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いぬっぽ

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鴨川ジムに居候がきてから半年が過ぎた。

居候、といっても犬である。大きくも小さくもない中型の雑種は、拾われた当初それはそれは薄汚れてちっぽけだったのが、この半年で見違えるほど逞しくなった。短い茶色の毛は固いながらもふさふさで、体つきはおそろしくがっちりとして厚みがある。普通の犬では考えられない筋肉質な身体はまさにボクシングジムの飼い犬といったところか。値は安いが毎回大盤振る舞いされる餌と、散歩と言うには拷問に近い量のロードワークが主な原因だ。一応の飼い主であり、犬を拾ってきた当人である鷹村のロードワークは生半可なものではない。人間でさえ根を上げるそれに付き合っているのだから、鍛えられるのも当然と言えば当然かもしれない。いや、鷹村とてなにもはじめから自分のロードに同伴させていたわけではない。早く走れない犬をわざわざ連れ回すほど物好きでもないし、かと言って待ってやるほど優しくもないのだ。まだ仔犬だったころ、小さかったころはトレーナーの八木の監督のもと近所を走り回っていた。それが成長するにつれ元気が有り余るようになったものだから、ジムの練習生が遊び半分にロードを走らせてみたのだ。するとどうだろう、小さな体躯に見合わないスタミナで、挫折するかと思われたロードを仔犬はやりとげた。以来練習生のあいだでは仔犬を連れてロードに出ることがブームになった。……必死に走るさまがかわいい、と大の男が口を揃える光景は多少の異様さを持っていたがそれはまあこの場には関係のないことだ。ともあれ一日二回、練習生の誰かのロードを走り込むうち仔犬は成長していき、大きくなる身体に伴うように内蔵されたスタミナは人間を上回るようになっていった。へろへろになって帰ってくる練習生と、けろりとして水を飲む犬。その対比。目に留めたのは青木と木村で、なんだお前らふがいねえなよし今度は俺たちだ、と。それがまた意外に付いてこられるものだから、とうとう2週間ほど前からは鷹村の供をするようになってしまった。
そして一度見つけた玩具を手放さないのが鷹村組である。ときどき乱暴な扱いをしつつも、鷹村は飼い主らしく犬と遊んでいるし、散歩役を奪われた青木村はその代わりなのか気付けば餌係に収まっていた。容器に山盛りにしたドッグフード(特売品、ちなみに飼育費は鷹村ではなくなぜか鴨川会長の懐から出ている)を前にお座りと待てを教え込み、犬がいつまで耐えられるかをニヤニヤ見ていたり、根を上げて情けなそうな目でこちらを見上げてくるのにニヤニヤしてみたり、ようやく得られた許可に尾をちぎれんばかりに振りながらガツガツ食べるのに和んだりしている。暢気なオッサン共だ。

「……みぃやぁたぁー。んな睨むんじゃねえよ一歩が怯えるだろ」
「睨んでませんよ」

お手、おかわり、と犬と戯れていたはずの木村がいくらか呆れたように宮田の方を見ている。一歩というのは犬の名前だ。はじめてジムに来た頃は鷹村の一歩ぶんしかなかったためにそんな名になった。……それより前は宮田の一歩より少し大きいくらいだったのだが。その一歩は、撫で回す手を止めた木村の意識が自分から外れたと受け取ったのか、そろりと手と手のあいだをすり抜けると一目散に宮田のもとに走ってきた。パンチングボールの前に立つ宮田から、ギリギリ練習の邪魔にならない絶妙な距離をとって急停止すると、ぺちゃりとそこに座る。撫でて撫でて遊んで遊んで構って構って!と大きな黒目をきらきらと輝かせながら宮田を見上げる一歩の尻尾は千切れんばかりだ。期待と好意を前面に押し出す犬を扱いかねて宮田は木村に視線で助けを求めてみたが、臍を曲げた先輩があてになるわけがない。どうせ俺は犬にすらふられるさ!一歩の裏切りもの!大人げない木村の声に自分の名前を拾ってびくりと振り向きはしても、やはり一歩は宮田の傍から動かない。木村をちらちら伺いつつも基本の視線は宮田に固定だ。向けられた瞳の無垢さに思わず眉を寄せつつも、宮田には無言のまま見下ろすことしかできない。
しばし、見つめ合う。

「……………」
「……………」
「……………」
「……………」

どうしろと。

つい、と視線を逸らせば一歩は露骨にショックを受けた。ぶんぶんぶんぶん振られていた尻尾がしゅん…と力をなくし、小さい茶色の頭が人間さながらにうなだれる。うなだれながらも、しかし宮田から離れるそぶりは見せないのだから、おかしなものである。こいつはいったいなんなんだろう。あからさまにしょんぼり落ち込む一歩を横目に、宮田はとりあえず練習を再開することにした。
作品名:いぬっぽ 作家名:なぐち