溢れる
ぼろぼろとひっきりなしに零れていく透明な液体を、止めるにはどうしたらいいのか皆目見当もつかずに、榛名は先刻から少し低い位置にあるその顔をただ眺めていた。
そもそも何故こんなに目の前のこいつが泣き続けているのかわからない、と榛名は途方に暮れる。目ん玉溶けるぞと言いたくなるようなちょっと恐ろしいほどの涙を溢れさせる垂れ目は、呆然と瞬くこともせずに榛名の胸の辺りで彷徨っている。
思えばシニア時代からよく泣く奴ではあったが、それ以上にギャアギャアと口煩かった印象のが強い。榛名の一挙手一投足に文句をつけなきゃ気が済まないのかと怒るよりむしろ呆れるほどに文句が多く、生意気なガキだったのだが、その打てば響く反応が面白くもあり煩わしくもあった。負けん気が人一倍強く、挑発されたと知るや意地でも見返してやると睨みつけてくる目がそういえば感情の昂りにいつも潤んでいたような気がした。
その記憶にある少年の姿と、今目の前にあるやっとこさ青年と呼べる域に足を突っ込んだシニア時代の後輩の姿は似ているようで大分違う。幼さのあった小さな身体は、榛名には届かなくとも大きくなりそこにもう弱さはなく、視線も近づいた。あの頃毎日のように榛名が付けた痣はもちろん影も無い。まっさらに戻った肌は今新しい野球によって培われているのだろう。そのことについて何を思うわけでもないのだが、榛名にとっては真っ直ぐ注がれていた視線が一向に榛名を見ないのが気に入らなかった。それどころか泣き出され、立ち尽くした二人の間にはすすり泣く音すら無い。シニアの時代のどこをひっくり返してもこんな風に泣く姿はなく、ますますもって勝手が分からなくなった。
そう、あろうことか榛名はひたすら泣き続ける存在を前にどうすることもできず悶々としているのだ。普段ならとっくにキレて放り出しているはずだったのだけれど、とりあえず今それをするのは拙いと榛名の勘が告げている。何故と聞かれても答えられはしない、勘なので。
シニア時代、この目の前の青年を泣かせることを多少なりと好んで面白がっていた気のある榛名にとって、今のこの状況は死角からカウンターパンチをくらって呆気に取られ座り込んだままのところに、カウントを取られているような状態だった。榛名には理解できない。だが出来ないなりにどうにかせねばと思考が焦りによって回されるが、大抵それは意味を成さない空回りで終わるのが常だ。もうこうなったら涙だけでも止めねばと、丸みの取れた頬に流れるものを伸ばした指で少し乱暴に拭うと、びくんと目の前の身体が大仰に跳ねて驚いたようにその手を振り払われた。大きく見開かれた目は相変わらず榛名を見ず、そして涙を溢れさせ、状況は好転どころか後退したようだった。
伸ばした手は触れる片端から叩き落され、だが暫くするとまた手が伸びそしてそれも振り払われる。はたから見たら失笑物の無意味な攻防を幾度も続け、さすがに馬鹿らしいことに本人たちが気付き始めた頃、大きく息を吸った青年が今更のように嗚咽を噛み締めた。驚いた榛名が見下ろすと、寸前までの静かさと打って変わって唸りながら悪態をつき乱暴に涙を拭う姿があった。
泣き過ぎた所為か感情が昂った所為か、その頬が真っ赤に染まって、諸々において本来短気な榛名はああクソと吐き捨て、目の前の体に強引に手を伸ばした。
ぐい、と力に任せて引き寄せ腕の中に囲った身体が強張り逃れようともがくのに構わず、ぎゅうぎゅうと抱きしめて放さずにいたら、色んなものに埋もれて押し込められたような声で、元希さん、と呼ばれ、おずおずと憚るように手が背に回されたから、榛名はどうしてだか堪らなくなってさらに抱き締める腕の力を強めたのだった。