舐めて聖痕
真っ白な、真っ白な、色が抜かれたような純白の花に埋もれている彼女は、結論から言えば美しかった。
溢れ、零れ落ちんばかりのひたすらの百合の花。その一輪を手に取り、彼女の髪に挿してやるととても似合った。
見渡せば俺の他は皆黒と白、だった。黒と白だけで構成されている空間の中、ただ一つの青は不意に酷く異端で不似合いに思えた。
「マスター」
そう呼べば嬉しそうに笑みをみせた彼女。
俺だけに許された呼び方。
「マスター」
初めは嬉しかった。
俺だけが彼女をそう呼べる。そのある種の特別感が嬉しくて嬉しくて―――
でもいつからか、もっと、と思うようになった。
彼女を主人として仰ぐ呼び名を手に入れたのと引き換えに、一度として口にできなかった彼女の名前。
呼んでは駄目ですかと幾度か尋ねてみたが、私、この名前好きじゃないのよ、とやんわりと拒まれ続けた彼女の名前。
「 、さん」
口に出してみれば拍子抜けするほど呆気ないことだ。
それなのに、声が、震えるなんて。
周囲は静かに流れるピアノソナタ曲と誰かが啜り泣く声だけがあった。
彼女の顔を、もう一度見る。
背筋がぞくりとするほどの肌の白に深い赤、艶やかな髪の黒。長い睫毛に縁取られた瞳は眠るように閉じられていた。
真っ白な、真っ白な、色が抜かれたような百合の花に埋もれている彼女は、結論から言えば本当に美しかった。
純白の着物の衿に隠された首筋を露にさせる。
一筋、思い切りよく裂かれた赤い傷口に思わず唇を寄せ、触れた。
舐めて聖痕
(一度でいい、こうして呼びたかっただけだったのだ)(さようならマスター、貴方を愛していました)
(さよなら、さよなら)