利益誘導
利益誘導
長い長い猛暑が終わり、かけあしでやってくる冬を迎えるほんの少し前の季節だった。あいにくの雨模様の下、僕は鉄道フェスティバルの助っ人として日比谷公園へと連れて来られていた。ま、今回の主役は青森延伸完了まであと少しの東北か、はたまたとうとう繋がる九州と山陽か。僕自身の話題なんて何一つないんだから、助っ人以外の何者でもない。適当に会場直後のあわただしいところを手伝ったなら、それで僕の役割はおしまいのはずだ。こういうのは持ちつ持たれつ。もっとも、この先、僕が手伝ってもらう立場になるかどうかははなはだ怪しいところなんだけど。
このおまつりは、規模こそそんなに大きいわけじゃない。面積や来場者数でいけば、車両基地公開日どころか、日々の鉄道博物館来場者の方がよほど多いだろう。とはいえ、そちらは各社オンリーで地域も限定されている。このイベントは、私鉄・地方鉄道各社が同時に参加するため、小規模ながらも普段は縁のない顔を一度に見ることができるという面で、とても興味深いものだった。
日本列島を駆け抜ける長距離輸送の勇といったところで、普段顔をあわせる相手(ろせん)が特に多いわけじゃない。第三セクタ単線の子に比べれば顔見知りの数は多いけれど、首都圏の巨大な乗換駅をいくつも経由する在来の子たちと比べれば、多分、僕の方が知り合いはすくないだろう。もっとも、一方的に顔を知られているというのをあわせれば、多少話は違ってくるだろうけど。
自分が足を踏み入れるはずもない場所の地方鉄道各社のブース、乗り換えがかすらない私鉄各社ブースなど、ああ去年も見たような気がする、今年は初めてだろうかなんて思いながら流し見る。煎餅だのストラップだの雑誌だの。各ブース個性的なような、類型的なような、まあどうでもいいか。忙しく売り場を整える姿に、がんばってねと心の中で無責任なエールを送っていたところ、ざわめきをなお圧する大声に驚かされた。
「今日は鉄道フェスティバル本番である! 世に会長のご威光を知らしめるため、気を引き締めていくぞ!」
「西武万歳!」
「会長万歳!」
「堤会長のご威光を万民のもとに!」
思わず足を止め、声の出所を確認する。数人の青い制服が、ブースの前に陣取り円陣を組んでいた。僕のようにぎょっとして足を止める者、またかといいたげにため息をついている者、迷惑そうに遠巻きにする者。反応こそいろいろだが、異様な雰囲気を作り出している彼らは、気にする様子も見せなかった。
「堤会長万歳!」
「万歳!」
「万歳! 会長よ永遠に!」
「馬鹿者! 会長が永遠でないわけがなかろう!」
「ああっ! 会長万歳!」
……。ええと。
眺めているうちに、彼らは万歳三唱を終えたらしく、定められたブースへと移動していった。……会場までまだ三十分近くあると思うんだけど。というか、あんなに期待しきった表情で背筋をのばしていたら、来るお客も逃げないのかな。
西武鉄道――東京の西側、埼玉・秩父方面に勢力のある(つよい)私鉄だ。創立以来いくらかの不祥事があったとはいえ、その勢力は依然として首都近郊の私鉄の中で存在感を示している。
今、彼らが万歳三唱をささげていた会長とは、西武グループを一代で築きあげた堤康次郎のことだろうか。晩年には、史上最大といわれる選挙法違反をやらかした人だ。――カリスマであることは確かなのだろうけど、人間としてどうかというと、今の基準では微妙なところだと思う。発展させたのは確かかもしれないが、名に傷をつけたのも確かだ。それほどまでに、崇拝すべき人間なのかどうか。鉄道がはしればお金が動く。それは、高速鉄道だろうが在来線だろうが地下鉄だろうが同じだ。土地の買収、駅前の収益、街ひとつ作り上げるほどの大きな事業なのだ。奇麗事でやっていけるわけじゃないけど、最低限の矜持、もしくは噛みつかれないだけの利口さは必要だ。
――まぁ、あまり人のことは言えないけどね。華々しい西武の来歴を思い出しているうちに、燕三条駅前の銅像を思い出し、僕はためいきをついた。そして、ため息のまま、なんとなくすでに開店済みといった様子のブースへと足を向ける。
つい、なんとなく。それ以上の理由なんかない。直接に乗換駅でいきあうわけではないとはいえ、濃緑の制服を知らないはずもないだろう。僕が足を向けたのに気付くと、ブースのまんなかに陣どった彼は、怪訝そうな表情をした。だが。
「――開場前だけど、見せてもらってもいいかな」
