みかん味
夕食の洗い物を済ませたフレンは、居間にいるであろうユーリにそう呼びかけてみたのだが返事は無かった。テレビの音が漏れていたから、聞こえなかったのだろうかと首を傾げつつ、フレンは職場の人から“おすそ分け”と段ボールごともらったみかんをかごにいくつか盛った。貰った時は二人暮らしで一箱のみかんを腐らせずに食べきれるのか心配だったけれど、順調に箱の中身は減って来ていた。
居間に向かうと、ユーリはこたつに入って寝ているようだ。返事が無かったのに納得したフレンの眉間に、無意識にしわが寄る。
「ユーリ、眠いならお風呂入って、ちゃんと布団で寝なよ。風邪ひくよ」
ゆさゆさと肩を揺さぶってみたが、帰ってきたのはあーとかうーとかはっきりしない返事だけだった。今日は朝早かったから、より疲れているのだろう。だからこそ、ちゃんと休んで欲しいのに。
「……」
とりあえずこたつ布団をちゃんと掛けてやって、動く気配の無いユーリを起こすのは保留にした。
フレンもこたつに足を潜らせると、持ってきたみかんをひとつ手にとって皮を剥く。白い筋は取るものだと思っていたけれど、その筋に栄養があるのだといつかユーリに教えられてからフレンは食べるようにしていた。ぱくりと一房口に入れて、もぐもぐと咀嚼する。うん、おいしい。
しばらくそうしてみかんを食べながらテレビを見るともなしに眺めていると、もぞりと隣のユーリが動いた気がした。目を覚ましたのだろうかとフレンはそっと視線をやるが、相変わらず静かな寝息が聞こえるだけだった。動いた拍子に長い髪が顔に掛かっていて、邪魔そうだなぁと思ったフレンは、ユーリの顔の近くに手を付くと、髪を耳に掛けてやる。ふと、現れた寝顔にフレンはどきりとしてしまった。
(毎日見てる顔なのに)
そう戸惑いながらもフレンはまじまじと端正な顔に見入ってしまう。それから、息をしているのか疑いたくなるくらい静かな口元に目がいって、
(キスしたいな)
なんて無意識に思い浮かんだ言葉にフレンはハッとして首を振った。ユーリが言う、ムラムラするってこういうことなのだろうかと、じんわり身体が熱くなるのは騙せなかった。
躊躇ったのはほんの一瞬で、ユーリが起きないのが悪いんだ、と理由付けると、フレンはじりじりと顔を近づけて行く。唇まであと数センチという距離まで迫って、やっぱり目は閉じた方がいいかな、と迷ったのがいけなかったのか。ユーリの瞳がぱちりと開いてしまった。
「あ」
「……フレンのえっち」
瞬時に何をされそうになっていたのか状況を理解したらしい敏い瞳が、楽しげに細められる。
「お、起きて…っ」
見られた。その恥ずかしさと自分がしようとしていた事の羞恥が合わさった混乱で、うまく言葉が紡げない。すぐさま身体を離そうとしたけれど、支えにしていた腕を取られてユーリの隣に倒れこむ羽目になってしまった。
「俺、襲われてた?」
やけに嬉しそうな声音に訊ねられて、フレンは首だけ振って否定する。しかししようとしていた事はそれに近い気がして、ごめんと小さく謝った。最近してなかったからな、と低く囁く声はキス以上の事を示している気がして、フレンの顔が勝手に熱くなる。何を期待しているんだ、と自戒しながらユーリの胸にぐりぐりと額を押し付けて熱が静まるまで顔を見られないようにしたかったのに、ユーリの手はそれを許してくれなかった。顎を捕えられて上向かせられると、強制的に視線を合わせられる。ついでのように指先で唇を撫でられて、にやにやと嫌な予感しかしない笑顔でユーリは言った。
「フレンからキスして」
「え」
「さっきしようとしてたじゃねぇか」
「忘れてくれ!」
ようやく落ち着いてきたのに、また動揺を誘う要求をされるとは思わなかった。
「フレンがしたかったんだろ」
「…っ」
そう言い当てられれば、反論は出来ない。ほら早く、と急かす瞳を一睨みして、フレンはのそのそと上体を起こす。
「……目、瞑って」
「おう」
「やっぱり、目、隠してて」
そっとユーリの目元を手のひらで覆うと、微かに笑われた。だって、さっきみたいに直前で目を開けられたら居たたまれないじゃないか、と心の中だけで言い訳して、フレンは口づけた。