不思議の国の亡霊
「なにか困ったことがあったら相談に乗るから」
と耳打ちされた。
これには正直、すこし驚いた。見るからに軽薄そうな男なのだろうと思っていたら、意外と世話好きなのかもしれない。まあ、こんな状態のアーサーを嫌がることもなくずっと傍に置いて、付き合い続けているのだから寛容な性格なのだろう。
「……困ったときは頼むよ」
アルフレッドが軽く右手をあげて言うと、フランシスは驚いたという顔をした。けれどすぐににっこりと笑って、おなじように右手をあげてから電車を降りていく。アーサーもこちらを振り返り、ひらりと手を振った。それに笑顔を返したところで扉は閉まり、電車はゆっくりと走り出す。
今日は夜にバイトが入っている。アーサーは研究室にこもると言ってたから、お互いに帰り は遅くなるだろう。
最近は試験前ということもあって、アーサーとのすれ違い生活になっている。朝、一緒に家を出るのでまだ話す機会はあるが、これがなかったら顔を合わせることさえできなかっただろう。
ひとりになった電車の中で、アルフレッドはゆっくりとあたりを見回す。通勤、通学の時間とはすこしずれているので車内はかなり空いている。乗り合わせている人達の表情も穏やかで、かなりリラックスした空間だ。
友人同士で乗り合わせている人は、みんな楽しそうな顔をしている。ひとりの人も思い思いの時間を過ごしているのだろう。
そんな空間で、流れる景色を眺めながら考えるのは、アーサーのことだ。最近気がつけば彼のことばかり考えている。
いつも難しい顔をしているアーサー。楽しそうな顔をしているときといえば、あの『病気』の話をしているときだ。イギリスが、アメリカが、とまるで夢物語のようなことを言っているときだけ感情豊かになる。
もしあの『病気』がなかったら、アーサーはどんな話をして笑うのだろう。十八歳のときに突然発病したらしいが、それ以前のアーサーはどんなことを話して笑い、なにに感心を持っていたのだろう。そんなことばかりを考える。
「……どうすればいいんだろう」
どんなに考えても答えは当然わからない。なにせ知り合ってまだ数カ月なのだ。自分は『病気』を抱えている彼としか話したことがない。
そのとき、ふと脳裏にフランシスの姿が浮かんだ。
生まれたときからアーサーの傍にいて、彼が十八歳になり『病気』を患ったときも傍にいる人物。だからこそ、その変化をアーサーの母以上に感じているのではないかと思われる男。
彼ならばなにかわかるかもしれない。その可能性にかけてみようと、アルフレッドは思った。