そう声をかけた瞬間、大丈夫ですよとの愛想のいい声とともに、営業スマイルが彼の顔を彩る。ありがとうと口にして、僕は並べられたストラップに手を伸ばした。準急、急行、通勤準急、そして普通。列車の種類と駅名が描かれたプレートと、プラスティックでできた小さな車両がぶらさがっている。僕から見れば、どの駅であろうと、どの列車であろうと、特に思い入れはない。僕は、なんとなく目に付いた黄色の列車を選び、会計を依頼した。
ロゴ入りの袋を断り、直接キーホルダーだけを受け取る。まあ、一応はJRの頂点にたつ高速鉄道(しんかんせん)が、他社のキャラクターグッズを下げているというのも、あまり見栄えのいいものじゃあないしね。
「ありがとうございました」
真ん中の彼が爽やかな笑顔とともに頭を下げ、背後にいる同じ制服の彼らが唱和する。ありがとう、と。それに対して小さく頭を下げ、僕は西武鉄道のブースを離れた。
てのひらに収まるキーホルダーを、ポケットの中で握りしめる。セロファンの音が、やけに大きく響いた気がした。
会長万歳、か。西武グループは、初代の選挙法違反以降も、株券偽造関連で上場取り消しなんて憂き目――というか自業自得を見ている。それでもなお――彼らは、堤康次郎、堤義明、堤清二を崇め奉るのか。
僕も――今太閤をあんなふうに崇め奉れば、重い重い真冬の雪みたいないろいろなものが軽くなるだろうか。日本列島改造計画。豪雪地帯の貧困解消。国の威信をかけて行われた事業は、今現在実を結んでいるといえるのか。日本全国、どこへいくにも不便がないように、と。豪雪地帯であるという理由のもとに発展を阻害されてきた地域――とくに、彼の故郷であるところの新潟を豊かに、と。日本全国津々浦々に高速道路をひき、高速鉄道の計画をぶちたてた。
おらがまちの巨大すぎる政治家先生。あなたの高速鉄道は、今、オーバースペックの醜態をさらしています。乗車率百二十パーセント、二百パーセント超、と。アナウンサーが身を乗り出すお盆や年末でも、増発すらされません。
関東から日本海へ。たどりついたのは早かったけれど、その後はどんづまりだ。上にも下にものびず、ただ、盆と暮れの最繁忙期のみ、途中まで人を満杯にして移動している。それも――オリンピックという国家行事で貫かれたもう少し南側の路線が延びる頃には、なくなってしまうだろう。ああ、運行数が減る方が先かな。国の事業だからこそできた暴挙だもの。ねえ、僕は、あなたのいう豊かさをもたらす使者になれましたか?
長い長い猛暑が終わり、かけあしでやってくる冬を迎えるほんの少し前の季節だった。あいにくの雨模様の下、僕は鉄道フェスティバルの助っ人として日比谷公園へと連れて来られていた。ま、今回の主役は青森延伸完了まであと少しの東北か、はたまたとうとう繋がる九州と山陽か。僕自身の話題なんて何一つないんだから、助っ人以外の何者でもない。適当に会場直後のあわただしいところを手伝ったなら、それで僕の役割はおしまいのはずだ。こういうのは持ちつ持たれつ。もっとも、この先、僕が手伝ってもらう立場になるかどうかははなはだ怪しいところなんだけど。
このおまつりは、規模こそそんなに大きいわけじゃない。面積や来場者数でいけば、車両基地公開日どころか、日々の鉄道博物館来場者の方がよほど多いだろう。とはいえ、そちらは各社オンリーで地域も限定されている。このイベントは、私鉄・地方鉄道各社が同時に参加するため、小規模ながらも普段は縁のない顔を一度に見ることができるという面で、とても興味深いものだった。
日本列島を駆け抜ける長距離輸送の勇といったところで、普段顔をあわせる相手(ろせん)が特に多いわけじゃない。第三セクタ単線の子に比べれば顔見知りの数は多いけれど、首都圏の巨大な乗換駅をいくつも経由する在来の子たちと比べれば、多分、僕の方が知り合いはすくないだろう。もっとも、一方的に顔を知られているというのをあわせれば、多少話は違ってくるだろうけど。
自分が足を踏み入れるはずもない場所の地方鉄道各社のブース、乗り換えがかすらない私鉄各社ブースなど、ああ去年も見たような気がする、今年は初めてだろうかなんて思いながら流し見る。煎餅だのストラップだの雑誌だの。各ブース個性的なような、類型的なような、まあどうでもいいか。忙しく売り場を整える姿に、がんばってねと心の中で無責任なエールを送っていたところ、ざわめきをなお圧する大声に驚かされた。
「今日は鉄道フェスティバル本番である! 世に会長のご威光を知らしめるため、気を引き締めていくぞ!」
「西武万歳!」
「会長万歳!」
「堤会長のご威光を万民のもとに!」
思わず足を止め、声の出所を確認する。数人の青い制服が、ブースの前に陣取り円陣を組んでいた。僕のようにぎょっとして足を止める者、またかといいたげにため息をついている者、迷惑そうに遠巻きにする者。反応こそいろいろだが、異様な雰囲気を作り出している彼らは、気にする様子も見せなかった。
