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「違う、手はこうだ。猫の手にしないと、指を切るから危ない」

ぎゅ、と手を包み込むようにして直され、アキラは頬に熱をのぼらせた。
料理を教えて欲しいと申し出たまではよかったが、常に背中からじっと見詰められ、更に何かあるたびに覆い被さるようにしてアキラの手つきを直してくる。
そのたびに体温を感じ、ヨウスケの匂いに包まれ、そわそわと胸が落ち着かない。
頬に触れる硬質な黒髪の感触や、肌を奮わせる落ち着いた甘い低音もアキラの鼓動を高める要因だった。
それでいてヨウスケに全く他意がないのだから性質が悪い。

「慣れないうちは形とか早さとか気にしなくていい。アキラのペースでゆっくり切ればいいから」
「う、…うん」
「…そう、いいぞ。その調子だ」

耳元に響くヨウスケの声。
的確に指示を出している声とは違い、上手だと柔らかく囁かれるとそれだけで気が動転してしまう。
加えて耳朶を擽るヨウスケの吐息を意識せずにはいられない。
あのヨウスケのくちびるが、アキラの耳のすぐ横にあるのだ。
すぐにでも触れてしまいそうな距離に、それが。
一度意識し出すともう止まらず、動揺を表すように刃先が滑って人差し指の皮膚に触れ、チクリとした鋭い痛みを生んだ。

「った…!」
「アキラ!」

水で傷口を流すより早く、ヨウスケの腕が背中側からアキラの手首を捕らえていた。
あ、と思ったときには指先から赤が流れ落ちる。
痛みはそれほどではない。傷は浅いだろう。
しかしそれを見て顔を顰めたヨウスケは、躊躇いもなく人差し指を口に運び、止めるまもなくアキラの指を咥え込んだ。

「ヨ……ヨウスケくん!」

ヨウスケの舌が傷口を探してアキラの指に絡みつく。
肩越しに仰ぎ見るヨウスケのくちびるが、唾液で濡れて不意打ちの艶を生んでいた。
性的な動作ではないのに指先から全身へと熱があっという間に回ってしまいそうになる。
ピリ、と痛む傷口を丹念に舐めるヨウスケは真剣な顔をしていたが、アキラの顔は赤くなるばかりだ。
傷口がどくどくと心臓のように脈打つ。
時間にして一、二分の出来事が、一時間にも二時間にも感じられた。

「…まだ少し血が出てるから、きちんと消毒した方がいい。保健室へ行こう」

確認するように軽く吸われ、くちびるが離れていく。
じんじんと痛む傷は熱を持って膿んでいるかのようだ。
その熱が全身に回って頭がくらくらと揺らぐ。
言葉も出せずに真っ赤な顔を俯けると、ヨウスケが「アキラ?」と心配そうな声で呼びかけてきた。

「痛むのか?早く保健室へ…、」

上体を屈めて顔を覗き込んだところで、ヨウスケの動きが止まる。
アキラの俯いた顔の下に、まるで掬い上げて口付けるかのようにヨウスケの顔があった。
髪で隠しても隠し切れない熟れた赤さが徐々にヨウスケに伝播し、ヨウスケの目尻を赤く赤く染めていく。
まるで思い返すように大きな掌が自身のくちびるを覆ったところで、アキラは怪我をした左手を右手でぎゅっと握り込んだ。

何かを訴えるようにじくじくと、傷口が痛む。

「……アキラ」

少しだけ掠れた甘い声とともに、ヨウスケの手がそっとアキラの栗色の髪を掻き上げて耳の横に添えられる。
左手は頬を撫で、肩へと降りた。
触れる皮膚が熱い。産毛がそわりと逆立った。
徐々に近づいてくるヨウスケの、美しい蒼の瞳に吸い込まれそうになる。
思っていたよりも長い睫、そしてそこに映るアキラの顔。
緊張と羞恥で潤んだ目はまるでヨウスケを誘っているかのように揺れていた。

「ヨウ、スケくん…」

か細く震える声で呼んだアキラを見て、蒼の目も同じように揺れる。
迷うようにアキラのくちびるを見た後、ヨウスケの大きな手がアキラの背中に回された。
ぎゅう、と抱きしめてくる腕の力強さと、アキラを包み込む逞しい胸。
どくどくと同じ速さで鳴り響く鼓動にわけもなく目の奥が熱くなる。

そんなはずもないのに、体温が一度、上昇したような気がした。
作品名:1℃上昇 作家名:ユズキ