呼ぶ声はいつだって
ホントのところどう思っているんだ。その問いかけを相手に告げる前に自分に突きつけてしまって俺は何も言えなくなった。光子郎がパソコンのモニターから視線を外して振り向いた。太一さん? 怪訝そうな呼びかけ。俺は答えない。光子郎が座っている椅子の背から手を外して、そのままその手を光子郎の頭に乗せてみる。
「?」
光子郎の肩が微かに震えて、一瞬だけ怯えたような表情が見えたけど、俺へと問いかける視線はいつもの無表情だった。
(ホントのところ、どう思っているんだ?)
「お兄ちゃん、来てたんだ」
パソコンルームのドアが開いてヒカリとタケルが顔を出した。俺は自然に手を下ろして、
「おう、大輔たちは一緒じゃないのか?」
妹たちに笑いかけて、結論はまた先送り。
(本当はそんなに難しく考えなくてもいいのかもしれないけど)
すぐ来ると思いますよ、とタケルが答えた。光子郎さん、とヒカリが呼んだ。光子郎はぼうっとしていて、二人のことを見ていなかった。呼ばれて気づいた光子郎が慌ててこんにちはと挨拶して、挨拶を返す二人が笑った。
本当のところ、どう思っているのか。
結論を先延ばしにしたがるということは、結論はどこかですでに出ていて、それを俺が認めたくないということで。再び光子郎を見遣ると目が合って、逸らされた。
2002年度の選ばれし子供たちの後ろについて俺と光子郎はデジタルワールドを歩いた。アグモンとは合流できず、テントモンは情報集めに飛び回っている。ダークタワーが見つからないのは生い茂る木々の所為。光子郎が何も言わないので気まずい。たぶん俺の所為だけど。ヒカリたちはといえば、俺たちを取り残して楽しそうだ。そっちのほうまで巻き込んで気まずくなるよりはずっとマシだけど……孤立した気分。
「もしかして、光子郎ってさぁ」
口を開いたのは苦し紛れ。なので、こっちを見る光子郎の様子が真剣なことに困った。
「スキンシップ嫌いなの?」
ほら、たいした話題じゃないんだから、その緊張を解いてくれ!
「嫌いじゃないですけど………苦手、ではあります」
俺の願いも空しく空気は全然良くならない。もしや地雷? 俺、なんか地雷踏んじゃった?
「…ん、そっか。じゃあゴメン。これからは気をつける」
「あ…」
「え?」
「いや、その……ごめんなさい」
「なんでお前が謝るんだよ」
「太一さんが謝ることのほうが普通はおかしいですよ」
雑草を踏みしめて歩いて考えてみても、なにがおかしいんだかよくわからない。俺が説明を求める前に光子郎は話し出した。
「だって普通は好意故の行動じゃないですか、触れるのって。それをわかっているのに素直に受け取れないのだから、おかしいのは僕です。太一さんは悪くありません」
たまにこいつはこうやって自分のことまでを外から見たように判断する。なんだか俺はもやもやした気分に陥る。大切な部分を取り落としたような気がしてしまう。
「普通はどうとかじゃなくてさぁ、光子郎は、苦手なんだろ? だったら俺が謝らなきゃ」
「謝らなくていいです」
「お前妙なとこ頑固だよなぁ…」
実際、本当の本当に悪いのは俺だと思うんだけどな。スキンシップの話を抜きにしたって。
いつからだろう。いつからか俺はずっとこんなふうに気まずい思いをしている。光子郎に対して。
横を歩いていた光子郎がふいに立ち止まった。一歩先で気づいて振り返ったら小さな枝を踏みつけた。高い音がパキンと鳴って、そっちへ目を向けた隙に光子郎の右手が俺の前に差し出された。握手を求めるときの形だった。
「わかっていてほしいんですけど、触れたくないということではないんです」
面食らってリアクションを起こせずにいた俺に対して光子郎はいつものように真面目な調子で告げた。
「僕は貴方のこと、好きですから。……なんか恥ずかしいセリフですけど」
………わかってるよ。
小さくそう呟いて、握手に応じた。右手に右手を。そんな必死な目ェしなくたってそれくらいわかってるって。俺たち友達なんだから。
(この場面の「好き」の解釈を間違ったりはしない。間違っちゃいけない)
そして、まるで初対面同士のようなポーズになってる自分たちが可笑しくて笑うと、目の前の真面目な顔もつられて笑ってくれた。その笑顔にとても安心した。
「先輩、何やってんスかぁ?」
間延びした大輔の声が割り込んで、正直ギクッとした。後輩らが不思議そうに俺たちを見ている。
「な、なんでもねえよっ」
言ってから後悔するくらい説得力のない言い訳を吐いて、握った手を乱暴に解いた俺は大輔に突進してその頭を抱え込んだ。
「ぎゃー!太一先輩っ!痛い!ギブ!」
「こんなもんでギブアップなんて情けねーなー大輔!」
「大輔頑張れー!」
「ブイモンてめぇぇぇ!助けろよ俺を!」
「あはははっ」
「だーっ!今笑ったのタケルだな!?ちっくしょぉぉぉ覚えてろよぉ!」
「大輔さん、『覚えてろよ』っていうのは悪役の吐く台詞ですよ」
「伊織、ナイスツッコミ!」
楽しそうに横槍を入れる伊織と京ちゃんの後ろで呆れているテイルモンのその横で、変に勘のいい我が妹・ヒカリは実に意味深な微笑みを俺へと向けていた。見なかったことにしたいと思った。
ヒカリに指摘されるまでもない。先送りの結論も気まずさの元凶も、自覚はしているんだ、ちゃんと。
「太一さん、」
光子郎がちょっと困ったように、それでも半分は楽しそうに俺を呼んだ。
(ああ畜生、俺はオマエがダイスキだ)
でも、ほら、あいつが俺を呼ぶ声はいつだって健全な信頼や親愛に満ちていて、「好きだ」なんて、「俺のことどう思ってるんだ」なんて、とても言い出せないじゃないか。
「もうそろそろ大輔くんのこと離してあげてください」
光子郎が指差した先で、俺の腕に挟まれた大輔がぐったりしていた。
……すまん、大輔。俺、お前のこと完璧に忘れてた。