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腕の首ならば 欲望のキス

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ひたりと肌を蛭が這っているような錯覚を覚えた、人はその正体を松永久秀と呼ぶ。彼が腕を、爛れたように赤い舌でなめ削っていく姿は中々怖いモノがあった。
「…………ふふ」
 自分の肌を満喫しきったのか、顔をあげてきた男は獣のように舌なめずりをする。髪に白いものが混じった自分より年嵩の男なのだが、その姿は艶やかを極めた。化け物のような男だと改めて思う。己のしたいがままに生き続けた人の末路なのだろうか、凡人とはかけ離れ、しかしながら俗人とはひと味違う印象を与えてくる。
「さすが卿は忍だ。悲鳴をあげず、震えもせず、ただただ無言で黙り続ける事が出来るなど」
 私には出来るまい、と誉めているのか人らしくないと貶されているのか理解に苦しんでいれば、それを知ってか知らずか彼は口に笑みを称えた。
 年齢にそぐわないような表情。まるで幼子が悪戯に成功したのを、純粋に喜んでいるようである。しかし、その中で光を反射しない混沌とした瞳が異常だった。
「なんだね、そんなに黙られては反応の余地がないだろう。表情の一つも浮かべられないのかね、卿は」
 唇を舌で舐める姿は艶めかしかった。酷く赤いそれは血、そのもののようである。松永の白い腕は自分の頭部へ延びて、被っている兜を脱がされた。
 取り返そうとするのだが、咄嗟のことに反応出来なくて、視界を妨げていたそれは宙を舞って部屋の反対側まで投げ飛ばされた。
 あ、と思わず声が喉を出かけた。無論錯覚である。声を出す方法がないし、そもそも身体を傷付けられた訳でもないのだから。もし言葉を吐き散らし、思い切り目の前の男へ突っかかる事が可能ならどれだけ気分がいいのだろうか、とも思うけれども。
「卿は私に雇われているのだから、私を楽しませる義務を背負っているのだ。何かしてみせるといい」
 淀みなく話す彼に思わずため息を吐けば松永は眉を顰めて、指で額をこつりと叩いてきた。思わず反射的に睨んでしまう。
「苛烈、苛烈。目は口ほどに物を言う、とはこの事か」
「(うるさい)」
「煩いとは酷いでは無いのかね? というか卿は話せたのだな」
 無論、話した訳ではなく言葉通りに口を動かしただけだ。もしかしたら理解出来るかも知れない、と実際に行えば十二分のようである。
 口角を上げるものの音をたてずに笑う姿は魔の化身のようだった。自分も魔、と名乗っ
ているにも関わらず絶対的な差が生じている現実にげんなりした。これが草と梟の違いなのかも知れないと、納得した所もあるが。
「(はなせたら もんだいか)」
「そんな事はないだろう。たどたどしくしか、言葉を発せられないとしても、卿が私に話し掛けた事には変わりないのだ」
 彼は縷々とした、まるで角張った形式上の言葉のように流暢に話してきた。酷く耳に残るような声音が、ぐわんぐわんと脳髄を揺らす。
「まぁ、卿が声というか、吐息の延長上のような悲鳴なら多々聴いたことは多々あるのだがね」
 思わず、顔に熱くなるのを感じた。感情を露わにするのは影に生きるものとして最低であると思うのだが、誤魔化せる代物なのではないのだ。言われた言葉が今更ながら毒のように自分を苦しめる。
「全く、顔を赤くして。相変わらず卿は素直で可愛い男だ」
「(だれが かわいいなど)」
「面白い事を言うのだな。卿以外に誰が居るというのかね?」
 は、と大仰にため息を吐いた久秀はもう一度、自分の腕をうやうやしく取り上げてきた。何をしたいのだろう、とされるがままにしていれば、彼は腕首にまたも口を寄せてきた。
 ぴちゃ、と音をたてて唾液でぬめりを帯びた舌が自分の腕を撫ぜた。やはり蛭かナメクジが這い回るよう、ゆっくりとゆったりと舐められる。舐められた場所から、ひやりと冷たくなって思わず背中が震えた。
「(おなご とか)」
「女子衆は愛らしくて当たり前ではないかね? 卿には、そうだな……麗しいという言葉でも贈ろうか」
 唇を腕に這わせたままに話されれば、暖かい吐息が断続的に皮膚にあたって、思わず腕を引こうとすれば押さえつけられた。いつもはこちらの方が力が強い筈なのに、動揺をしているのか年嵩の男にさえ勝てない。
「(きもちわるい)」
「は、は。中々酷い事を言うものだ」
 腕に顔を埋めたままでこちらを見上げてくる男は、女人に見間違える程に艶やかだ。思わずその姿を前髪の中から見ていれば、彼は見せつけるようにキスを落としてきた。
 舌で舐められる訳ではないが、吸い付かれちり、と痛みを覚える。赤く跡が残るであろう、と思うと苦笑せざるを得ない。
 自分の仕事着だと、もしかしたら露見するかも知れない場所である。籠手でうまく隠れるように小細工をしなくてはならないのか、全く仕事に支障をきたす事は止めて欲しかった。
 もう跡は絶対ついているだろう
に、彼は執拗に腕に吸い尽く。ついには男の唇と接触していない場所でさえ赤く鬱血をし始め、そろそろ離してくれないだろうかと思っていれば、こちらの心を見透かしたように彼は身を引いた。
 矢張り、腕首に赤い痣が残っていた。若干ひりひりする場所を、自分以上に白い腕が労ように撫でてくる。
「ほら、早く鏡を見るといい。なぜ私が卿を可愛いと称したのか理解出来るであろうから」
 装飾を施されて、素人目にも高価だと知らしめてくる鏡を受け取って自分の顔を映すと、髪に唯一隠れていない場所が髪と比べればなんともないものの、ほんのりと朱が混じっていた。自分では全く想像もついていなかった事実に思わず絶句する。
「ほら、食べれてしまいそうでないかね?」
 闇夜を切り取ったような瞳には、欲望が色濃く渦巻いていた。