塩
ならば、一つ南にあるこの湾に、その欠片でもたどり着く可能性を考えたら、五百年以上かけても無理だと考えるくらいには、フランスはオプティミストを演じるのがうまいペシミストだった。
ノルマンディー地方のツアーなら日帰りセットで行く旅行者もいるくらい近い場所であるが、水の流れののままに行くには、永遠とも言える時間と、奇跡的確率が必要だ。
車道の脇に伸びた砂地をフランスは歩いていた。裸足だった。
汐で湿った砂は、パール貝に似た爪を汚していたが、普段から畑に入っている生活を送る農業大国は気にする必要がない。
歩き始めより、砂は海水をそこそこ含んでいた。何度か鐘も鳴っている。
少し昔だったら、こうして歩いているうちに、たどりつく頃には、完全に海に沈んでいたことだろう。
あの修道院に行くには、遺書を準備しておけ、と言われたのはいつの頃だったか。
昔はたくさんの巡礼者が間に合わず、底へ沈んだ魔の道も、今はせき止められて汐の流れが変わり、沈むことのない砂地ができた。
フランスの隣で、時速3桁のスピードで、BMやトヨタが走っていく。せめてルノーにしてほしいけれど、金を落としてくれるなら文句も言えない。彼らの環境にやさしい車は、排気も潮の匂いに紛れてしまっている。
最果ての海を望んでも見ることができなかった時代に比べれば、何とも贅沢な匂いだった。
それと引き換えにしたものも、なくはないけれど。
「私だけじゃないそうですよ」
「何が」
「お告げ」
字の読めない少女が珍しく頼みごとをしてきた。それは、過去の文献をひも解くことだった。
古い文字を読むのに、そのあたりでも自分ほど適した存在はそうそういなかったし、ほとんどの聖職者たちは表では煽てるように媚びてきたが、蔭では少女を嫌っていた。彼らの価値観では、聖人はオルレアンのような田舎から血筋もなく教育も受けないなかから生じてはいけないのだ。
自分が生まれていたかどうかという時代に、お告げを聞いて修道院を辺鄙な離れ小島に建てた男の話だった。
ある意味、クレイジーだと思ったが、少女はまるで絵物語を見る子どものようにただでさえ大きな目を熱心に開きながら聴いていた。
「海を取り戻したら、行けますね」
「そうだな。確かオムレツが美味いらしい」
「オムレツ?」
「鶏の卵を、バターでふわふわに焼き上げた料理。名物なんだよ。味付けは塩だけでいい。そこのは、塩だけで甘く感じるそうだ」
行ってみたいかと、首を傾げて問うてみたら、権力欲も金欲も性欲も乏しい中、食欲はそこそこある少女は、慌てて口元をささくれた指先で拭った。
素晴らしい修道院でしょうね、とすぐに取り繕ってしまったけれど、涎も我慢できなかった女の子のままでいるくらいで、俺は良かった。
聖女と呼ばれたがために、とうとう海を見ることも、オムレツを食べることも叶わなかったのだから。
冷静に考えれば、今踏んでいる砂の中に、少女はいない。
いないから、裸足で踏めるのだ。
でも、どこかでこの砂地に辿りついていて欲しいと思ってしまうのもフランスは否定できなかった。
両義性を示しているかのように、海を分断するアスファルトの下は、再び二つの海をつなぐ工事をしている。
工事が終了したら、汐の流れを取り戻して、あの子がここに来れるかもしれない。それとも、ここで堰きとめられてしまったあの子が自由になるかもしれない。
その時の海は、多分今より青く見えることだろう。
巣立つときの鳥が見る空のような、少しさみしくて限りない自由の色だ。
そして、まわりの観光客からは、物好きに砂地を歩き、名物のオムレツを食べないフランスは、さぞや自由な旅行者に見える事だろうと、少し笑った。
fin