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 がっくりと肩を落としたのを知られないように虚勢を張って登った丘を、今度は別の意味で緊張しながら降りていく。行きはひとりで、帰りはふたりで。
「急な来客が来ても大丈夫なように客間はいつでも使える状態にしてあるから気にするな」
 暗い庭園を抜けて、玄関までたどり着くと、立ち止まった俺に追いついた日本はきょろきょろと周囲を見回した。
「ここは庭園になっているのですか?」
「? ああ。時期柄今はあんまり見せ場はないけどな」
 そうですか、と言いながらそれでも屋敷からもれる明かりに照らされた庭に興味を持ったようだ。まだ庭に興味があるらしいが、日本は「すみません」と詫びの言葉を口にして、俺のあとに続く。
「……なんなら、明日時間があったら案内するぞ。昼間の方がちゃんと見られるだろう」
「いえ、それではイギリスさんがご迷惑では」
「俺の自慢の庭だから、自慢させてくれ。友達なんだからっ」
 友達、と口に出してしまうと頬がかぁっと赤くなってしまう。
(日本はさらっと友達なんて言ったけど、ものすごく緊張するな……)
 そんな表情を見せるのがいやで、なるべく日本の顔を見ないようにしながら応接間へと案内する。どうやら部下の誰かが暖炉に火を入れてくれていたらしく、部屋の中はだんだん暖かくなりつつあるところだった。
「食事は?」
「食べてきましたので、お気遣いなく。それよりも、こんな遅い時間の訪問のうえ、宿までお借りしてしまって……」
 ほんの一時間ほど前までは「私たち友達ですね」とほほえんでいた顔が、今やがちがちに凝り固まっている。
 そんな無礼な時間だとわかっていても、ここにきてくれたことがうれしい。そう伝えたいのに、
「べ、別におまえの為じゃない。わざわざ来てくれた客人を追い出すのも、宿もないまま来たのを帰すのはポリシーに反するからな! つまり、俺のためであっておまえのためってわけじゃないぞ!」
 わたわたとでてくるのはこんな心にもない言葉ばかりだ。……俺、ちゃんと日本と友達やっていけるのかな……?
 俺の様子を見ていた日本は、
「ならば、お言葉に甘えさせていただきますね」
 幾分和らいだ表情を見せてくれた。……俺の思うところをわかったということなのだろうか。
「あ、ああ。今部屋を用意させるからそこに座って待っていてくれ。俺は紅茶でも淹れてくる」
「紅茶? ……ああ、砂糖を入れるという」
「ああ。日本にも茶をごちそうになったからな。今度は俺が飲ませてやるよ」

 お茶に砂糖を入れる、という俺の言葉に複雑な表情をしていた日本だったが、俺が淹れる紅茶を飲めばどれだけおいしいかわかってもらえるだろうか。
(そういや、日本や中国って俺と一緒で茶を好んで飲んでるな)
 いつか髭が、「うちで飲むお茶は苦いからなー。飲むならワインがいいワインが」なんて言っていたっけ。そういや、日本で飲んだ水は俺んちの水とにたような感じだった。もしかしたら水がいいところは茶もうまいのかもしれない。
 そんなことを考えながらカップとポットを温める。いくつもの茶缶から茶葉を選んで、それから棚を開けた。茶に淹れる砂糖や蜂蜜なんかがおいてあるそこから、隠していた目的のものを見つけだして、テーブルの上に置いた。
「……ちょっとだけだし、いいよな」
 俺がこれを出すと、上司や部下たちがなぜか取り上げてしまうから困る。隠して少しずつ使っているから使い終わったらまた戻しておこう。
 ちょうどよい具合にカップとポットが温まったのを確認して、選んだ茶葉をポットに入れる。手際よく紅茶を淹れてトレイに乗せ、こぼさないように応接間のドアをノックした。
「日本、入るぞ」
 さきほどよりも暖かくなった部屋の一人掛けのソファ。日本はたしかにそこに座っていた。ぴんと背筋を伸ばし、静かに座る様は絵になっていると思う。……靴(ゾーリというらしい)を脱いで、ザブトンの上であるかのようにソファの上できちんと居住まいをただしている日本。たしか、正座とかいう体勢だ。
「そ、そこまで堅くならなくていいぞ」
 手製のレース編みをテーブルクロスにした丸テーブルの上に紅茶を置く。それから俺も対面する椅子に腰をおろした。そんな俺を見た日本がはっと目を見開く。
「あ、あの……」
「ん?」
 膝を畳んで座ったままの日本は、あわてて脚をソファの上から引っ張りだした。……どうやら、ソファの座り方に慣れていなかっただけのようだ。
「いまだ欧米文化には慣れなくて……お恥ずかしい限りです」
 今にも縮こまってしまいそうな日本に、俺は首を振る。
「場所が変わればわからなくなることだってあるだろ? 恥ずかしがったり謝ってたんじゃキリがないぞ」
 俺だって、部下に聞いてなかったら日本では玄関で靴を脱ぐなんて知らなかっただろう。それより、俺も日本のような座り方を学んだ方がいいのだろうか。あれが正式な座り方だとしたら、昼間はずいぶんと崩した座り方をしたことになる。……友達だから無礼講、ってことにしてもらえないだろうか。
「それより、紅茶を淹れてきたんだから飲めよ」
 日本にわかるようにカップをとって紅茶を一口飲む。俺の見よう見まねで日本もカップをもちあげて、それから紅茶を口にした。
「……あれ?」
 日本の顔がわずかにしかめられる。くんくんとにおいをかいで、それから首をかしげた。
「イギリスさん」
「なんだ?」
 顔をしかめた理由も、においを確認した理由も、俺にはわかる。――なるほど、するどい観察眼を持っているようだ。
「これ、お砂糖のほかにお酒と……蜂蜜が入っているのですか?」
 あたりといえばあたりだ。俺は首を縦に振って、種明かしをした。
「正確には酒と蜂蜜が別々に入ってるんじゃなくて、蜂蜜酒を入れたんだ。紅茶は飲むと眠気がさめてしまうからな。でも、酒を飲んで体をあっためれば眠りやすくなるだろう?」
「蜂蜜酒?」
 日本にはなじみがないのか、初めて聞きました、と日本が珍しそうにカップを見下ろしている。
「とても優しい味がしますね」
 ほっと、今晩の中で一番安らいだ顔をした日本に、俺は再び頬が赤くなっていくのを自覚した。気恥ずかしいのではない、うれしさで、だ。紅茶には自信があるけど、こうやって純粋な賛辞をもらえるのはやはり嬉しい。
「そ、それを飲んだら朝までぐっすりと眠れ。朝には朝食も作ってやるから」
「ですが……」
「忙しくなるんだろうし、友達なんだから遠慮はするな。わからないことや困ったことがあったらすぐに聞いていいんだからな」
 さっきよりもずっとすんなりと、友達という言葉が出てくる。
「わかりました。これからよろしくお願いしますね、イギリスさん」
 日本もほっとした顔でふわりとほほえんでくれて、おれもほっとして顔がにやけてしまった。
 ……あんまり調子に乗らない乗らない。思わずいかにして日本に有利になるように情報操作してやろうかと考えてしまったぞ。


 もう寝ろと、日本を来客用の寝室に案内したあと使い終わったカップやポットを洗う。それから棚に隠していた蜂蜜酒を再び棚に戻そうとして、ふと、蜂蜜酒のいわれが頭をよぎっていく。
作品名:1/30 作家名:なずな