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ショートケーキを買いに行く

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 卓上の資料を手繰り寄せた時だった。
 ふと、舌に甘い感覚が広がる。滑らかな感触が舌先に触れた。
 「…………」
 舌の上に広がった甘さと、食感の余韻に自然と眉間に皺が寄る。
 この甘さには覚えがあった。
 「どうかしたの?」
 急に動作を止めて固まった俺を、波江は怪訝そうに見た。
 「……いや、何でもないよ」
 彼女からの視線を外すようにかぶりをふると、コーヒーを口腔に流し込む。
 「それより、ちょっとお使いを頼みたいんだけど」
 「……何かしら?」
 「ケーキ買ってきて欲しいんだ。ショートケーキ。君の分もそれで買って良いからさ」
 「…………」
 嫌悪の眼差しを向ける波江にマネークリップごと経費を渡して、俺は不服に満ちた彼女の背中を見送った。
 一人になった事務所で、考える。
 突発的に表れたその現象に心当たりはなかった。
 ここの所、ネットでの仕事に比重を置いていたから生菓子を食べる機会は少なくなっていたが特別甘党というわけでもない。
 俺は椅子にもたれかかって一番新しいショートケーキの記憶を手繰った。


 「僕、そんなに物欲しそうにしてますか?」
 顔を青くして、目の前の少年は俺を恐る恐る見た。
 「何で?苺は嫌い?」
 俺は人好きのする笑みで返して、銀のフォークを指先で回して見せる。
 小さな喫茶店の、大きくとられた窓から入る陽光に銀が反射して、彼はそっと目を伏せた。
 「いえ……」
 「じゃあ、どーぞ。食べてよ」
 俺は彼の皿に乗せた苺をもう一度すくうと、その口許へ押しつけるように差し出した。
 「や、あの、もう自分の分食べましたから」
 苺を前に何度も顔を横に振って彼はそう主張する。
 確かに、各々の目の前には白い皿と銀紙の剥がれたショートケーキがある。
 俺は彼に合わせて同じものを選んだが、セットで頼んだコーヒーにかまけていてケーキは依然として綺麗なワンピースを保ったままだった。
 彼は落ち着かない様子で端から少しずつフォークを入れていって、中間を過ぎた頃に頂上に鎮座する苺を口にした。
 後に食べる派でも、先に食べる派でもないんだな、と俺はその様子を眺めていた。
 大粒の赤い宝石見たいな苺を一口で食べて、彼の口許が綻ぶのが何だか良いな、と思った。
 「ね、食べてよ」
 俺は私欲に塗れた口先で彼を促した。
 「でも」
 「俺のおごりなんだから、俺が俺のをどうするかは俺の自由だよ」
 「…………」
 「お願い。食べて」
 何時も俺の前だと困った様な顔をする、彼の笑った顔がもう一度見たかった。
 「……わかりました。いただきます」
 彼は少しだけ身を乗り出して苺に口をつけた。
 赤い舌が見えた。白い歯が、やわらかい果肉を挟む。
 咀嚼して飲み込んで、けれど口許が緩むことはなかった。
 俺の頭の中で、その一連の動作が幾度も再生される。
 「あの、ありがとうございます」
 彼はその場で頭を下げた。
 「あ、うん。おいしかった?」
 俺は我に返って彼に微笑んだ。
 「はい」
 「なら良かった」
 「あの…、もし良かったら」
 彼は逡巡の末自分のケーキを切り崩すと俺に差し出した。
 「どうぞ」
 黄色いスポンジと白いクリーム。俺の皿にあるケーキと同じものだ。
 「いいの?」
 俺はおかしくなって笑いながら聞いた。
 彼は真っ赤な顔で俯く。
 「す…すみません。やっぱり変ですよね。ごめんなさい」
 俺は慌てて手を引っ込めようとする彼の手首を引き寄せて、フォークに乗ったケーキのかけらを口に運んだ。
 舌の上を、柔らかいくて甘いものが溶けていく。
 「おいしいね」
 笑いかけると、驚いて目を丸くしている彼の顔がそこにあった。
 困り顔よりもずっと良い。
 「今日はありがとうございました」
 先に店を出ていた彼は、俺が会計を終えて外に出ると丁寧におじぎをした。
 「どういたしまして。こっちこそ、学生の貴重な放課後をありがとう」
 「折原さん」
 彼が顔ごと俺を仰いだ。
 「苺、とてもおいしかったです」
 笑った。俺に向けて。俺の為に笑った。


 あの子は今何をしているのだろうと、PC画面に表示されている誰もいないチャットルームを眺めた。
 そういえばあれから久しく会っていない。
 舌の上によみがえる甘味が強くなった。
 「帝人君……」
 「買ってきたわよ」
 ノックもなしに部屋の扉が開くと、波江が二つの白い箱を手に立っていた。
 「ああ、お帰り。早かったね」
 「はい、これ。頼まれたものよ」
 波江は片方の箱を俺の机に置くとキッチンへと入って行った。
 「俺のも皿に置いてから出してよ」
 波江に文句を言ったが、彼女は素知らぬ顔をしてコーヒーメーカーのスイッチを入れていた。
 俺は嘆息して白い箱からショートケーキを取り出すと、銀紙を剥いでそのまま齧り付いた。
 幻想痛のようにそこにあったものが、実物の暴力的なリアルに成す術も無く潰されていくのがわかる。
 味蕾を刺激する糖と、スポンジと生クリームが口腔を撫でていく。
 舌の渇望は満たされた。
 けれど違う。
 本当に欲しかったのは甘味でなく…………。
 苺を口に含んで噛み潰すと、果実の酸味が広がった。
 俺は顔をしかめる。
 違う。
 彼と食べた時に、俺はこんな味を感じなかった。
 「ちょっと、どこに行くつもり?」
 コートを羽織る俺に波江がケーキ皿を持ったまま聞いた。
 「ケーキを買いに、池袋まで」