同じ背中
長く裏会に詰めていた白道と黄道が久しぶりに夜行に戻ってきたことを祝って夕刻から行われた宴会は未だ終わる気配を見せず、外はすっかり夕闇が落ちてきている。神秘的な透明感溢れる白い月が蒼い空に浮かんでいる。
そんな風景を眺めながら自室に上着を取りに行こうと宴会場を抜け出すと、子ども達を連れて風呂に入りに行ったはずの閃と、ばったりと廊下で行き合った。
「頭領」
廊下なのだから行き合うことがあっても別に当然なのだけれど、閃は驚いたようで目を丸くしている。
「どしたの、ガキどもの世話?」
「もうちびっこたちは寝たんで、宴会場に戻ろうかと」
そういえば閃は閃なりに宴会を楽しんでいるようで、中心の輪には入らないもののそれなりに楽しそうにスルメを囓っていたっけ。
「えー戻るの?そんなことより酔っちゃったよ。送っていって」
「なっ……」
正守にしてみれば多少強引にお願いしただけのつもりだったのだが、閃は何故か眉間に皺を寄せている。
「どうした?」
つとめて優しく問いかけながら肩を借りるように閃の肩に手を廻すが、閃はあいかわらずじっとりと正守を見ていた。
「何をたくらんでるんですか」
「はい?」
企むなんて滅相もない。そりゃあ確かに、このまま閃を部屋に連れ込んでしまえないかと思ったことは否定しないが。
「大体頭領、飲んでなんかないじゃないですか!」
「あれ、バレてたか」
行正や巻緒などがアルコールを飲んで大騒ぎしている一方、正守は実を言うと女性陣にほど近いところで湯飲み片手に茶菓子をつまんでいた。
「見てたの?」
「はい」
刃鳥と重要な話があるようなフリをして雑談に興じていた正守だったが、それがどんちゃん騒ぎに入らないための演技であることに閃は気付いていたのだ。
「やれやれ」
「まったく、こういうのは大勢でやるほうがいいって頭領が言い出したんですよ?」
「まぁ、そうなんだけどね。酒飲むより甘い物食べてるほうが好きなんだから、仕方ないじゃない」
「そんなわけで」
閃は正守が肩に置いた手をつまんで引きはがす。
「今日は遠慮しておきます」
「あれ、いいの?」
「なにがですか?」
酔ったふりをしたのがいけなかったのか、閃は猫の子よろしくすっかり体中の毛を逆立てそうな雰囲気である。それを壊すためにわざとくだけた話題を振る。
「我慢できるの?俺がいないと身体が夜泣きを始めたりしない?」
「ししし、しませんっ!」
別に毎晩閃を呼びつけているわけではないからこんな挑発は意味がないはずなのだが、閃は真っ赤になって否定してくる。どうやら部屋まで送れという言葉の裏にあるものはしっかり理解していたようだ。
その上で――今日は遠慮するという。
正直、少しショックだった。そして気付く。閃から正面きって断られるのは実のところ初めてだったのだどいうことに。
「そろそろ宴会に戻らないと怪しまれるんじゃないですか?」
正守の心中など意に介さないという感じで閃は宴会場に戻れと言う。
正守はちらりと辺りをうかがうと人影がないことを確認して、肩に回していた手で閃を引き寄せると、その唇にキスをした。
「んんっ!?」
ぶつかりあうような接触に閃が面食らって手をじたばたさせるが、空いていた手で背中を引き寄せて深く口づけると、じきに大人しくなる。
唇を離すと水の糸が二人の間に懸かり、離れると途切れる。
「閃」
「はい……?」
大人しくなった閃に何か仕返しをしてやろうかと口を開いた。
「生臭い」
実際そんなことはなかったのだが、スルメばかり食べている姿が印象的だったのでついこんな言い方になったのだが。
「とっ……頭領の、馬鹿!」
閃が無茶苦茶に身体をばたつかせて正守からの拘束を解く。甘い時間の終焉に、正守はひそかに肩を落とした。
「俺は今日はもう宴会には戻りません!このまま寝ます!」
「ねえそれ、俺の部屋で寝るのは駄目なの?」
「え……?」
ぱちくりと目を開き、何度か瞬かせてその言葉の意味するところを吟味して――かちん、と固まる。
「どう?嫌なの、閃。ちなみに生臭いってのは嘘だから」
「えっと、その……」
閃は自らの頬に手を当ててほてりを冷ましているようだったが、しばらく逡巡した後に。
「……遠慮します。やっぱり」
何がやっぱりなのか聞きたくなったが、今それを聞くのは未練がましい気がして、正守は落胆を表に出さないように気を付けながらはは、と口を開いた。
「残念」
何故だろう。今は閃の顔をまともに見れない。
「じゃ、おやすみ、閃」
身体を翻し、肩をすくめて歩き出すと、後ろから閃に声をかけられた。
「おやすみなさい――頭領」
自分を呼ぶその声に不安を感じて足を止め、後ろを振り返る。
閃の背中が見える。咄嗟に正守は手を伸ばした。
「――閃!」
「はい?」
閃は唐突に呼び止められて目を丸くしている。いつもと変わらぬその表情に、閃を引き寄せようとした腕を下ろす。
――気のせいか?
「……いや、なんでもない」
「?……はい」
閃はまた背中を見せて廊下を歩いていく。
何故だろう、その姿が今日は儚く見える。でもそれは閃に対してではないような――。
「――限、か」
志々尾限。閃と同い年で、同じ妖混じり。正守の命令に殉じて、十四歳でその時を止めた少年の背中が閃と重なったのだ。
我ながら執念深いとも思うし、でも忘れるのは薄情な気もする。
正守は閃の背中が角を曲がって消えるまで、ずっと見つめ続けていた。
心に生まれた痛みが、思いがけない波紋となって正守の意識を浸食していた。
<終>