愛をするこども
来るたびに彼はあれが欲しいとか片付けておけと小言を言ってくるのだけど、いきなり来られてしまっては出迎える準備もできない。だから通話を終えたあと香港はふうと息を吐くと、筆記具をとりだして必要なもののリストを作成した。彼が欲しがりそうなものをなんとなく書き出して、翌日すぐに市場に買いに行った。六月のじっとりとした暑さが身体にまとわりついてくる日だった。
それなりに付き合いがあるとはいえ、香港は未だに彼の欲しいものがわからない。紅茶に関してはひどくうるさいので常にあるようにしていた。薔薇のジャムも、ないと彼が怒るので置いてある。この二つは香港の気に入りでもあったので、彼がじぶんの所からわざわざ持ってきたティーセットと共に戸棚にしっかりと仕舞われていた。
彼がほかに欲しがるものといえば、紅茶に合う香港のところの茶菓子とか、日中の空いた時間に読むような書物だったりした。連絡をよこしてくるわりには、その用事が大したものだったためしがない。彼はたいそう気まぐれで、香港の住む家を別荘代わりにしているようだった。だけど香港もいやというわけではなく、彼と過ごす時間を少なくとも大事にしていた。それがどうしてなのかは、香港自身よくわからない。
蝉の鳴き声がうるさい日だった。夏ならばそっちのほうが涼しいだろうに、彼は香港のもとを訪れていた。久々に連絡もなしにやってきたので、一体自分が留守にしていたらこのひとはどうするつもりだったのだろうと香港は考えたが、彼の優秀な部下は香港のスケジュールをきっと把握しているはずだから、行き違いはないだろうという結論に至った。午前中から読書に耽っていた彼は、昼食のあと香港がいれたアイスハーブティーを飲んで再び読書をはじめていたが、いつのまにか寝てしまっていたようだった。ソファに横たわり、胸に本をのせて眠っている彼を、茶をいれなおしにきた香港が見つけたのだ。
目蓋のむこうの彼の目に思いを寄せる。緑の瞳はいつも何かをさがしていた。香港はそれが何かを知っていて、何も知らないふりをした。自分を見て何か言いたげなあの人の視線を拒み、無視しつづけた。
「本当は何がほしいの」
紅茶でも書物でも別荘でも逃げ場でもない。彼の一番ほしいもの。
「イギリスさん、」
香港の呼びかけに、彼はこたえない。規則的な寝息が香港の耳にきこえてくるだけだ。
――あなたは寂しいの。
言いかけた言葉が音になることはなかった。彼のもとに屈んだ香港は手をのばし、頬に触れる。なめらかさを確かめた頬は香港の手よりも低い体温をともしていた。
開け放していた窓から聞こえてくる蝉の鳴き声が騒がしい。だけど窓を閉じていても隙間をくぐって聞こえてきただろう。香港は目を閉じる。蝉の鳴き声はどこか遠くで、警鐘のように香港の鼓膜をふるわせていた。
20100301
『愛をするこども』
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