雨音
死体に縋り付いて泣く姿は見飽きるくらい見てきた。
みっともないくらい顔を歪めて。
その背後で眉間に皺を寄せたところで視界には入らないのだろう。
そんなお前が好きで嫌い。
無意味に何度も繰り返してしまう。
隣にいて、ただ隣にいて。
噛み締めた唇から鉄の味がした。
人の形をしているのに、人とは違う。
それなのにどうして彼は人に恋してしまうのだろう。
苦しそうに顔を歪めて嗚咽を殺すことも出来ずに泣いていた。
愛していた彼女を優しい笑顔で看取って、崩れるようにして泣いてしまった。
どうして俺がこの場にいるのだろう。
何もしてやれないのに。
亡くなった彼女を遺族に託し彼はそっと病室を出た。
無言で後を追う。
彼女と歩く姿は幸せそうで、街でふと見つける度に胸がギリギリと痛んだ。
でもその幸せそうな顔は決して自分には向けられないのだと思えば、もう痛みは
なくなっていた。
諦めることで放棄した気持ちは今でも心の中で燻っている。
「イギリス」
「帰るぞ」
きっと俺からの優しい言葉なんて望んでいないだろう。
冗談だとか気の利いた言葉のひとつでも投げてやりたかったが、そんな気力はなかった。
それに元よりそういったことは苦手だ。
平和になった今の世では有り得ないけれど、もし自分が死んでしまうときはフランスに看取られたい。
無理した笑顔でなくてもいい。
散々罵倒してくれてもいい。
ただ終わる瞬間のその一時だけでも心を傾けて貰えるのならば。
どうせ死ぬことなどない。
人でない自分に待つのは消滅だ。
「次会うときはお墓になってるんだな」
静かに呟いたフランスはそれきり無言で後ろをついて来る。
「…フランス」
「ん?」
「この辺に美味い紅茶の店ねえの?」
少しの沈黙と小さく笑う声。
「坊ちゃんの煎れた紅茶より美味い店はうちにはないよ」
「…そ」
「勿論坊ちゃんの料理よりマズイ店もないけどね」
「…」
一言余計だと零しフランスの邸宅へ向かう。
飛び切り美味い紅茶を煎れる為に。
「好きだよ」
突然後ろから聞こえた言葉にビクリと身体が跳ねる。
は?とか馬鹿じゃねえの、とか返したいのに驚いた思考が呼吸しか許してくれない。
「…お前の煎れる紅茶」
続いた言葉に悲しみや悔しさよりも安堵感でいっぱいになる。
「…ありがと」
綺麗な発音で感謝を伝える。
嬉しかったから。
「彼女がね、好きな人は大切にしなきゃ駄目だって怒ったことがあってさ」
「ん」
「10年とか20年とかもっと前のことなんだけど」
フランスがぽつりぽつりと話しはじめる。
車の通りも人の通りも少なくなっていて小さくてもフランスの声が耳に届く。
「悲しませるのは駄目だって、泣いてた」
「そっか」
その彼女はきっと今フランスを悲しませている。
「それでねイギリス、彼女さっき俺に言ったんだ。ありがとう、好きな人を大切にねって」
「…」
「イギリス」
泣きそうな声。
弱々しい小さな声で名前を呼ばれた。
フランスの邸宅の門を潜る。
緑の中にところどころ花が咲いた美しい庭。
彼が好む美しいもので出来た場所。
玄関の扉を開けて中に入る。
「紅茶煎れてやるよ」
そう言って振り向くと急に抱きしめられた。
「っ…フランス!」
「好きだよ、イギリス」
振りほどきたいのに抱きしめる力が強くて出来ない。
「好き、好き…愛してる」
繰り返される愛の言葉と時々ごめんねという言葉。
「…同情とか代わりとかなら嫌だ」
そこまで優しくないと続けて。
「ずっとイギリスのことが好きだった」
「…信じ…ねえぞ」
「彼女と別れて、友達みたいになって、彼女は結婚して子供も産まれて幸せそうだった」
「…別れた?」
「恋人としてじゃなくなっても大切な人だった。…友達として」
思考がぐるぐる巡っている。
「彼女と話してる内に気付いたんだ、俺はイギリスが好きなんだって」
「そんなの…勝手だ」
「うん、ごめんね」
頬が濡れていた。
悔しいのに涙が止まらない。
「…愛してる」
「嘘だ、信じない」
「どうしたら信じてくれる?」
「…キス…しろよ」
フランスが小さく了承した。
唇に触れるくらいの軽いキス。
濡れた瞼に一回ずつ、額と頬に口付ける。
首筋に唇が触れる。
「…ん」
そしてもう一度唇に、今度は深くて甘いキス。
離れた唇がまた愛してると形作る。
「信じてくれる?」
「仕方ない…な」
フランスが微笑む。
「紅茶煎れてくれる?」
「ん」
するりとフランスの腕から抜け出す。
「フランス…俺がお前のことどう思ってのか知ってた?」
「知らないふりしてた、気付かないふり、随分と前から」
「そ」
またフランスが眉根を下げる。
謝罪の言葉を紡ぐ前にキスで阻んだ。
「…愛してる」
end