「堤会長万歳!」
「万歳!」
「万歳! 会長よ永遠に!」
「馬鹿者! 会長が永遠でないわけがなかろう!」
「ああっ! 会長万歳!」
……。ええと。
眺めているうちに、彼らは万歳三唱を終えたらしく、定められたブースへと移動していった。……会場までまだ三十分近くあると思うんだけど。というか、あんなに期待しきった表情で背筋をのばしていたら、来るお客も逃げないのかな。
西武鉄道――東京の西側、埼玉・秩父方面に勢力のある(つよい)私鉄だ。創立以来いくらかの不祥事があったとはいえ、その勢力は依然として首都近郊の私鉄の中で存在感を示している。
今、彼らが万歳三唱をささげていた会長とは、西武グループを一代で築きあげた堤康次郎のことだろうか。晩年には、史上最大といわれる選挙法違反をやらかした人だ。――カリスマであることは確かなのだろうけど、人間としてどうかというと、今の基準では微妙なところだと思う。発展させたのは確かかもしれないが、名に傷をつけたのも確かだ。それほどまでに、崇拝すべき人間なのかどうか。鉄道がはしればお金が動く。それは、高速鉄道だろうが在来線だろうが地下鉄だろうが同じだ。土地の買収、駅前の収益、街ひとつ作り上げるほどの大きな事業なのだ。奇麗事でやっていけるわけじゃないけど、最低限の矜持、もしくは噛みつかれないだけの利口さは必要だ。
――まぁ、あまり人のことは言えないけどね。華々しい西武の来歴を思い出しているうちに、燕三条駅前の銅像を思い出し、僕はためいきをついた。そして、ため息のまま、なんとなくすでに開店済みといった様子のブースへと足を向ける。
つい、なんとなく。それ以上の理由なんかない。直接に乗換駅でいきあうわけではないとはいえ、濃緑の制服を知らないはずもないだろう。僕が足を向けたのに気付くと、ブースのまんなかに陣どった彼は、怪訝そうな表情をした。だが。
「――開場前だけど、見せてもらってもいいかな」
そう声をかけた瞬間、大丈夫ですよとの愛想のいい声とともに、営業スマイルが彼の顔を彩る。ありがとうと口にして、僕は並べられたストラップに手を伸ばした。準急、急行、通勤準急、そして普通。列車の種類と駅名が描かれたプレートと、プラスティックでできた小さな車両がぶらさがっている。僕から見れば、どの駅であろうと、どの列車であろうと、特に思い入れはない。僕は、なんとなく目に付いた黄色の列車を選び、会計を依頼した。
ロゴ入りの袋を断り、直接キーホルダーだけを受け取る。まあ、一応はJRの頂点にたつ高速鉄道(しんかんせん)が、他社のキャラクターグッズを下げているというのも、あまり見栄えのいいものじゃあないしね。
「ありがとうございました」
真ん中の彼が爽やかな笑顔とともに頭を下げ、背後にいる同じ制服の彼らが唱和する。ありがとう、と。それに対して小さく頭を下げ、僕は西武鉄道のブースを離れた。
てのひらに収まるキーホルダーを、ポケットの中で握りしめる。セロファンの音が、やけに大きく響いた気がした。
会長万歳、か。西武グループは、初代の選挙法違反以降も、株券偽造関連で上場取り消しなんて憂き目――というか自業自得を見ている。それでもなお――彼らは、堤康次郎、堤義明、堤清二を崇め奉るのか。
僕も――今太閤をあんなふうに崇め奉れば、重い重い真冬の雪みたいないろいろなものが軽くなるだろうか。日本列島改造計画。豪雪地帯の貧困解消。国の威信をかけて行われた事業は、今現在実を結んでいるといえるのか。日本全国、どこへいくにも不便がないように、と。豪雪地帯であるという理由のもとに発展を阻害されてきた地域――とくに、彼の故郷であるところの新潟を豊かに、と。日本全国津々浦々に高速道路をひき、高速鉄道の計画をぶちたてた。
おらがまちの巨大すぎる政治家先生。あなたの高速鉄道は、今、オーバースペックの醜態をさらしています。乗車率百二十パーセント、二百パーセント超、と。アナウンサーが身を乗り出すお盆や年末でも、増発すらされません。
関東から日本海へ。たどりついたのは早かったけれど、その後はどんづまりだ。上にも下にものびず、ただ、盆と暮れの最繁忙期のみ、途中まで人を満杯にして移動している。それも――オリンピックという国家行事で貫かれたもう少し南側の路線が延びる頃には、なくなってしまうだろう。ああ、運行数が減る方が先かな。国の事業だからこそできた暴挙だもの。ねえ、僕は、あなたのいう豊かさをもたらす使者になれましたか?