ありがとな」
俺を、相棒と認めてくれてありがとう。
俺を、支え続けてくれてありがとう。
俺と、生きてくれてありがとう。
何百、何千、何万回分もの『ありがとう』を込めて贈れば、釣り上がった目の縁から透明な雫が零れ落ちてくる。あー、ヤベ。不謹慎だけど、ニヤけちまうよ相棒。
俺の為に泣いてくれるのが嬉しくて、今ならもう一つ、今の今まで隠してた想いまで言えちゃいそうだったけれど、気分だけで身体はもう限界らしかった。あんなにうるさかった心臓が急に静かになってきて、口どころか顔の筋肉まで張り詰めて動かせそうにない。やっぱ、この不埒な感情は墓場まで持ってけってことか。そうなのか。
「陽介! おい、しっかりしろ! 陽介!」
最後の力を振り絞って、その姿を瞼の裏に焼き付けた。
青筋立てながら涙を流す、そんなちぐはぐな表情でも滅茶苦茶男前な俺の相棒。優しく、時に厳しく俺の背を叩いてくれた親友。気の置けないルームメイト。
「陽介。……楽にしてて良い。喋らなくて良いから、目は閉じるな。陽介、……陽介、返事をしろ!」
そんなお前が、俺は、誰よりも大好きだったんだ。
「陽介! 陽介! 死ぬな、置いて……行かないでくれ……陽介ェェェッ!!!」
矛盾だらけの台詞に突っ込む余力もなく、項垂れ叫ぶ相棒を見捨てる形で俺の意識は途切れた。
視覚、味覚、嗅覚、触覚と次々に感覚が失われていく中、最後に聴覚が奪われる寸前まで俺の名前を呼ぶ声と、そこに混じって聞き覚えのない誰かの『……君が最初に来るとはね』という呟きと、クスクスと薄気味悪い笑い声がいつまでも、いつまでも俺の中に反響していた。
作品名:レッドアラート<プロローグ> 作家名:桝宮サナコ