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怪我をして、痛みを感じる。

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 城の外れ、奥まった場所に在る木々の開けたそこは、リオウとティエルの修練所であった。目立つことをひどく厭うティエルは、兵舎の訓練所へは頑なに近付こうとしない。軍主であるリオウへの気遣いであるのだろう、とは軍師の言。けれど稽古付けてもらうことを諦められず、リオウは人影のない潜まった場所を探し出し今に至る。

 リオウの荒い息遣いが響く。膝に手を付き粗方息を整えると、そのまま後ろへと倒れ込んだ。
「ハ、も、坊ちゃんさん、厳しいんだから、」
「手加減していては稽古にならない」
 大の字になり空を仰ぐリオウを静かに見据えて、涼しげにティエルは息を吐いた。バンダナを解きかぶりを振る。陽射しに汗が煌めき散った。そうしてちらりと左腕を見やる。リオウの打撃を受け止めたそこは、ひどく血が滲んでいた。変わらぬ表情でそれを乱雑に拭い、リオウに倣うようにぱたりと倒れ込んだ。
「坊ちゃんさんの悪いクセです。『肉を切らせて骨を断つ』なんて捨て身じゃ、身体がいくつあっても足りませんよ」
 高く鳥の鳴く空へ視線を向けたまま、リオウが呟く。
 ティエルは、強い。けれど時に危うく、自身を顧みない行動に出ることがあった。今までは怪我程度で済んでいたかもしれない。けれどほんの少しの要因が取り返しのつかない事態を招く。そのことがリオウは気掛かりでならなかった。
 ティエルは左腕を掲げた。血の滲み痺れの残るそこを一瞥する。
「……さぁ、痛みは……よく、判らない、から」
「判らないって、」
 そうして眸を隠すように腕を下ろした。
「……いや、これが『痛み』というのは、頭では理解出来るんだ。けれど実感が湧かない。どこか他人事のようで。血を見て気付く。けれど──それだけだ」
 そのまま、吐息のように続ける。
「痛みは生き物の本能だ。生への執着だ。僕には──それがないのかもしれない」
 それは死んでいることとどう変わらないんだろう、その呟きは空気に溶けて消えた。

 鳥の囀りが聴こえる。高い青空に白く雲が流れた。
 ティエルは腕を外し、顔だけをリオウへと向ける。変わらぬ表情のそれは、けれど眸だけが柔らかく笑んでいるように見えた。
「『コレ』がある限り僕は死なない。怪我程度いくらでも治る。──ありがとう、心配をかけた」
 リオウは、今は皮手袋に包まれたティエルの右手を見やった。その下には包帯が巻かれているはずだ。決して晒されることのないその甲には──生と死が息づいている。自身の属性と相反するそれに、時折ぞわりと肌が粟立ったことを思い出す。同時に──求めてやまない半身に近しいその気配に、焦がれてならないことも。

 リオウはきゅうと眉を寄せて瞼を閉じ、振り切るように勢いよく上体を起こした。握り込んだ拳へ睨むような視線を向けたまま、くちびるを噛み締める。
 そうして。
 護身用にと懐に忍ばせていた小刀で、左腕を──深く切りつけた。
「っ、リオウ、なにを、!」
 息を飲み瞠目する。ティエルは咄嗟にリオウの左腕を掴んだ。ぼたぼたと音を立てて血が滴る。
「怪我をしたら!」
 癒しの紋章を、と手のひらを翳そうとしたところで、リオウの叫びに遮られる。リオウが大粒の涙を溢れさせながらティエルを見据えた。
「怪我をしたら、痛いです!」
 そうして血に染まる腕を突き出した。
「血が出るのは、生きているからです! 血があついのは、生きているからです!」
 茫とそれを視界に入れたままのティエルを睨み、その左腕を睨み、リオウは続ける。
「坊ちゃんさんにも僕とおんなじ血が流れています! 赤いです! あついです! ──だから、いたいんです!」
 叫びながら、堪えきれず嗚咽を漏らす。ティエルの静止も聞かずその胸倉を掴み上げ──そのまま肩へと顔を埋めた。しゃくり上げる振動が響く。
「いたくないなんて、うそです。いっぱい、いっぱい痛かったから、それが普通なんだって身体が勘違いしちゃっただけで、いたくないなんて、うそです」
 そっと、頭を撫ぜるティエルの腕がやさしいのに痛く感じて──リオウはかぶりを振って一層顔を埋めた。
「坊ちゃんさんはここに居ます、生きています! あったかい熱を感じます、生きています! だから、生きてるって、だから、痛いです。坊ちゃんさん、痛いです、痛いんです。ごめんなさい、痛いです、僕、痛いんです。ごめんなさい、ごめんなさい」
 ごめんなさい、ただそれだけを呟くリオウに、ティエルは頭を撫ぜていた腕をその肩へと滑らせた。そうして一定のリズムでやさしく叩く。
「うん、泣かれると、苦しくて──痛い、よ」
「僕がっ、泣くと、っ、痛い、ですか」
 ひくりとしゃくり上げながら、リオウがなぞるように訊き返す。
「うん、これは……痛い、ね」
 言いながら、目の前の震える肩にことりと顔を埋めた。
「僕もっ、坊ちゃんさんが痛いと、痛い、です。だから、坊ちゃんさんが怪我すると、っ、痛いん、です」
「うん」
「僕が痛いの、はっ、坊ちゃんさんが、痛いから、っです」
「うん」
「それに、」
「うん、」
「痛くないから死んでるって言うんなら、シチュー、もう食べらんないですね」
「それは困るな」
 怪我をするより痛い、とティエルが笑ったのが肩への振動で伝わった。リオウも釣られて笑う。くすくすと、二人の声が響いた。

「もう、こういうことは、するな」
 ティエルはきつくリオウを見据えて、その傷へと手を翳す。深く切り裂かれたそこが、温かな水の流れにゆうるりと癒されていった。血の跡だけを残し、日に焼けた滑らかな肌が戻る。
「坊ちゃんさんもしないなら、僕もしません」
 バツが悪そうにそっぽを向いたまま、リオウはぽつりと返す。呆れたように嘆息して、けれど変わらぬ表情をほんの少しだけ緩めて、ティエルは口元に薄く弧を描いた。
「肝に銘じておくよ」
「絶対ですよ。そうじゃないと、坊ちゃんさんの分までシチュー、食べちゃいますからね」
 リオウは胡乱気にくちびるを尖らせ、悪戯に光る視線を向ける。そうして眩いばかりの笑顔を浮かべた。それを目を細めて見やり、ティエルは俯く。その表情の下、眸だけが泣きそうに歪められていた。