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魔法使いとまほうのにわ

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 この庭には魔法がかかっている。


 アメリカは初めて足を踏み入れたときから今まで、もうずっと、何年もそう信じていた。彼が本当に、この庭に魔法がかかっているのだとアメリカに伝える前から。
 妖精だとか、幽霊だとかの類は、自分には見えないから確信をもって信じることは出来なかったが、魔法は信じられた。だって、魔法使いが身近にいる。いつも性質の悪い魔法を酒の勢いで理不尽に振りまいては迷惑をかけている。アメリカは、彼の魔法があまり好きではなかった。ふざけた掛け声と共に彼が魔法を使うたびに、アメリカはやめてくれ、と叫びたい気持ちでいっぱいになる。あれは、彼の感情のようなものなのではないかとアメリカは思っていた。吐露できない感情を、憎しみをこめて呪いに変えているのではないかと。

「イギリスー」、と、アメリカは庭の奥へ呼びかけた。アメリカは姿の見えない魔法使いの背中を探して、薔薇の茂みの間を潜り抜けてゆく。庭の手入れは十分すぎるほど行き届いていたから、綺麗に整えられた枝も、葉も薔薇の刺も、アメリカを傷つけることはなかった。
 物好きだなあ、とアメリカは彼の庭を見るたびに思う。そして、幼いころの自分に向けられていた愛情だとか親愛だとか、そういった感情を向けられる場所が、彼にはもう、この庭しかなくなってしまっていることに、アメリカはどうしようもなく悲しくなるのだった。彼にでも、彼に甲斐甲斐しく世話をされている庭にでもなく、どちらかといえば、それを喜んでいる自分に。
 アメリカは、自分が昔、この庭のような存在だったのだとちゃんと理解できていた。彼にとって計算外だったのは、薔薇の刺が酷く鋭く硬いものであったことと、成長が早すぎたことだろう。彼はそれはもう、手塩をかけて育てるつもりだったのだろうけれど、彼が枝や花の位置を整えるより先に、土からの養分と雨と日光だけで、薔薇は綺麗に咲いてしまったのだ。手入れなんて最初から必要なかったのだと主張するかのごとく。
 アメリカは庭の中の、一際目を引く赤い色を見ながらそう思った。赤い薔薇の木は、他の薔薇に比べてとても猛々しく枝が伸び、空に向かって伸び続けている。探していた魔法使いは、其処の木の傍にいた。「ここにいたの」、とアメリカが声をかけても、彼はアメリカのほうを振り返りもしない。
 魔法使いは、「ねえ、ちょっと、ねえってば」、そう何度か声をかけてきたアメリカに向かって、「さっさと帰れよ」と冷たく言った。アメリカは自分がいつ魔法使いの機嫌を損ねたかわからず、俺の何に怒ったのかはもう聞かないけどさ、と魔法使いに向かって言うのだった。「早く家に入ろうよ。もう、夜はすぐ其処じゃないか。太陽が沈んだら、一気に寒くなるよ。この庭、馬鹿みたいに広いから、気が付かないうちに、掘ってある穴に足をひっかけて転んで、足を挫いて歩けなくなっちゃうかも。なあイギリス、帰ろうよ」。最後の方は子どもに言い聞かせるような言い方だった。


 アメリカは、この庭の魔法を恐れていた。
 この庭には、あの日からずっと魔法使いの思い出たちが埋まっている。薔薇の木は、魔法使いの魔法の手で、年を重ねるにつれて増えていく。まるで静かに走る森のように。
 アメリカに会う前から、アメリカに出会った頃、アメリカと一緒にすごしていた頃、そしてアメリカが離れていった頃。そのどれもがこの庭に埋まっている。それをアメリカは知っていた。彼と同じくらいこの庭に足を踏み入れていたから、薔薇の正確な数までは分からないけれど、どこにどの薔薇があったかくらいは覚えている。魔法使いはよく、薔薇の前で立ち止まっては何かを思い出すようにその花に触れていた。アメリカはそれが、魔法使いの魔法で閉じ込めた、その時の記憶なのだと思っていた。そう違わないという核心もあった。
「その薔薇は」、そう言って、赤い薔薇に触れようとしていた魔法使いの手をアメリカはとめた。「刺が馬鹿みたいに大きくて、硬いから、触るなっていったの、君だろう」。魔法使いはアメリカの方をみて、「それ、覚えてたのか」とアメリカへ問うた。覚えていることが不思議そうな顔だった。アメリカは、昔君が、俺とあった時に植えた薔薇だろ。あまりに成長が早くって、驚いてたじゃないか。「いまでも覚えてる。わすれてないよ」、そう魔法使いに言い聞かせた。
 魔法使いは花に触れようとしていた手をゆっくりと下ろした。その手を止めていたアメリカの手もゆっくりと彼の手を離れる。「この枝、硬すぎて、鋏がなかなか入れられねえんだ」、と魔法使いは、高く伸びた薔薇の木の先を見上げて言った。「お前みたいだな」、と困ったように笑う。アメリカは笑わなかった。

 アメリカは、魔法使いが彼の家と逆、庭の奥に向かって進んでいくのを止めなかった。かわりに、自らも魔法使いの後ろについていく。魔法使いは、「先に家に入ってろよ」、とアメリカに何度かそういった。アメリカはいいよ、とそれを聞き流して、自分よりも随分小さくなってしまった背中を追う。かさかさと乾いた土を踏む音だけが二人の間をつないでいた。

 アメリカは、この庭の魔法を、ずっと、もうずっと、恐れていた。
 魔法使いがこの庭にいる限り、この庭は魔法使いのための深い森になり、揺り篭になり、家になり、そして思い出になったから。この庭は魔法使いとアメリカとを、たいそう好いていた。思い出は美しいものだからか、この庭に咲く薔薇はどれも、とても美しかった。
 この庭は、彼の意思で、彼の分身で、彼の影で、彼の心の中だった。だから、アメリカは、自らがこの庭に好かれていても、どんなに綺麗な花が咲いていようと、この庭を恐れていた。この庭が、いつか、自分も彼も、つれさって、閉じ込めてしまうのではないかと、もうずっと、そんな馬鹿げたことを本気で心配していた。彼の魔法ならやりかねないと、本当に、そう思っていた。だから追いかけたのだ。

 アメリカは、魔法使いの背中を追いながら、落下しそうな夕焼けを仰ぎ見た。それは真っ赤に燃えて、まるでさっきのあの、赤い薔薇のようだった。



作品名:魔法使いとまほうのにわ 作家名:みかげ