悪の花
失ってから初めて愛しいと気付くなんて。もう愛の言葉を伝えることも、触れることもできないのに。
祖国の危機に立ちあがった少女は、若い命を燃やされて死んだ。
聖女であって悪魔ではない彼女を、しかし世間は許さなかった。
彼女をその運命に追い込んだのは全て自分だ。
若い娘に剣をとらせたのも、戦場に送ったのも、見捨てたのも。
たった一人の少女の命など、自分の中にある国民に比べれば限りなく小さい。
だから国民を愛す自分にとって、少女など気にも留めない存在だったはずだ。
だが気付いてしまった。
彼女が燃えて灰になったあとに。
自分が国という存在を超えて、人として彼女に恋をしていたのだと。
しかし気付いたときが遅かった。
自分が生き伸びるために、フランスは彼女を犠牲にしていた。
この醜い国という存在を生かすために、あんなに綺麗な子を。
まだ彼女が傍にいたときはそんなことは思わなかった。
愛する国民の一人であることに変わりはないけれど、英雄ではあった。
しかし英雄は戦争が起こるたびに生まれる。彼女もその一人だと思っていた。
だから彼女と笑い合う時間をそれほど大切に思っていなかった。
いや、本当は彼女が眩しすぎて、光り輝く時間に気付かなかったのかもしれない。
その証拠に、今自分はあの日々を取り戻したいと願っている。
自分で捨てておいて、言えた口ではないことはわかっているけれど。
もし国が平和だったら、彼女が死ぬ前にこの愛情に気付けただろうか。
でも戦争が起きなければ彼女は剣をとらず、自分と会うことはなかった。
それならいっそ会わなかったことにすればいい。
そうすればこの虚しい愛情に苦しまず、彼女が若くして散ることもなかっただろう。
フランスは彼女という存在を忘れて、逃げることを選んだ。
「見て下さい祖国」
『彼女』が道端にフランスを手招く。
フランスが招かれるままそちらへ行くと、ここら辺では珍しい花が一輪だけ咲いていた。
「珍しい花だね」
感想はそれくらいだった。
彼女がわざわざ自分に見せるほど、重要なものとは思えなかったからだ。
彼女はどうでもいいものさえ愛でてしまう。
愛の国と謳うフランスも道端の花までは愛せないし、彼女がいちいち感激するのを、納得いかない顔で眺めているのが常だった。
「この花の名前知ってますか?」
目をきらきらと輝かせて彼女が問う。
だが花に詳しくないフランスは答えられず、しかし彼女は残念がる様子もなく笑顔で花を見ている。
「その花好きなの?」
「はい、大好きです」
大好きだなんて、今見つけたばかりの花を何故そこまで愛せるのだろう。
まるで万物を愛すると謳う自分の嘘を晒されているようではないか。
フランスは機嫌を損ね、聡い彼女は困ったような笑顔を浮かべる。
「私だって全てを愛せるわけじゃありませんよ」
まるで自分の心を見抜いたような言葉。
だが彼女の奇妙な特技を知っているフランスは、驚くでもなく、では何が愛せないのかと聞いた。
すると彼女は考え込むように首を捻って、しばし間が生まれる。
「すぐには浮かびませんね」
彼女が苦笑する。
自分なら数え切れないほど嫌いなものを挙げられるのに、彼女は一つも浮かばないと言う。
せめて敵軍とでも言っておけばまだ人間らしいのに。
「私は全てを愛しているわけではないんです。特別嫌うものがないだけで。ただ、この花が私に似ていたから、好きだと思ってたんです」
「君に?」
フランスは彼女が探しだした花に目をやる。
他の草花とは明らかに異質な存在。
まるで仲間外れにされているみたいだ。
「私は女で、普通は戦場にたてません。そして神の声が聞こえます。そんな存在が軍にいるのは、この花のように異質ではありませんか?」
彼女の少し寂しそうな横顔。
やはり全く気質の違う連中と行動を共にするのはつらいのだろうか。
仲間外れな花に自分を重ねるくらい。
「じゃあ俺も異質だね」
「え?」
彼女が驚いた表情で振り返る。
彼女にこんな顔をさせたのは初めてで、フランスは少し優越感を得た。
いつもは何でも見通されてしまうから。
「俺は国で、人じゃない。ただの怪我じゃ死なない。人間ばかりのこの世界で、仲間外れ。俺もこの花みたいだろ?」
特別な意味は持たずにただ事実だけを語る。すると彼女は心底嬉しそうに、
「じゃあ私たちはお揃いですね」
などと言う。
まさか人間と同じ立場にされるなど考えもしなかったフランスは、言葉も出せずに戸惑った。
ほとんどの人間たちが、国である自分に敬意を抱き、そして近寄らない。
それを彼女は、お揃いだと、同じだと言ってのける。
いくら聖女と崇められようと、彼女は人であるはずなのに。
そのときはなんと変な奴だと思った。
でも今思えば、彼女は自分に孤独ではないと伝えたかったのかもしれない。
国と人との線引きを、軽々と飛び越えて。
今なら、彼女が自分にくれた愛情がわかる。
それはきっと母性愛のようなもので、今の自分が抱く恋慕とは違うだろう。
それでも確かにフランスは彼女に愛されていた。
それに気付くのが遅くて、フランスは彼女を忘れることにした。
だが新たな英雄の登場で否が応でも思い出させられて、フランスは忘れたことを後悔した。
たとえ愛が苦しくとも、彼女の死は消えない。
見殺しにした事実は消えない。
ただ逃げていただけ。
フランスはそんな己を殴り飛ばしてやりたかった。
もう絶対忘れないから。
犯した罪も、君がくれた愛情も、俺が抱く愛情も。
だからいつか、俺を許して。