ペットとご主人さま
透明なウィンドウの向こう、ピンクや水色や黄緑色、ファンシーな色が溢れかえる店の前で。
手で額を覆って、もっと小さく産んでくれなかった両親を軽くののしる少年が一人。
昼下がりの往来の視線を独占していた。
普段、優先的にピアノとサッカーに時間を割いている。
だから、買い物に付き合って、という彼女のわがままに従う義務が、自分にはある。
裏返せば、権利、とも言える。それが嬉しくないわけじゃない、が。
「ごめん、土浦くん。お待たせー……」
店から出てきた彼女が、財布を鞄にしまいながらこちらを見た。
その口が、ひっくり返った三日月の形で固まる。
土浦は黙って、その脳天に軽いパンチを見舞わせた。
ペット と ご主人さま
珍しく、日野のほうから下校の誘いを断ってきた。
聞いてみると、友人の、天羽の誕生日プレゼントを選びに行くのだと言う。
それなら連名にしといてくれ、と、資金を提供した、まではよかったのだが。
そして、その買い物の荷物持ちを引き受けた、まではよかったのだが。
どこで、間違えたのだったか。
巨大なクマのぬいぐるみを脇に抱え、土浦遼太郎は、深くため息をついた。
隣を行く頭は、相変わらず笑っているのか楽しげに揺れている。
「ごめんね。最初は、こんなに大きいの買う予定じゃなかったんだけど」
口も開かず歩いていると、横で弁明が始まった。
「でも、土浦くんがお金半分もってくれたから、資金倍になったし。それなら大きいほうがいいかなあって」
いつもよりも少し早口で、やや高くうわずる声。
合間に、ちらりちらりとこちらを伺う視線を感じる。
「天羽ちゃん喜ぶだろうなー。今から渡すの楽しみ」
さらに黙っていると、つい、と袖が引っ張られるのを感じた。
仕方なく、土浦は隣、やや下方を見やる。
「土浦くん、ありがとね?」
「……ああ、役に立ててるんならよかったよ」
あの天羽が、はたしてこのクマを喜ぶのかどうか。
若干疑問に思わないでもなかったが、友達が誕生日をお祝いしてくれるというだけでも嬉しいには違いないだろう。
何よりも、楽しげな彼女の様子を見ていたら、一人で苛立っているのも馬鹿馬鹿しくなってきた。
土浦は、脇にぞんざいに抱えていたクマを、よいせ、と腕の中にきちんと持ち直した。
クマのくせに、ずいぶんと上等な服をめかしこんでいる。
ピンク色を基調とした服だから、メスなんだろうか。
なんにせよ、作り手の温かみを感じられる、やさしい顔立ちをしたぬいぐるみだ。
職人芸だな、と土浦が感想をもらすと、日野が意外そうにこちらを見上げた。
「なんだよ。何か文句でも?」
「ううん、感心してる。やっぱり土浦くんって人と見るところが違うんだなって」
「それ、褒め言葉か?」
「うん、もちろん」
「そりゃどーも」
「ええと、どういたしまして?」
目が合って、笑い合う。
こういうなんでもないやりとりが心地いい。
意外に感じるが、普段の日野の周りには、こういうかわいいクマのような、女の子らしさが登場することは少ない。
だから一緒にいても、どちらかというと同性といるような感覚に近いのかもしれない。
気張らないでもいい、こういう自然な空間を、すごく気に入っている。
そう、感じている自分に、最近気づいた。
気づいて、そんな自分に結構驚いていたりする。現在進行形で。
「は?」
こちらを見上げる目が、満月のように真ん丸になった。
しまった、と土浦は己のしくじりを悟った。
「悪い、聞いてなかった。なんだって?」
「もう。土浦くんって、犬と猫ならどっちが好き?って」
散歩している犬とすれ違ったことから、展開した話題らしい。
振り返ると、老夫婦が犬を間に挟み、ゆったりと足取りで歩いていく後ろ姿が目に入った。
犬は中型の、柴犬、だろうか。尾っぽを振って、二人の主人の足に交互にまとわりついている。
土浦はふっと笑みをこぼした。
「断然、犬だな」
「じゃあ、小さいのと大きいのだったら?」
「その二択なら、大きいほうが助かる」
助かる? と、土浦の言い様に、わずかに首が傾く。
「あー……小さいと、怖いんだよ」
どう言えばいいだろうか。
土浦は思案して、言葉を選択する。
「こう、壊しちまいそうだろ。加減がわからなくて」
だから、できれば飼いたくはない。
いまいちぴんと来ていない顔で、日野はさらに首をかしげた。
ああわかんねえだろうな、と、土浦は苦笑する。
おかげさまで、体格には恵まれたほうなので、幼い頃からそういう想像にずっと悩まされてきたのだけれど。
例えば、今、その細い手首を掴まえたら、うっかり握りつぶしてしまいそうだ、と考えていることを。
知らないだろう、と、隣で黙ってしまった彼女に対して思う。
「でも私なら、土浦くんに飼ってもらいたいけどなぁ」
土浦は足を止めた。
日野が、きょとんとした表情でこちらを見ている。
慌てて、その間に、クマのぬいぐるみで壁を作った。
「お前、なぁ……」
クマの裏側で、土浦は胃の底からため息を吐き出した。
向こう側から、たくさんの疑問符が飛んでくる。
まったく気にしていない様子の彼女が少し恨めしい。
土浦はクマの腕を取り、その頭にクマパンチを見舞わせた。
「痛いっ」
「日野を飼うのは、難儀そうだな」
「ええっどうして?」
「しつけ、とかしてもきちんと覚えなさそう。食い意地もはってそうだしな」
「失礼な」
クマの連続ジャブの嵐から、日野がひょいと後ろにジャンプして逃げた。
着地した勢いで、よろめいている。
なにやってんだか、と呆れながら土浦は手を差し出す。クマを持っていない、反対側の手を。
日野はその手を見て、少々考えたようだった。
「ほら、行くぞ?」
土浦が構わず歩き出すとやがて、手を通り越し、軽い重みが腕にからんだ。
イタズラが成功したように、彼女がにっと笑う。
「わん!」
元気のいい返事に、土浦は思わずよろめいた。
おしまい