飴玉の唄
君のいる個室はいつも病院の匂い、お見舞いの花の香り、あと少しだけ、君の匂い。
太陽の、暖かい香り。
気がつくと、窓の外が暗くなっていた。
カーテンを引いて、部屋の明かりを点ける。ベッドに寝たきりの彼女は、それだけでもひどく眩しそうに目を細めた。
「日光は平気なのに、電気は眩しいのか?」
「お日様は平気です、自然の光ですから」
答えに首をかしげた。自然と、人工物と、光の量は変わらないと思う。説明が良く分からない。
彼女はそういう、よく分からない答えをする。ちょっと変わってる。
そこもひっくるめて好きだ。愛しい、愛しい、自分も随分まいってるなと苦笑した。笑いをかみ殺す。
ベッド脇の椅子に座って、俺はりんごの皮をむきはじめた。その様子を、彼女は目で追っていた。
「前々から、思っていたこと、あるんです」
「何だ?」
「なんで貴方は、私の面倒見てくださるんですか?」
赤いりんごの皮、ひとかけら床に落ちて、慌てて拾い上げた。
顔を上げた拍子に彼女の顔が見えた。
目に涙がたまって、いまにも零れ落ちそうで、ぬぐおうと手を伸ばしたとたん、ぽたりと落ちた。
ずっとそうだよね。一人で我慢して、破裂して、零れた涙はなかなか止まらない、止まらない。
もっと頼って欲しい、俺はまだ、その一言がいえない。
彼女は顔を背けて、腕で顔をおおった。
「私は病人で、だって、治らないって知ってるんです、困るでしょう」
否定しようとして、でも彼女の顔を見てるとどうしても、できなくて、俺は意味もなくポケットを探った。
なにかないか、ねえ、なにか。
指先に当たった固い感触をつかんで引っ張ると、透明なセロファンに包まれたオレンジ色の飴玉1つ。
「ねえ、飴玉あげる」
涙に濡れた彼女の顔、振り向いたすきに口に飴玉押し込んで、ひっこめた指でそっと涙をぬぐった。
俺の手に添えられた、彼女の細い手。ただ細いって言うんじゃなくて、そう、それは病人の手。
冷たい、冷たい手。
ああ、涙はまだ止まらない。
彼女の手がすっと離れた。
「…すみません」
「あんまり困らないよ」
「……そう、ですか」
「うん」
大人しくなった彼女を見て、話題に困って、だから俺は独り言みたいに呟きを並べ立てた。
「ねえ知ってる、飴玉って星の光でできてるんだ」
「……」
「神様が星の光が地球に届く、ちょっと前に魔法をかけるんだ、だから地球につくころには飴玉に変わって、さあ」
子供の頃、何度も聞いたおとぎばなし。
子供だましの、きらきらした、ただのお話。
「星の光だから、飴玉食べると元気になれるよ。病気なんて、飴玉食べてればきっと治って」
飴玉は、水あめからできている。
誰だって知ってる、だけど彼女は何も言わずに、ただ黙って、目をつぶって聞いていた。
話し続けることもなく、そこで沈黙が訪れた。
眠ってしまったのだろうか、と椅子から腰を浮かせたときに、彼女は目を閉じたままぽつりと言った。
「私は今、何光年も前の光を食べているんですね」
「……うん」
「病気、治りますでしょうか」
「治るよ、絶対」
死期が近づいたとしても、ねえ、君は君でいてよ。君じゃない誰かじゃなくて、俺は君が好きなんだ。
君じゃない誰かには、ならないで。
(見えない神様、僕らは祈らない。)
神様、俺は彼女を死なせない。