ひどいこと
「きらい、嫌いなんだ」
「知ってるよ。俺は好きだけどね」
彼は言葉に詰まった。全く堪えない俺に気圧されたか、或いは嫌悪感をやり過ごすためか。
「……嫌だ」
呟きに思わず眉を寄せそうになった。嫌だ、と来たか。
「何が?俺はお前が俺を嫌っていても許すよ。お前は俺に好かれていることが許せないの?それは酷くないか?」
滅茶苦茶な論理だ。俺は内心自嘲した。
嫌いな人間に好かれるのと好意を拒絶されるのでは、意味合いが全く違う。しかし今のこいつはそんな奇妙さ、気付けないだろう。
「それは…」
予想通り居心地悪げに目線を横に流し、こちらからの視線を避けようとする。
(それは、何だよ、馬鹿。)
何もない。それは何てこともないんだよ。おかしなことでも不当なことでもない。そういうただの事実があるだけだ。
少なくとも俺には、嬉しくないが仕方ないと受け入れればそれでお仕舞いだ。
「でも……」
少し待ったが続きはなく、飲み込まれた言葉を予測してため息をつきたくなった。本当、お前ってたまにすごいネガティブ。
「……酷いこと言うよ、だから先に謝る。ごめん。…お前がどう思ってるか知らないけど、俺は、見返りなんて要らない。お前が考えてる以上に、俺は必死だしお前を好きだと思ってる。お前なんかを、だ」
『お前なんか』とは、いつも俺が彼をからかうときに口にする決まり文句だった。「お前なんかに言われたくない」、「お前なんかには出来ないだろうけど」、「お前なんかと付き合う女がいるのか?」などなど。
彼は少しだけ笑った。泣き顔に近い苦笑。付き合いの長さ故にいつの間にやら見慣れていた泣き顔は、汚ならしくてだらしがなくて、お世辞にも美しいとは言い難い。この男は、全力で駄々をこねる子供のような顔で泣き喚く。
「自分でも頭おかしいんじゃないかと思うけど、お前なんかを好きなんだよね。…俺がお前を、だよ?逆ならまだしも、なぁ。いやー、世の中何が起こるか分かんないもんだね」
俺と彼との間にあるものは友情だ。彼にとっては勿論、俺から見ても友情でしかない。
俺はそれを恋情に代えたいと言った。彼はそんなことはできないと答えた。
「……しね、バカ」
「この俺にそんなこと言うのはお前くらいのもんだよ、坊っちゃん」
「…うっせえヒゲ」
お前、罵倒には幾らでも返事出来るのにな。告白には何も言えなくなるんだよな。
(お前は優しいよな。だから俺なんかにつけこまれるんだけど。)
分かった風に口を利けるのは、実際に分かっていてもおかしくない長さの付き合いがあるから。それを彼も知っている。その腐れ縁に訴えかけて好きだと伝えている。
お前も知っているだろうけど俺は酷い男だから、つけ入る隙を与えてはいけないんだよ。
「……ごめん。…狡いよな」
彼は首を振った。泣きそうになりながら。
俺は笑った。泣きたいと思いながら。
彼は俺の好意に答えられないと言う。拒絶する。しかしそんことやめてくれ、とは言えない。寄せられる真剣な好意を無下に出来ない。そういう冷たい真似が出来るのは、昔から俺の方だ。「嫌だ」と呟くだけが精一杯の彼を、俺は更に追い込んだ。
(―――お前は。)
彼には隙があると知っている。だからそこにつけ入る。弱いところを突いて、逃げ道が無いように思わせる。彼を混乱させて悩ませて、そして俺はそんな自分に、罪悪感を抱くのだ。
彼は心から向けられる愛情を、受け入れられないと分かっても尚、手厳しくはね除ける勇気など持ち合わせていない。
だから俺は、自分が苦しむことを分かっていて、好きだと言い続けなければならないのだ。
お前なんかを愛してしまったばっかりに、俺は自分の首を絞めなければならないのだ。
『……酷いことを言うよ、だから先に謝る。ごめん。』