眠れる獅子と沈む太陽
「こんな感じやったっけ?」
都市から少し離れた山奥、彼の家はここにある。
前来た時は彼の弟や妹がワラワラとたくさんいたものだが今はその気配が全くしない。
「ちゅ、中国、入んで?」
門を開け、あやふやな記憶を元に彼を探す。
すると、ある部屋からケホケホと咳込む声が聞こえた。
「ここか…?」
「誰あるか!?」
寝室らしい。
簡素なベッドの上にいたのはもちろん、彼…中国だ。
シンプルなチャイナ服に身を包んだ身体をいくらか痩せてしまったように見える。
「西班牙…何しに来たあるか…!?」
警戒心丸出しである。
「あぁっ! スマン! 勝手に入ってきて…」
「…ずれてるある」
答え方が間違っていたのだろうか?
「ここに来た理由を教えるよろし」
「いや、あの、日本にちょっと用事があってな! そのついでや!」
「…そうあるか。ならいいある」
ほっとしたように胸を撫で下ろす中国。
「今、我、調子悪ィある。
だから、茶の1つも出せねーあるが、ゆっくりしていくよろし」
コクリと頷き、ベッドの横にある椅子に腰掛ける。
すると、机の上に置いてある白い塊が目に入った。
「…手紙?」
「全部、我の弟や妹から届いたのばかりある。
皆、○○さんはいい国ですとか、我に会えないのが辛いとか、元気にしてますとか
そんな内容あるよ」
「そうなんや…」
手紙の山の一角を手に取り裏返す。
「イギリスか…」
「それは香港のやつあるね」
「…こっちは日本か」
「…台湾の…ある」
「ポルトガルからも」
「マカオ…」
「何でそないに覚えてるんや…ってどしたん!?」
シーツの上にポタポタと薄赤のシミが出来る。
「…っ…!」
声にならない嗚咽を漏らしながら泣く中国。
顔を覗き込むと下唇をグッと噛み、そこから血が出ている。
「やめぇ! そんなん痛いだけやで!?」
「我がっ…弱いからっ…! 守れなかった…大切なのに…」
自分の非力のせいで、大切なモノを奪われて、自分自身も削られて、
それでもまだ、国として、生きてる。
それがどれほど辛く、悲しいことなのか…オレは知っていた。
――これからはお前が帝国じゃない。
この、オレが帝国だ!
――もう君の時代は終わったんだよ。
イギリスに負けた時点で…ね。
「…中国」
「もう…いやある…」
日焼けしていない真っ白な手の甲にハラハラと落ちる涙を拭えないまま、
時間だけが過ぎていく。
「何で…奪うあるか…!」
「それは…奪わへんと、生き残れへんからや」
昔、一度だけ聞いたことがある。
亜細亜は西洋のように相手のモノを奪い、栄えるのではなく、与え、栄えるのだと。
「分かんないある…お前らの事が…」
彼は今まで、亜細亜という世界を引っ張って来たのだ。
それが突然、西洋に壊されて…それで、西洋を理解するなんて…
「…西班牙、ちょっとコレ見るよろし」
「な、何?」
いきなり包帯を巻かれた細い腕を突き出され、面食らってしまう。
「包帯取って、見るあるね」
言われるがままに包帯を取る。
そこにはまだ血が滲む、銃痕が残っていた。
「…誰にやられたんや?」
「こんな傷が身体中にあるある」
「酷いな…これは」
「弟たちはあくまでも『都市』であって…『国』じゃねーある」
「つまり、『中国』自体のダメージは全て、お前が背負うっちゅーことやな」
『都市』は相手に連れて行かれ、『国』はその分の傷を負う。
酷過ぎる話だ。
「それで…我の身体も少しずつ侵食されているある。
ここは俄羅斯。あと、ここが徳國。
ここが英國で、あぁ、ここは日本になったあるな」
悲しそうに、自分の身体を撫でる中国。
あくまでも彼は、『中国』で、弟たちは『都市』なのだ。
「…一体…我は…誰あるか?」
「そりゃ…お前は…」
言いかけて、オレはやめた。
侵略された領土は、『中国』の国土ではなくなる。
早い話が、彼自身が『中国』ではなくなるということだ。
「西班牙…お前は分かるあるか?」
悲痛な眼差しだった。
自分の中では答えを見つけているのだけれど…それを認められなくて…
「…お前は、中国や」
これ以上、彼が涙を流すのを見たくなかったから、オレはそう答えた。
でも、中国の返答は予想外のものだった。
「英國が言ってあるが…お前は優しすぎるある…
でも…今はその優しさに溺れたい気分ある…」
そう言って、オレの背中に手を回した。
必死に縋りついてくる身体を支え、抱き返す。
「沈んだ太陽はもう一回、昇るねん。
だから…眠れる獅子も…目覚めて…!」
腕の中で彼が少し、頷いた。
果たせるかどうかも分からない約束は、変わる世界に消えていく。
作品名:眠れる獅子と沈む太陽 作家名:狼華