Pinkish
まるきり見当違いな愛を囁いて、あなたはどうして僕を試そうとするのだろう。
恋と愛がどう違うかいまいち分からないと告げたら、いつだかあなたはそんなの誰も分からないに違いないよと仰って、だからそれでいいんだと思ってた。出会って、過ごして、もう定位置みたいな関係性。階下で聴こえていた生活音が、天井も床も隔てず聴こえるようになって幾年経ったのだろうか。どうせどちらかの部屋にいることが多くて、まるきり無駄な場所と時間が目に余って、いつの間にか同じ屋根の下で暮らすようになっていた。
「雷光さん? 居ますか?」
扉の鍵はかけられていた。用心深く、玄関には特殊な鍵が三つ。リビングへの扉にダイアル式の鍵が二つ。かと言って、窓には据付の簡易鍵だけなのであまり意味も無いような気もするのだけれど。
「あ、居た。雷光さん、ただいま戻りました」
リビングを通って、雷光さんの部屋へ行くとピンク色の髪の毛をひとつにくくった雷光さんがテーブルにグラスを四つ置いて、テレビを見ているようだった。グラスには金色のお酒と、桃色のお酒と、透明なお酒と、それからオレンジジュースが入っている。雷光さんの周りには雑誌や辞書、CDにDVD、ノートパソコン、リモコン各種が彼を取り囲むように鎮座している。彼の手の届く限りの宇宙に見える。どうしてこんなに散らかるのだろう。
「また何も食べないで呑んでいるんですか?」
「……ああ、おかえり。俄雨」
ふわりと甘ったるいアルコールの香りがして、いつから呑んでいたんですかと口を突く。雷光さんからは、さあ、寝たり読んだりしていたし、と、存外にはっきりした口調で答えが返ってきて、安心する。際限なく呑んでいる彼の恐ろしさは他ではちょっと味わえない。
「朝、ちゃんと綺麗にして行ったのにな……」
「だって昼間は俄雨がいないんだもん」
「そりゃそうですよ。仕事ですから」
「仕事と私、どっちが大事?」
「どっちも大切です」
きっぱりと言い放てば、ふーんという答え。酔っ払ってる。投げやりになってるのがいい証拠だ。雷光さんがどうしてこんな態度を取るのか、知ってる。でも、雷光さん、僕はあなたに教わったのに。
「ご飯、食べますか?」
「何を作るつもり?」
「雷光さんが好きなものを」
「じゃあ、俄雨がいいな」
「食べ物じゃあ、ないですよ」
くす、くすくすくす、ピンク色の前髪が揺れるのが見える。未だ勝てない長身の、その長い腕、長い指先が僕の頬に触れる。触れたところがじわりじわりと熱を帯びる。まだ、慣れない、でも、気持ちがいい。
「俄雨の瞳は、猫みたいだな。よく見せてご覧」
手癖の悪い指先は、僕の眼鏡のつるに触れるとそのままするりとそれを抜き取ってしまった。視界がぶれて、ピンク色の残像がまぶたの裏に揺れる。
「らいこう、さん」
「一人きりの家はつまらないよ。前はそうでもなかったんだけれどね」
くす、くすくすくす、また笑い声。震える空気に、雷光さんの近さを知る。熱っぽいアルコールが混ざった空気。近い。らいこうさん、声を上げようとしたら、似合うかなと声がする。
「俄雨の眼鏡、結構、強いね」
「それがないと見えないですよ」
「これくらい近いと見えるだろう?」
ず、と近づけられた顔に、幾分と驚く。レンズ越しに視線が合って、ね、と言われているみたいだった。見えてます、ええ、見えています。震える空気どころじゃなくて、体温が直に分かってしまう。隠せない。
「雷光さんはその眼鏡、あんまり似合わないです」
「俄雨がしていると可愛いのにね」
「人にはそれぞれ似合う形と色があるんです」
「そうだね」
「雷光さんに似合うのはきっと僕だけだと思いますよ」
眼鏡を取り返して、クリアな視界で彼を見据える。とても近くにある顔は、出来のいい人形みたいに綺麗だけれど、人形には有り得ない美しい薔薇色の頬をして、目を瞬かせている。お前も言うようになったね、くっくっくと、さっきまでとは違う笑い声。
「恋と愛の違いは分からないけど、ぴったり添えるのはきっと僕だけってそれは分かります。分かるようになりました。雷光さんが教えて下さったんですから」
「世間ではそれを愛と呼ぶらしいよ」
「じゃあこれは愛ですね」
「きっと私のこれも愛なんだろうね」
「どれですか?」
長い指先に再び囚われて、視界には鮮やかなピンク色が舞う。まるで僕を試すみたいに、誘うみたいに、アルコールのかおりは甘く溶けて、思考回路を、侵食するみたいに。
(ためすみたいに、きみを、すべてほしがってみせることも、ぜんぶ、愛だから)