しびれるようなキスを
テーブルに並べられた、寿司、寿司、寿司。
デパ地下で買ってきたという巻き寿司は、太いもの、細いもの、長いものといろいろで、具財も実に豊富だった。中には、海苔ではなく紫蘇で巻いたピンクの巻き寿司まである。
「…どうしたんですか、これ?」
20本はあるだろうか。包装紙の種類もいろいろで、それらがずらりと小さなテーブルを占領する様はなかなか圧巻だ。
「節分だろ? 豆まくのは知ってたんだけどよ、巻き寿司を食うといいんだって、トムさんが」
「恵方を向いて食べるんですよね。でも、こんなに買ってこなくても」
「一本丸々食わないとダメなんだって言われたからよ、…お前食細いだろ? だから、いろいろ買ってみた」
「はあ…」
厄払いに豆を撒き、魔除けに鰯の頭を玄関に飾る、だっただろうか。巻き寿司を食べるのは『福を巻き込む』からで、『切らずに食べれば縁が切れない』と云われている。
が、確かに帝人は食が細い。一般に巻き寿司として売られているものはいわゆる『太巻き』が多くて、自慢じゃないが一本食べきった事など一度もない。静雄の気遣いは嬉しいが、違う意味ではものすごいプレッシャーだ。
ちらりと盗み見れば、まるでわくわくする子供のような顔で静雄はどれにするかと選んでいる。「食べれそうにないんで止めときます」なんて言えばきっと、誰が見てもわかるくらいがっかりして、誰が見てもわかるくらい無理してる顔で笑うのだろう。わかりやすすぎるのも考えものだ。
内心溜め息を吐きつつ、食べきれそうなもの、米の割合がいちばん少なそうなものはどれかとひとつひとつ手に取って見る。全て吟味してから、帝人は細巻きを選んだ。長さが30cmくらいある変わり巻きだが、細い分他のものに比べて米も具も少ない、…ような気がする。
「声出さずに食べなきゃダメなんだよな?」
「時間かかると思うんで、話しかけないでくださいね」
「おう。―――俺はこれにする」
これとこれも、と静雄が手に取るのは太くて中身がぎっしり詰まったものばかりだ。帝人なら半分が精々だろう。
揃って南南東だろうと思われる方角に身体を向けて、いただきます、と齧りつく。
味は文句なしに美味しかった。細いのに、ちゃんとキュウリもかんぴょうも出汁巻きも入っている。こんな場合じゃなければ嬉しいのだけれど、もうちょっと具が少なくてもよかったのになと思いつつ、もそもそと口を動かす。
ふと見れば、静雄はもう2本目に取りかかっていた。いつの間に、と丸くした目で見ていると、2口3口で半分がなくなってしまう。これなら、20本の巻き寿司もあっという間に片付くだろう。
静雄が3本食べ終える間に、帝人はやっと10cm程度の米と具財を飲み込んだ。まだ3分の1だ。咥えたままの顎がだるくてそのまま休んでいると、更に2本、大きな巻きものが静雄の口に消えていく。
手品みたいだなあと眺めていると、気づいた静雄が首を傾げた。わずかに眉根を寄せて、心配そうにこちらを見ている。
「…無理しなくていいぞ?」
その様子が本当に申し訳なさそうで、帝人はちょっと腹が立った。
『切らずに食べれば縁が切れない』ということは、切ったら縁も切れるということで、―――もちろんそんなはずはないけれど、だからこそこんなつまらない意地を張っているのに、いまさら「無理をするな」はない。
思わず静雄を睨みつけて、その顔が怯むのを確認してから帝人は再び口を動かした。噛んで、咀嚼して、飲み込む。ひたすら無言で繰り返すのに、巻き寿司はなかなか減ってはくれない。半ば自棄になりつつもそもそ食べ進めていると、静雄が困ったような顔で反対側をそっと掴んだ。
「手伝ってやるよ」
そう言って、ぱくりと反対側から齧りつく。
驚いたが、巻き寿司を咥えたままだったので声は出さずに済んだ。近すぎる距離に逃げ出したくなったが口を離すことも出来ず、その距離があっという間に縮まっていくのを呆然と眺める。残りがひとくちかふたくちくらいになって、静雄がぴたりと動きを止めた。このまま食べ進めればどうなるか、今になって気づいたという顔だ。
真っ赤になっているだろう帝人を伺うように、その目がじっと覗き込む。近すぎてぼやけているのに、ふとそれが困ったように眇められるのがわかった。自分から噛み切ろうとしているのに気づいて、慌ててその距離を詰める。
そのまま唇を押し付けると、静雄が小さく身体を揺らした。驚きに瞠る目を正視できずに顔を離せば、腕を掴んで引き寄せられる。今度は静雄の方から唇を寄せて、けれども差し込まれた舌がまだ飲み込めずにいた米に触れて、離れた。
「……っ」
「……」
「く…、…っはは、あはっはははは!!!」
「……………」
腹を抱えて笑う静雄を思いきり睨みつけ、それでもまだ喋る事はできなくてもぐもぐと口を動かす。
「…ッ、ははは、…だよな。コメだもんな」
食うのに時間かかるよなと笑い続けるのにそっぽを向いて怒りを示し、必死で口の中のものを飲み下した。
静雄の方から噛み切ろうとしたこともそうだが、それを嫌だと自ら主張してしまったことが、なんだか負けたようですごく悔しい。
「静雄さん」
呼びかけて、涙目になりつつまだ笑っている静雄に帝人は自らキスを仕掛けた。驚きに開かれた唇を塞ぎ、いつもはされる側のことをなぞるように舌を絡ませる。
―――と、静雄がビク、と身を竦ませた。慌てて離れ、唇を拭う。
「おま、…ッ」
べ、と差し出した帝人の舌は薄緑色。たっぷりのわさびは帝人にもきつかったが、辛いものが苦手な静雄にその効果は抜群だ。見れば、先程とは違う意味で眦が潤んでいる。
「静雄さん」
名を呼んでもう一度顔を寄せると、涙目のまま静雄がいやいやと首を振った。数センチの距離でぴたりと動きを止めると、あーとかうーとか言いながら、泣きそうな顔で帝人を見つめる。
それがなんだか可愛いくて、思わず笑みを零すと唇を塞がれた。探る舌はしびれていて、いつもと違う感覚がした。
作品名:しびれるようなキスを 作家名:坊。