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璃琉@堕ちている途中
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神様の去った日

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二月も終わりの比較的暖かい日の午後のこと、眠たくなるような日のことだった、と記憶している。





静寂の支配する廊下の中央、開いた窓から差し込む光を受けて、トレードマークのピン留めがキラキラと輝いていた。俯いて佇む姿は、風景に溶け込んでいて、普段の少女の持つ溢れるようなパワーは、鳴りを顰めていた。
久しぶりだな、と思った。
秋からここまで、生徒の進路は続々と決まっていった。あるいは、試験の為に家を空ける者、引っ越しの準備を進める者…それに伴い、授業に顔を出す者も少なくなっていく。それでも、男のクラスの生徒は、報告に、暇なので、先生が寂しいだろうから、と何かにつけ登校していた。その中で、少女は恐らく最も学校から離れていただろう。
流行りのAO入試というやつで、早々に合格を決めた少女。超ポジティブで電波なところを除けば、少女は成績優秀で品行方正、評価は高かった。加えて、人の心の隙間に入り込むのが上手と来れば、面接など楽勝だったことだろう。そして、いつもの笑顔で良い結果を報告した次の日から、ほとんど現れなかったのである。特に年明けからこちらでは、初めての出席になる。
良かった、と男は眼鏡を持ち上げた。色々と連絡もあるし、聴きたいこともあるし、話したいこともあった。それは事務的な内容から、個人的な話題まで、様々だったけれど、何よりも、少女に会えたことが、嬉しかった。
足音に気づき、視線を投げた少女と目が合う。背を預けていた窓枠から離れ、男の行く手を遮るように立つ姿からは、先刻とは形を変えた影が伸びる。

「お久しぶりですね」

足を止め、男は微笑んだ。

「教室にはいなかったようですが、今来たのですか。荷物はどうしました?もしかして、既に卒業生気取りで遊びに来たつもりでしょうか。残念ですが、三月まではここの生徒ですからね。立場を弁えるように。それに、肝心の卒業式は来週です。見たところ、コートも着ていないようですが。暖かさに油断して、体調を崩さないようにして下さい」

そこまで言って、男は少女が大きく呼吸したのに気がついた。
いつものように弧を描いた唇からは、震えて掠れた息が漏れる。そして、

「先生」

両の瞳から、雫が頬を滑り落ちた。

「好きです」

窓から、一陣の風が二人の間を抜けて行く。ああ、本当に暖かい。春一番だろうか。男は、ぼんやりと考えた。
目の前の少女は、はらはらと涙を零しながら、切々と訴えている…気がする。

「好きです。好きです。先生が好きなんです」

顔をくしゃくしゃにした少女は、呪文のように同じ言葉を繰り返していた。泣き声を上げぬよう、拳を握り締め耐えている。涙を拭うことも出来ずに、ただ、呆然とする男に恋心を伝え続ける。

「好きです。本当に、好き…っ」

やがて、膝から崩れ落ちると、床の上に座り込んでしまった。手で覆った顔の向こうで、口は動いているようで、でももう何と言っているのかもわからない。しかし、立ち竦む男の鼓膜には、吐き出される湿った"好き"の二文字が確かに響き渡っていた。

「糸色先生」

少女とは異なる声に僅かに視線をさまよわせると、いつの間にかカウンセラーの新井が立っていた。それで、自分達が衆目を浴びていたことを知る。休み時間に突入していたのだった。しかし、ざわざわした不快なはずのそれは、輪郭が朧気なままで、男の意識には影響しない。
世界には、少女と自分と、半分足らずの熱量の新井が存在するだけだった。
新井は、後は私が、と少女の傍らに膝をつき、羽織っていたカーディガンを断続的に跳ねる肩に掛けてやる。そして、積み重ねた技量と元来の人間性で少女を立ち上がらせた。

「先生は次の授業へ急いで下さい」

少女は未だ咽び泣いていた。持たされたレースのハンカチは乾く間も与えられぬ程、水分を吸い続けている。ふらふらとした足取りは危うく、対して男は微動だにしない。
少女の歩調に合わせ腰を屈め隣を歩く新井は擦れ違いざま、男に囁いた。

「しっかりして」

言葉が喧騒の熱を知覚させ、その熱が男を後押しする。右足を踏み出してみた。強制的にスイッチを入れた身体は、驚くくらい簡単に、通常の動作を再開した。
永遠に終わらないかと思われた廊下を曲がり、男は階段を登り始めた。眼鏡に反射する光に、目線を上げる。

「………っ」

不意に、涙が零れた。視界がゆらゆらと揺れている。
嬉しくなかった、わけではない。吃驚した、だけではない。まして嫌だったとか、それこそ困惑だとか、そんなことでは、なかった。
―あんな少女を、男は知らなかった。
笑顔で告げられたなら、良かった。男の好きな、いつもの、笑顔で。
少女は笑おうとしていた。笑みを作ろうとしていた。けれど、堪え切れずに、糸は切れた。
苦しめてしまった。追い詰めてしまった。―受け止められなかった。

「くっ………」

熱い目頭を手で押さえると、男は暫し、沈黙した。無機質なチャイムの音は、何の慰めにもならなかった。





二月も終わりの比較的暖かい日の午後のこと、眠たくなるような、ちょうど今日のような日だった、と記憶している。
この時期になると、必ず思い出す出来事だ。それも今では、遥か彼方。若い頃の思い出の一つに過ぎない。
けれど、忘れるにはあまりにも、鮮やかな色合いを持っている。
命を粗末にしてはいけません。そう言ってくれた少女からの連絡は、あれから途絶えたままだった。





『神様の去った日』